息子が父に語る吉本隆明

藤村 甲子園 投稿日:2012/01/15 01:20

1.プロローグ

私の父は定年退職以降、もう10年以上も念仏に凝っている。元々、我が家の宗旨は浄土真宗だったのだが、父は念仏に凝りに凝った挙げ句、とうとう在家のまま僧籍まで取ってしまった。最近では我が家の旦那寺の若いご院家さん(住職のこと)に法論を挑んだり説教したりする始末である。全くどうしようもないバカ親父である。

10年ほど前、父に吉本隆明の親鸞論を紹介した。父はなぜか食いついてきた。「この人はとても頭の良い人だなあ」とえらく気に入った様子であった。

ところが最近、父は生煮えな吉本批判を口にするようになった。吉本の仏教全般に対する造詣は認めざるを得ないが、異教徒にあれこれと偉そうなことを言われるのが気に食わなくなったということらしい。父いわく「吉本は望遠鏡で親鸞を見ているような気がする」だそうだ。「吉本は国訳大蔵経を全巻読破したらしいよ」と言ってやったら、父はビビッていた。ざまあみろ。

ご院家さんから「吉本隆明の『最後の親鸞』とは一体どういう本なのですか」と問われたので、私は以下のように答えた。

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人類の世界認識は段階を踏んで発展してきた。社会科学というものが成立する以前に「世界とは何か。この世の中に違いを作り出して行くにはどうすれば良いのか」と言った問題に対処するには、宗教という形でそれをせざるを得なかったのだと吉本は考えた。
だから、鎌倉時代の日本人が何を考え、何をどうしようとしていたのか知りたければ、親鸞が書き残した著作を読むのが早道なのだと。

ここから先は私、藤村の解釈なのだが、吉本の以上のような論を踏まえると、宗教独自の存在意義はどうなるのか。吉本説に従えば「それは無い」ということになる。それじゃお坊さんがやる気を無くしてしまうだろう。ずいぶんな言い草もあったものではないか。

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ご院家さんには以上のようにお答えしたが、それから先も「吉本隆明って、結局どういう人だったのだろう」という問題が頭から離れなかった。ずっとあれこれ考え続けていた。

本日、その思いを断ち切るため私なりのメモを記す。
吉本の原文は確認していないので、私なりに言い換えた箇所もあり、またおそらく思い違いもあるだろう。その点はどうかご海容いただきたい。

2.<大衆の原像>について

吉本思想のよく知られたキー・ワードは<大衆の原像>である。それは概略、以下のようなものだ。

人類史を発展させてきた原動力は政治でも経済でも思想でも法律でもなく、大衆の営々たる生活の営みなのだと吉本は説く。
大衆とは子を産み育て、やがて死んで行く、後世顧みられることのない人々のことである。自分の家族を養い守ることに自分の全てを注ぎ込んで生きている人々であり、世間に向かって言葉を発することもなく、また文字を書き残すこともなく去って行く人々である。

知識人や知識人の集団(宗派や党派)も、元はと言えばこの大衆の中から生まれ出てきたものなのだが、自らの知的能力で世界(時間と空間)を把握しようとした時点で、そしてそれを文字にして残そうとした時点で、知識人やその集団は既に大衆から浮き上がった存在になっている。
大衆はそんなカネにもならないことには興味を示さないからだ。自分の生活でイッパイイッパイだからだ。

知識人とは要するにヒマ人のことなのである。知識人の集団(宗派や党派)とは、自分たちの利害と直接関係ないことに余計な口を挟みたがるお節介焼きのことである。小さな親切、大きなお世話なのである。

だから知識人やその集団は、自らの世界観の中に<大衆の原像>を繰り込む努力を常にしていないと、必然的に独りよがりな視野狭窄に陥って腐敗堕落してしまう。以上の論拠から、吉本は日本共産党の硬直して独善的な世界観を批判し続けた。
これが吉本の言う<大衆の原像>のあらましである。

3.大衆の戦争参加について

さて<大衆>の定義が以上のようなものだとすると、昭和戦前の日本の大衆が率先して戦争に参加したのはなぜなのか。
蒋介石やルーズベルトが、今すぐにでも日本の大衆を虐殺しに来るという状況でもなかったのに、なんで日本の大衆は見ず知らずの他人を殺しに行くのに抵抗を感じなかったのか。
「大衆は自分の家族を養い守ることに自分の全てを注ぎ込んで生きている。カネにもならないことには興味を示さない」という、最前の定義と矛盾しているではないか。

この点については、戦後になって以下のような説明がされることが多い。

(説明A)私は本当は戦争に反対だった。でも、それを口にできるような雰囲気ではなかったのだ。だからイヤイヤ従っていたまでのことである。

(説明B)私は<無辜(むこ)の民>だ。私は軍国主義者やそれに追随したマスコミにまんまと騙されていたのだ。いわば私は軍国主義の被害者だ。だから、もう騙されないぞ。

(説明C)わが日本共産党は戦争に一貫して反対してきた唯一の党である。だからこそ、非転向のわが党員はみな獄に投ぜられていたのだ。

吉本は(説明A)を「戦争傍観者の言い訳、自己正当化に過ぎない」と切り捨てる。
(説明B)は「床屋政談の類だ。こういうカマトトぶって訳知り顔をしたがるヤカラに限って、今度はマッカーサーやスターリンにまんまと騙されてしまうのだ」と言う。
(説明C)に至っては「要するに獄中にいたので何もできませんでしたというだけのことではないか」と切って捨てた。

吉本は本当はこう言いたいのである。
「国民はみな、熱狂して戦争に協力したではないか。軍国少年だった私はその様子を目撃している。私もまた、祖国の勝利を心から信じていたのだ」と。

それじゃあ再度聞くが、大衆が熱狂して戦争に協力したのはなぜなのか?自分のトクには金輪際ならないことなのに、進んで我が身を危険に曝したのはなぜなのか?

ここで吉本思想のもう一つの顔が現れる。余り指摘されることはないが、吉本という人の地金なのである。

いわく、人間は一人で生まれて一人で死んで行く。その限りでは孤独な存在である。
だが、生きている間は決して一人では生きて行けない。どんな人間でも、自らの家族と、友人、隣近所、祖国と、そして全人類とつながりあっているからこそ生きて行けるのだ。

つまり人間は、ある時には孤独な存在だが、またある時には家族の一員であり、良き隣人であり、忠実な臣民であり、さらには<人類の一員>でもあるのだ。
このことは哲学だの思想だのに関心も知識もない大衆でも、みなが理解していることなのである。
逆に、イイ歳したオトナになってもそういった自覚と責任感が持てない者は、世の中からハジき出されてしまう。これは小林秀雄の言葉だが、「世捨て人とは世を捨てた人のことではない。世に捨てられた人のことなのである。」

以上を踏まえて吉本は言う。
人間というものは、自分の身の丈よりも大きな価値、たとえば「会社のため」、「おらが村のため」、「祖国のため」、「人類のため」といったものを持ち出されると、みんながみんなそちらに靡いてしまうのだと。逆に言えば、そういった大きな価値、大きな正義に身を預けるのでなければ、見ず知らずの他人を殺すため鉄砲担いで海を渡ることなどできはしないと。

なんだか純真無垢な軍国少年そのまんまの言い草である。実際、吉本の青春時代は太平洋戦争の期間とピッタリ重なっている。つまり吉本隆明という人は、戦争中の軍国少年がそのままオトナになってしまったような一面もある人なのである。

4.吉本隆明はなんで仏教やキリスト教に<浮気>したがるのか。

吉本隆明は軍国主義にまんまと一杯食わされた。もちろんその事に対する反省はある。

それで戦後、吉本は一転してアカになった。だが、「もう騙されないぞ。今度は革命だ」と思い込めるほど単純バカでもなかった。おまけに組合活動のやり過ぎで会社をクビになってしまった。これじゃあ誰だって反省するだろう。

もちろん問題は「反省したかどうか」じゃなくて、「何をどう反省したのか。反省した結果、何をどう是正処置するのか」であることは言うまでもない。

ここで吉本さんがユニークなのは、その反省の仕方である。吉本さんはこう考えた。

人間というのは、一見すると自らの家族を養うことしか眼中にないように見えるが、実は普遍的な(全人類に直結するような)大きな価値基準、大きな正義なしには生きて行けない生き物なのではなかろうか。これは知識人であると大衆であるとを問わない。また、古今東西も問わない。

では、人間にとって思想とは一体何なのか。どうして人間が頭の中でこしらえた観念に過ぎないものが、大衆の大多数を動かすほどの力を持ってしまうのか。
いや、そもそも「人間は考える葦である」とは一体どういう意味か。考えること、そしてそれを言語で表現することを通して、人間は世界(人類の総体)とどのように関わっているのか。

かくて吉本さんの<自分探しの旅>が始まった。
軍国主義はダメだった。共産主義もイマイチ肌に馴染まない。
だから吉本さんは、キリストだの親鸞だの良寛だの麻原彰晃だのに<浮気>したがるのではなかろうか。それらのものを、無理矢理ヘーゲル流に捻じ曲げて、近代合理主義的に解釈したがるのではなかろうか。

吉本さんは一面、多芸多才な雑食性のジレッタントのようにも見えるが、「世界思想とはどんなものであるか、思想の世界基準とは何か」に拘り続けたという意味では、一貫している人だったと私は思う。

今日では、上記のような問題意識を抱いた人は大学に留まって思想史、比較思想または言語学の研究者にでもなるのではなかろうか。
だが、吉本さんは腐ってもアカである。かつては「おれが革命といったらみんな武器をとってくれ」(恋唄)と詠った人である。到底大学の枠内に納まるような人ではなかったということなのだろう。吉本さんもまた、時代の子だったのである。

ちなみに吉本さんはクラウゼヴッツの「戦争は他の手段をもってする政治の継続である」を踏まえてこう言った、「戦争は他の手段をもってする大衆弾圧の継続である」と。私はこの言葉が好きだ。

司馬遼太郎は昭和の軍国主義を親の仇と怨む余り、日露戦争を持ち上げたりした。私はこれに同意しない。203高地で機銃掃射されて死んだ日本兵だって、なにも喜んで死んで行った訳じゃなかろう。

「戦争は他の手段をもってする大衆弾圧の継続である」とは、私が同意・承認できるほとんど唯一の歴史観である。

5.再読・吉本隆明『最後の親鸞』

『最後の親鸞』を再読して思った。吉本隆明は<歪んだ真珠>のような人である。
親鸞に対する評価が歪んでいるのではなく、評価軸そのものが歪んでいるである。そしてその歪みこそが、吉本思想の魅力の源泉にもなっている。カリスマとはかくの如きか。

ここまでは誉めた。ここから先はクサす。
私見では、吉本は西洋近代合理主義の台木の上に、仏教を接ぎ木したのだと思う。西洋近代合理主義と仏教とでは、プロブレマティーク(注)がまるで違うというのに。

(注)プロブレマティークは問題構制と訳されている。ここでは「最初にどういう問題設定をしたかによって、導き出される答えも自ずと制約されてしまう」という意味でこの言葉を用いている。

吉本は国訳大蔵経を全巻読み込んだとのことだ。その労力たるや恐るべきものである。そこまでやった上で、なおかつ仏教を自分流に捻じ曲げてしまうのだから、まるで法廷闘争に長けた共産党のラツ腕弁護士のようではないか。

私の心の中に、西洋近代合理主義と仏教という全く別種の木が二本並んで生えていても良いではないか。私はそう思っている。どちらにせよ、仏教オンチはとても恥ずかしいことである。
(以上)