『日本史』は、どのようにして創られたのか、5

守谷 健二 投稿日:2023/11/22 14:08

 『日本書紀』の原型は粟田真人の遣唐使(西暦703年)には成立していた。

 

『旧唐書』は703年の粟田真人の遣唐使の記事から始まっている。彼の使命は、天武天皇の命で創られた「日本の歴史」を唐朝に承認してもらうことであった。故に、この時『日本書紀』の原型は完成していた筈である。

ここで『日本書紀』編纂の段取りを検討する。

天武10年(681)三月、帝紀及び上古の諸事を定めしたまふ。

天武11年(682)三月、新字一部四十四巻を造らしむ。

朱鳥(あかみとり)元年(685)正月二日、天皇詔して曰はく、「朕、王卿に問ふに、無端事(あとなきこと)を以てす。依りて対(こた)へて言(もう)すに実(まこと)を得ば、必ず賜ふこと有らむ」とのたまふ。

ここに高市皇子、問はれて実を以て対(こた)ふ。

朱鳥元年十六日、天皇群臣に問ふに。無端事を以てす。即ちその時に実を得ば、絁(ふときぬ)綿を給ふ。ー『日本書紀』より

 

天武10年三月の「新字一部四十四巻」と云うのは、『日本書紀』を書く漢字を定めた事です。当時、日本語を書く仮名文字、カタカナは成立していなかった。すべて漢字の意味、音を借りて書かねばならなかったのです。しかし漢字の音と云っても、時代、場所によって異なっていました。漢字は既に日本に入っていましたが、日本語を表す漢字は、同一のものとは限らなかった。また日本でも筑紫と大和では発音が違っていた。その為、大和地方の発音を基準にして、中国のどの時代、どの地方の漢字の発音を採用するか、その統一した基準を定める必要があったのです。それを決めたと云うのが、天武11年三月の記事です。

朱鳥元年正月二日の「無端事(あとなきこと)」と云う熟語は、漢字の本国中国にも無く、日本でも登場するのはここだけです。それで学者も、何の意味か分からなかったようです。

天武の命じた歴史編纂は、天武天皇の即位を正統化する為の歴史です。つまり歴史の起点は、正統な皇位継承者であった天智天皇の長男である大友皇子を滅ぼした「壬申の乱」にある。この戦いを「正義の戦」に仕立て上げることであった。

つまり最後に起点を持つ歴史なのだ。是こそ「無端事」と云うべきだろう。誠に『日本書紀』編者たちの造語能力には恐るべきものがある。