『日本史』は、どのようにして創られたのか. 2

守谷 健二 投稿日:2023/11/08 13:35

二つの『唐書』(3081の続きです。)

 

正史『唐書』は二つある。西暦945年に撰上されたものを『旧唐書』と呼び、西暦1060年撰上された方を『新唐書』と呼びます。

先に成立していたか、後に成立したかの違いでどちらも皇帝の命を受けて作られた「正史」です。

既に正史『(旧)唐書』があったのになぜ新たな正史が必要とされたのか?

『旧唐書』は、唐末の戦乱、唐朝滅亡後の短期間の王朝の交代があり史料の散逸がひどく、宋代になって多くの史料が発掘された故、より完成された「正史」の制作が要請された為であった。

それを考えれば、『新唐書』の方が完成度の高い「史書」になっているはずです。

しかし、実際には『旧唐書』の方の記事の方が正確で、資料的価値は『新唐書』は『旧唐書』に及ばないと云うのが中国では定説になっています。

『新唐書』完成直後に編纂を開始した『資治通鑑』は、唐代の記事は全面的に『旧唐書』に依拠し、『新唐書』をほとんど相手にしていない。

また考証学が盛んになった清代でも『旧唐書』の方が信頼度が高いとの評価である。

ただ日本では、『新唐書』を『唐書』と呼び、『旧唐書』をお蔵入りにし完全に無視してきた。(これは第二次世界大戦の敗北まで続きました)

 

『旧唐書』と『新唐書』の最大の違いは、日本記事にあります。『旧唐書』は、「倭国伝」と「日本国伝」の併記で日本記事を作ります。七世紀半ばまで日本を代表していたのは「倭国」(筑紫王朝)であり、「日本国」(大和王朝)が日本の代表王朝として登場するのは八世紀初頭からです。

つまり七世紀後半に日本では王朝の交代があった、と云うのが『旧唐書』の認識です。宋初(983年)に撰上された『太平御覧』は『旧唐書』の認識を踏襲しています。

一方『新唐書』は、日本には王朝の交代はなかった、天御中主を祖に持ち皇極天皇まで皇統の絶えることなく日本を統治して来たとする『日本書紀』の主張する万世一系の歴史で書く。

日本の王朝が『新唐書』に飛びつき『旧唐書』をお蔵入りにしたのは当然であった。(続く)