ニーチェの「神は死んだ」から、末法の時代が始まった。
わたしは神(大宇宙の創造主)の存在を信ずる。
測定可能距離137億光年の大宇宙も神による創造物である、と私は信ずる。
カトリックがいかに堕落していようとも、神は死なない。
だからわたしはニーチェの言葉「神は死んだ」が嫌いである。
内村鑑三はかく言う。
「我が罪は大(だい)なり、然(しか)れども我が神は我が罪よりも大なり」
https://www.netekklesia.com/031
これの言葉を少し変えて言えば、
神は、カトリックの犯した罪よりも圧倒的に大きい存在なのだ。
だからニーチェの「神は死んだ」は明らかに言い過ぎであり、間違っている。
この言葉が流布して以来、世界は末法の世に突入している。
以上は、私の信仰告白であり、証明することはできない内容である。それも明らか。
そして、信ずるという行為によって多くの過誤もなされることがあろう。不完全な人間がやることだから。
ただし、信ずるという行為は本来、目や口や鼻や手ざわりで感ずるもの以外を感じとるということであり、全身全霊で感じるということだ。それは人間としての認識力が高まったことなのだ。人間にとってもっとも大切なものは、五感では感じとれないものであろうと私は考える。
信ずるという行為の値打ちが極限にまで貶(おと)しめられたこの末法の世において、なお私は、信ずる行為の貴(とうと)さを認識するものである。
(補足)カトリックの悪と徹底的に対決したマルティン=ルターは、「神は死んだ」とは主張していない。
以上