「2050」 小室直樹著『「天皇」の原理』が発売になる。 2023年3月28日
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SNSI・副島隆彦の学問道場研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)です。今日は2023年3月28日です。
今回は3月29日発売の『「天皇」の原理』(徳間書店刊)を紹介する。
「天皇」の原理
(ここ↑ を、クリックするとアマゾンの画面に行きます)
「天皇」の原理 」( 徳間 ニュー・クラシック・ライブラリー) 新書 - 2023/3/29 刊 小室直樹 (著)
本書は、今から30年前の、1993年に出版された小室直樹(こむろなおき、1932-2010年、77歳で死)博士の42冊目の著作である。
今回、徳間書店から復刊、再刊 されるにあたり、冒頭に副島隆彦先生による解説文(コメンタール)が付けられた。この解説文を読むことで、本文をよりよく理解することができる。
以下に、解説文、序、目次を掲載する。参考にしてぜひ手に取ってお読みいただきたい。
(貼り付けはじめ)
冒頭の解説文 副島隆彦
(見出しの文)「 小室直樹による宗教原理の解明から、天皇の原理が導き出される」
この本が新たに、全国にいる小室直樹の読者(信者)の結集軸となるでありましょう。
小室直樹先生が逝去して13年になる。先生は2010(平成22)年9月28日に亡くなった。享年78歳。翌年の3月11日に東日本大震災があった。先生が生まれたのは、1932(昭和7年)9月9日である。
私は先生の生前、直接先生から教えを受けた者として、先生の霊(れい)と書物と向き合いながら時々、考え込む。 先生の霊は、先生が遺(のこ)された全著作73冊の書(巻末に一覧表を載せた)と共に有る。それらを繙(ひもと)くと、深い知恵が滾滾(こんこん)と湧いてくる。
先生の本を熱心に読む者たちは、今や小室直樹教(きょう)の教徒(信仰者)となった。小室先生は霊的存在(れいてきそんざい)となられた。
小室直樹は、日本が生んだ本当の大(だい)天才である。他の思想家や知識人たちとは隔絶して、超然としている。先生の学識は広大(こうだい)であり無辺(むへん)である。このことは、小室本(ぼん)を読む人々の共通の理解である。私が先生の人柄に直接した者として思い出し回顧することはたくさんある。
これほどの大(だい)知識人は、日本にはもはや現(あらわ)れない。空前絶後(くうぜんぜつご)(これ迄も現れないし、これからも現れない)と言うべきである。
小室直樹は死んで霊的存在になったが、同時に小室教学(きょうがく)の主唱者(プロタゴニストprotagonist)である。死して猶(な)お霊であると同時に、小室百学(ひゃくがく)の逐条解説者(コメンタトーレ)であり続けている。
先生は、まさに百もの学問を渉猟(しょうりょう)し、その深淵(しんえん)に至達した碩学(せきがく)である。死してその学問的遺産の巨大さと私たちは直面する。私は、浅学菲才(せんがくひさい)にして、小室先聖(せんせい)の十分な解説者の能力を持たない。だが、門人(もんじん)として、その先鋒(せんぽう)、先鞭(せんべん)をつけることはできる。
本書は、1993年、先生が60歳のときに書かれた。
本書の中心の課題(テーマ)は、日本国(こく)の「天皇の原理」を顕(あき)らかにしたことである。ところが、そこに至る天皇の原理の導出(どうしゅつ)に、宗教の原理が横たわる。
本書は冒頭から、この地上(人類の五千年史)に存在する大(だい)宗教たるユダヤ教とキリスト教の原理が延々(えんえん)と解説(コンメンタール)される。ここに中国の儒教と仏教の原理が加わって、比較宗教の壮大で絢爛(けんらん)豪華たる知識が縦横無尽に横溢(おういつ)する(溢[あふ]れ出る)。さらにイスラム教の原理との対比も加わる。先生は進んで第6章では、「日本における法(law[ラー])の不在」となって、世界と隔絶する日本教(きょう)の原理が解説(コンメンタール)される。
「わが国の仏教が(インド、中国伝来の)戒律(かいりつ)を遂に抹殺(まっさつ)したこと」(本書P209)で、「日本における法の不在」となった。日蓮、法然、親鸞と続いて「日本は、仏教の戒律の一切を消してしまった」即(すなわ)ち「(日本人は)法律などにうったえてカドを立てるよりも、以心伝心で阿吽(あうん)の呼吸の間に解決したほうが、紛争の解決は容易である」(同ページ)。
これが第7、8章で「天皇の原理」の大団円(だいだんえん)(証明の完成)となる。天皇は、承久(じょうきゅう)の変(西暦1221年。後鳥羽[ごとば]上皇のとき)に、北条氏によって、一旦滅び、しかし復活(レザーレクション resurrection)した。
古代王朝(平安時代の末期)はこのあと、後醍醐(ごだいご)天皇の建武中興(1333年)の失政( 武家を圧迫したために反抗が起きた)で再び滅んだ。そして武家(ぶけ)の世になった(足利氏による室町時代)。
しかし、江戸時代に長く涵養(かんよう)された山崎闇斉(あんさい)の崎門(きもん)の学(幕末の水戸学を含む)が、尊王(そんのう)の思想となって結実(けつじつ)、台頭し、明治維新で王政復古(レストアレーション restoration )して、天皇は2度復活した。
だが、これが、昭和の戦争(第2次世界大戦。1945年結末)で、日本は初めての敗戦国となり、天皇は3度死んだ。天皇の原理は風前の灯(ともしび)となった。だがこのあと、日本国天皇は、イエス・キリストの死と復活(レザーレクション)と全く同じく、3度目の復活(レザーレクション)を果した。そして、今に存続する。
日本史上1度目の天皇の大失政は、74代鳥羽(とば)天皇(在位1107~1123年)の、女狂いから起きた。鳥羽天皇は上皇になって、美福門院(びふくもんいん)という女御(にょうご)に色狂った。1141年(永治[えいじ]元年)に、自分の長男(嗣子[し])である75台崇徳(すとく)天皇を無理やり退位させた(まだ23歳)。
そしてこの愛人(寵姫[ちょうき])との子で何とまだ3歳、を天皇にした。これが近衛(このえ)天皇(76代)である。崇徳(すとく)天皇は怒り狂って、以後長く、日本国の祟神(たたりがみ)となる。
鳥羽上皇が色狂ったことで天倫(てんりん)の序(じょ)(長子相続法)を壊したために、天下大乱となって保元(ほうげん)の乱(らん)(1156年7月)を引き起こした。この時、高位貴族である藤原摂関家(せっかんけ)だけでなく、天皇の警護役(左馬[さま]の守[かみ]。馬の口取り)であった、源氏と平氏の侍(さむらい)たち(当時は下臈=げろう=扱い)までが、肉親まで分裂して合い食(は)む、激しい戦闘になった。この時、日本の古代王朝(平安王朝末期)が終わった。
このことを書いたのが、栗山潜鋒(くりまやせんぽう)(儒学[じゅがく]者、水戸藩士)の『保建(ほうけん)大記』(1689年刊 )である。
この日本歴史の大事件は、本書に先行する小室先生の「天皇恐るべし(畏るべし)」(1986年、文藝春秋刊。24冊目。2016年ビジネス社から復刊)に詳しく書かれている。
それでも、天皇は復活(レザーレクション resurrection )した。それは何故か。このことが本書第7章の「天皇と日本」に導出されている。
(引用はじめ)
天皇の復活
承久の乱(1221年。北条義時(よしとき)による後鳥羽上皇の島流し)は、
「ポツダム宣言」受諾(1945年8月15日)、「天皇の人間宣言」(1946
年1月1日。天皇の神格(しんかく)否定の詔書)にも比すべき、日本史最大の
事件である。
天皇の神勅的(しんちょくてき)正統性(せいとうせい)に致命的打撃を与え、
ひとたびは、これをこなごなに粉砕した。
この正統性の破片をひろいあげて結び合わせ癒着させて生体(せいたい)
にまとめ上げる作業。というよりもこれは、イエス・キリストの復活そのもの
である。
ひとたび十字架上で死したイエス・キリストは復活する。
復活することによって、イエスはキリスト(救世主)であることを証明した。
神であることを証明したのであった。死と復活によってはじめて、人びとはイエ
スを信ずるようになった。死と復活。これがキリスト教の要諦(ようたい)。
(本書P223~224)
(引用終わり)
副島隆彦です。 小室直樹は、ここではっきりと「イエスの死と復活(を認めること)」をキリスト教の根本、即ち要(よう)諦(たい)とする。これとの類推(コロラリー)どころか、まさしく同一型(アイソモルフィー)として、日本天皇の死と復活を大きく促(とら)える。小室は書く。
(引用はじめ)
「天皇」は神である。その「神である」とは、「キリスト教的神である」。
これ、本書のテーマである(引用者注。これが本書の中心の主張である)。
キリスト教において、神は死んで復活する。
つぎに、日本歴史において、天皇の死と復活のプロセスを見てゆきたい。
天皇の死。それが、承久の乱。神勅的正統性によれば、天皇に抵抗する
ということは、あり得(う)べからざることである。
天皇は絶対に正しい。
これが、天皇イデオロギーの生命。
その生命が断たれたのである。まさに、天皇の死。 (本書P225)
(引用終わり)
そしてこのあと天皇は復活する。
この本の本髄がここではっきりと書かれている。
神による人間の救済(サルベーション)(救[すく]い)について予定説(よていせつ)がある。
人間の救済は、予(あらかじ)め、神によって決められている。この考えを救済の予定説(プレデスティネイション predestination)と言う。この考えは、まずイエス・キリストの使徒(アポストル)を自称したパウロ(Paul紀元後40年ごろ)によって提起された。パウロはイエスに会ったことがない。
のちに、ヨーロッパのプロテスタント運動の時、フランス人のカルヴァン(Calvin 1530年代)によって唱え直された。
神が、その人あるいは民族(国民)を救済するか、あるいは救済しないか、は前もって予め決定されている。だから、その人がどんなに深くキリストを信仰し、まじめに生きても、救済されるか否かは、神だけが決める。かつ、そのことはすでに予(あらかじ)め決定されている、という理論である。
このキリスト教の救済の予定説(プレデスティネイション predestination )は、そのまま日本国の天皇の原理に置き喚わる。
小室直樹によって、神による救済の選別(選(えら)び)は、非情のものとして使徒パウロによって次のように書かれている。
(引用はじめ)
こうして選(えら)びは望(のぞ)む者(もの)や走る者(もの)によらず、神(かみ)の
憐(あわ)れみ による。 (「ローマ人への手紙」第9章 16)
人間が、意志や努力によって(いくら)道徳を実践したとて無意味。救済(すく
い。選び、予定)とは、全然、関係ない。 (本書P136)
救われる者と救われない者の区別の神による予定は、天地創造より前に決定さ
れており、人間がどんなよいこと(わるいこと)をしてもしなくても、絶対に動か
せない。これを人間が動かし得るなどと考えることは、あり得べからざる思想であ
る。 (本書P136)
(引用終わり)
副島隆彦です。 従って、自分が救われるか否かを神に問いかけてはならない。「神に問うなかれ。神を試(ため)すなかれ」そして、これと全く同形のものとして、日本国の神である天皇は、絶対的に無条件に存在する。
小室直樹先生には、本書②『「天皇」の原理』(1993年初版。文藝春秋。42冊目)の他に、「宗教の原理」についての重要な2冊がある。それは、前記した①『天皇恐るべし』(1986年初版、文藝春秋刊。のちビジネス社復刊。24冊目の本)と、
③『日本人のための宗教原論』(2000年徳間書店刊。59冊目の本。先生が68歳の時の本)である。この3冊を繰り返し読むことで、私たちは、小室直樹の思想の根本に到達することができる。
「神が正しいと決めたから、正しい」 (本書P234)。
このことは即ち正義(ジャスティス)(正しいこと)は神への信仰のみによって決定される。
〝 Justice (ジャスティス) is (イズ) decided (デサイデッド) by ( バイ)
faith(フェイス) alone(アローン) . “
と現代の英語では平易に言われる。
「正義は、ただ信仰によってのみ決定される」のである。 ゆえに、いくら人が信心深くても、善行を積んでも、救われる(救済される)か否かは神が決める。
山崎闇斎(やまざきあんさい) の 崎(き)門(もん)の学 は、門人(もんじん 弟子 )の前出した栗山潜鋒(くりやませんぽう) の 『保建大記(ほうけんたいき)』(1689年)と、同時代人 の 浅見絅斎(あさみけいさい) によって深まる。浅見が栗山よりも19歳上である。小室は書く。
(引用はじめ)
明治以来の天皇イデオロギーの神髄は、浅(あさ)見(み)絅(けい)斎(さい)
( 一六五二~一七一一)の説にある。 「教典」は、『靖(せい)献(けん)遺(い)
言(げん)』である。
ところで、ここに、摩(ま)訶(か)不(ふ)思(し)議(ぎ)なこと。日本人は、きれい
に、浅見絅斎を忘れ去ってしまった。
幕末においては、『靖献遺言』はベストセラー(いや、ミリオンセラー)
であり、明治初期においては、まだ、かなり、読まれていた。 (本書P235)
(引用終わり)
副島隆彦です。この『靖献遺言(せいけんいげん)』が、幕末の尊王攘夷思想の強烈なイデオロギー(イデア・ロゴス idea – logos )となって、激しい尊王思想となり、同時に攘夷(じょうい)(外国人、就中[なかんづく]欧米白人たちを直(ただ)ちに打ち払え) の排外主義(はいがいしゅぎ chauvinism[ショウヴィニズム], xenophobia[ゼノフォービア] )の煽動の書となった。これが「皇国史観(こうこくしかん)」の中心の書である。ところが。小室は書く。
(引用はじめ)
「皇国史観」とひとくちに言ったって、
(1)栗山潜鋒(くりやませんぽう)(一六七一~一七〇六)を代表とする崎門(きもん)の学の皇国史観。当時まだ、「皇国」という用語(ターム)はなかったが、説明の便宜のために、ここに使用しておきたい。
(2)平泉澄(ひらいずみきよし)博士の皇国史観。同博士は、この用語を好まなかったが。
(3)戦前・戦中(終戦直後)までの日本文部省製作の国史教科書、修身教科書などにおける皇国史観。
これら三者は、卒爾(そつじ)にして一瞥(いちべつ)を投ずるときには、あるいは似ているような気もしてこようが、よく読んでみると、全然、ちがったものであることに気付くはずである。
〈中略〉
戦前・戦中の国史(上下二冊)、修身の教科書。(これが)「皇国史観」のかたまりと思いきや (引用者注。これが後掲する『国体の本義』である) 。
皇国史観のイデオローグ、プロタゴニスト(主役)、元祖開山(がんそかいざん)たる浅見絅斎(あさみけいさい)について一字も書いてないのである。絅斎は、完全に抹殺されているのである。 (本書P236~237)
(引用終わり)
副島隆彦です。小室直樹は、皇国史観について、上 の(1)(2)(3)の3つを挙げて(1)の『保建大記(ほうけんたいき)』 及び 浅見絅斎の『靖献遺言(せいけんいげん)』 が、昭和の戦争の時代になって、(3)の文部省の 国史教科書、すなわち
『国体(こくたい)の本義(ほんぎ)』によって摩(す)り替(か)えられ完全に、抹殺された、と書いている。
昭和(1930年代)になると、この『国体の本義』を編纂(へんさん)するために集まった、(3)の、ただ偏狭なだけの右翼思想家たちによって、天皇の原理、即ち皇国史観は大きく変質した。
そうして 英と米による世界支配に、無謀、短慮(たんりょ)に反発し対決することで、英米の罠(わな)に嵌(はま)った。
狭量(きょうりょう) の二流の国文学者や僧侶たちが、ここに結集して、田中智学(たなかちがく)という日蓮宗僧侶が、八紘一宇(はっこういちう)(日本を中心とする世界統一)を掲げて「国体(こくたい)」というコトバを作り、「国柱会(こくちゅうかい)」(1914年創立)を作って、いきり立つ軍人たちに影響を与えた。
国粋右翼の議員たちが、東大の憲法学者 美濃部達吉(みのべたつきち)の冷静に考えれば当り前である、「天皇(は国家の)機関説」を排撃した。 そのために「国体(こくたい)明徴(めいちょう)声明」(1935〔昭和10〕年2月)を発表した。昭和天皇自身(この時、34歳) は、「朕(ちん、私)は、美濃部の 機関説でいい」と言ったのだ。
ところが、国粋主義者たちは、勢いに乗って、その2年後に、前出の『国体(こくたい)の本義(ほんぎ)』(1937〔昭和12〕年)という(3)の文部省作成の学校教科書を、山田孝雄(よしお)や久松潜一ら二流の国文学者たちが総結集して作った。ここに和辻哲郎(わつじてつろう)までもいる。
そして彼らは、天皇翼賛(よくさん)政治体制を築いて、戦争に突入していった。そして敗戦後に、無惨に自分たちの名前を落とした。そして歴史の藻屑(もくず)と消えた。二流、三流知識人の宿命である。
小室直樹先生は、それら矯激で愚劣な国粋主義の反共(はんきょう)(産主義)右翼たちが、戦後に歩んだ愚かな道と、自らを厳しく峻別(しゅんべつ)した。
このことの集大成が、まさしく前記した、小室直樹著の3冊による「宗教の原理」研究の大成である。ここに導出された「天皇の原理」の解明であった。即ち本書である。
私はこれだけ をこの本の冒頭に書いて、本書への道標(どうひょう。みちしるべ) とする。先生の御(ご)霊前に献げまする。 副島隆彦
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(本書の) 序 小室直樹
天皇は奇蹟(ミラクル)である。
明治維新は、外国人(例。英公使パークス)には、奇蹟としか観じようがない。いかなる大革命も比較を絶するこれほどの大変革が、天皇の命令によってなぜ可能であったのか。
天皇は、まさしく神である。現人神(あらひとがみ)である。
それ以外の理由は考えられない。
ほとんど同時代になされたドイツ帝国統一をみよ。イタリア統一をみよ。アメリカ第二革命(南北戦争)をみよ。旧来の残滓の多さ、明治維新と同世紀の談ではない。
昭和天皇の奇蹟。
「王冠は敗戦を生きのびられない」そのとおり。ハプスブルク家をみよ、ホーヘンツォルレルン家をみよ。ロマノフ家はいうも更なり。
昭和天皇にかぎって、敗戦を生きのびたもうただけではない。日本は死者の中からよみがえり、経済超大国として復活した。
現人神はいかにして誕生したのか。エルサレムのヘブライ大学教授シロニー氏は著者との討論において言った。
日本人とユダヤ人は対蹠(たいせき)的である。
日本人とユダヤ人だけが世界史上唯(ただ)二つ。神からのぞみの地を約束された民(たみ)である。
それなのに、日本人は、のぞみの地に居ついて不動。ユダヤ人のほうは、出たり帰ったり、また出たり。最後にやっと帰ってきたけれど。
他方、日本人は外国へ出たら最後、三世ともたない。二世ですでに日本人らしくなくなりはじめる。
ユダヤ人は。外国へ出っぱなしになって、何世代を経ようとも、やはり、ユダヤ人。著者は質問した。なぜでしょうね、と。
シロニー教授の答は、ムニャムニャで、満足すべき答から、ほど遠かった。
そこで、著者自身が考えてみることにした。天皇の秘密を解くうえで、ユダヤ教ほど適切な補助線はない。
それが本書である。
しかし、草●(そうもう)の臣が御成婚記念としたい希望により急いだため、崎門(きもん)の学の展開過程についての「詳論」は、つぎの機会にまわさざるを得なかった。
乞御了承(こうごりょうしょう)。
平成五(1993)年五月九日 小室直樹
=====
「天皇」の原理 ─ 目次
解説文─002
序─013
第1章│神に約束された国々
恩恵と律法─022
エジプト脱出─027
モーセのとりなし─032
反抗するイスラエル人─035
神の栄光のために人間が必要─039
偶像禁止─042
世界宗教たる資格─044
ユダヤ教の契約の箱─048
第2章│個人救済と集団救済
宗教による救済の方法─052
預言と未来予測─055
予測か占いか─056
儒教における「天」─059
ソドムとゴモラ─063
集団処罰の論理─065
奇蹟と宗教─069
奇蹟こそ神の証明─073
第3章│予定説と因果律
強靭となったユダヤ教─080
ユダヤ教における救済─084
●神(とくしん)の民─086
古代ユダヤ教の成熟─089
神勅を分析する─091
仏教の論理は因果律─096
神は不公平である─100
創造主と被造物─102
神は絶対─107
第4章│救われる者と救われざる者
善悪は法によって決まる─112
神の意志決定は自由─117
救済される人、されない人─121
予定説の神髄─124
キリストのあがない─127
キリスト者になるということ─130
パウロの解─134
第5章│キリストによる恩恵
予定説なくしてキリスト教なし─142
義人はいない─146
神を信じるということ─150
キリスト教とユダヤ教─151
第6章│日本における「法の不在」
日本人とユダヤ人─158
パウロの決断─163
イエスの判例変更による─165
神と法律との切断─169
教会法─172
仏教とは、戒律である─173
日本仏教の「キリスト教化」─177
日本仏教の無戒律化─181
僧俗の峻別─183
戒律不在と法不在─186
末法の思想─189
内に住む罪─193
浄土真宗とキリスト教─197
もはや、さとりはひらけない─202
日本における法不在─204
宗教と法律─207
第7章│天皇と日本
天皇システムの危機─212
予定説から因果律へ─217
『神皇正統記』の意味─220
天皇の復活─223
明恵上人の不思議─227
きわめて重大な思想─229
近代絶対主義の論理─233
浅見絅斎─235
第8章│死と復活の原理
天皇神格主義と善政主義─240
逆賊といえども、必敗せず─246
神国思想の変質─249
建武の中興と天皇の正統性─255
カルケドン信条における神─257
イスラム教ではキリストはただの人─261
天皇の復活─266
小室直樹文献一覧─273
(終わり)
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