「1897」 田中進二郎著『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』が発売される 2020年9月22日
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SNSI・副島隆彦の学問道場研究員の古村治彦です。今日は2020年9月22日です。
今回は、副島隆彦の学問道場の田中進二郎(たなかしんじろう)研究員のデビュー作『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』(電波社、2020年)を紹介します。田中研究員の渾身の研究成果が一冊にまとめられ、単著デビューとなります。発売日は2020年9月24日で、今週末には全国の大型書店に配本されるでしょう(加筆します。発売日が9月28日に変更になりました、2020年9月24日)。
本書で、田中進二郎研究員は、1500年代から1600年代、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が天下を統一した時代の日本におけるキリスト教(イエズス会)の動きを丹念に調べ上げ、新しい事実を明らかにしている。キリシタン大名、隠れキリシタン大名が数多く日本に存在したが、これはイエズス会による日本の「神の国」化、属国化のための策動の結果だった。
これに対して、信長、秀吉、家康がどのように振る舞ったのか、が本書によって明らかにされている。これら英傑3人はイエズス会の目的を見抜き、それぞれに対応した。信長、秀吉、家康と言えば、鳴かないホトトギスに対してどう対応するか、で、「信長は殺す、秀吉は鳴かせてみせる、家康は鳴くまで待とう」という言葉が有名だ。それぞれはこの言葉に近いやり方でキリスト教、イエズス会に対応した。
今年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公は明智光秀で、時代は本書が取り扱っている時代そのものだ。毎度のことでNHK大河ドラマは常識やこれまでの研究から逸脱するものではない。ドラマが物足りないと思っている皆さんには必読の一冊である。
以下に、副島隆彦先生による推薦文、目次、田中進二郎氏によるあとがきを掲載します。これらを参考にして、是非本書を手に取ってお読みください。
(貼り付けはじめ)
推薦文 副島隆彦
本書の圧巻(あっかん)は、加賀(石川県)金沢の大名、前田利家(としいえ)のもとに落ち延びた、キリシタン大名の筆頭、高山右近(たかやまうこん)が、そのあと25年にもわたり、加賀でイエズス会宣教師たちとともに密かに布教活動を続けていた事実を明らかにしたことである。秀吉のキリシタン禁教令天正15(1587)年6月のすぐあとからだ。金沢は今やキリシタン文化都市として知られる。
古参の内藤ジョアン(如安)も右近と合流した。なんと彼らは、秀吉の朝鮮出兵を片付ける停戦協議まで、中国の明(みん)帝国を相手に小西行長(こにしゆきなが)とともに、秀吉に事実を隠しながら秘密裏に行っていた。この史実を田中進二郎は、今回探り当てた。
だから前田利家(と妻まつ)がこの本の真(しん)の主人公である。前田利家は秀吉と激しく暗闘した。そして家康と組んで、辛(から)くも家名を残した。高山右近らは、家康による大坂城攻めの直前(1カ月前)1614年9月に、マニラとマカオに追放された。右近はこの年、マカオで死んだ。
本書は、私が主宰する学問道場の、私の弟子の田中進二郎(たなかしんじろう)君が書いた初めての単著である。田中君はこれまでに学問道場SNSI論文集である『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』(成甲書房 2014年刊)と『蕃書調所(ばんしょしらべしょ)の研究 明治日本を創った幕府の天才たち』(成甲書房 2016年刊)で、フリーメイソンが幕末の日本で果たした大きな役割を鋭く描いた。
私は、2019年4月に田中君たちを連れて名古屋駅から近くの、元は穢(きたな)い湿地帯だった中村区に調査に行った。中村で生まれた秀吉は、川筋衆(かわすじしゅう)と呼ばれる下層民の出だ。信長の小者衆(こものしゅう)の草履取りから出世した。ここから100メートル離れたところに加藤清正の生家もある。清正は生涯、秀吉に臣従して、家康に嫌われた。歌舞伎役者の初代・中村勘三郎(かんざぶろう)もここで生まれ、秀吉の生家のすぐそばに銅像があった。だから姓が中村なのだ。
川筋衆(かわすじしゅう)(漁労民(ぎょろうみん)系。ここから真実の集団戦をする武士団が生まれた)と河原者(かわらもの)(芸能集団)、そして戦場撹乱者である乱波(らっぱ)、スッパ、細作(さいさく)、間者(かんじゃ)と呼ばれた戦場スパイ組織(のちの忍者、公儀隠密 )は、もともと出自(しゅつじ)が同じであることが分かった。現地で確かめた。
前田利家も信長の小姓衆から這い上がったが、秀吉よりは格上の武士である。過酷な勤務評定で知られる信長軍団の中で両者は生き延びた。秀吉と反目し何度か命を狙われた。結局、徳川家康が前田氏を守った。妻のまつは自ら家康の人質となった。
南九州(薩摩)の島津の家紋の「丸に十字」〇に十 は、本当は 〇に♰ で縦棒が長い。関ヶ原合戦のときの戦陣旗はこっちだ。
加藤氏が滅んだあとの肥後熊本の細川氏も幽斎(ゆうさい)藤孝(ふじたか)、忠興(ただおき)、忠利(ただとし)も隠れキリシタン大名だ。NHKの大河ドラマが正直に描いた。筑前福岡の黒田官兵衛(如水)、長政もそうだ。豊後(ぶんご)大分で一番初めのキリシタンの大友氏は宗麟(そうりん)の次の義統(よしむね)で滅んだ。安芸(あき)広島の福島正則もキリシタン大名だったが滅びた。
明智光秀を山崎の戦いで破った“摂津(せっつ)三人衆”の池田恒興(つねおき)、中川清秀、高山右近もキリシタン大名である。中川氏は滅んだ。池田氏は隠れキリシタン思想を取り入れた善政を敷いて、備中(びっちゅう)備前(びぜん)藩(岡山)として明治まで続いた。池田光政は陽明学者熊沢蕃山(くまざわばんざん)を庇護した。蕃山や山鹿素行(やまがそこう)の陽明学(ようめいがく)は、朱子学と並ぶ近世儒教(日本では儒学)とされるが、その正体は、中国化したキリスト教である。このことを私たちの学問道場が解明した。私たちの大きな業績である。
高槻城主だった高山右近は、冒頭に書いた秀吉のバテレン追放令(1587年6月)で
城を失い、加賀の前田利家のもとに落ち延びた。
奥州仙台の伊達氏(政宗【まさむね】以来)は伊達者(だてもの)と呼ばれた金糸銀糸のキリシタン織りを兵士たちに着せた。政宗は支倉常長(宗派はフランシスコ派)を太平洋航路でローマに送った。出羽(でわ)(秋田)の佐竹氏と陸奥(むつ)(岩手)の南部(なんぶ)氏もキリシタン大名だ。京阪で弾圧を逃れた多くのキリシタンが鉱山掘り師となって生きた。何と水戸の徳川氏もキリシタンである。
田中は本書で、イエズス会史料『信長公記』、『太閤記』(数冊ある)のような日本の史書は、権力者におもねるが故に脚色が過ぎて、真実とかけ離れていると指摘する。権力者に都合が悪い事実は抹消するという伝統は、どこの国にもあることで、現在も繰り返される公文 書(こうぶんしょ)改ざん問題で、われわれが知るところである。
日本は世界の一部であり、故 ゆえ に確実に日本史は世界史の一部である。これまでの日本国内の史書だけに依拠して書かれた、虚偽(ウソ)の多い日本史の本は、大いに改めなければならない。
本書『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』は、私が書いた『信長はイエズス会に爆殺 され、家康は摩り替えられた』(PHP研究所 2016年刊)の隙間(すきま)を埋めた。天下人(てんかびと)となった信長、秀吉、家康のまん中の私がやっていなかったことを書いてくれた。
フランシスコ・ザビエルが日本にやってきて(1549年)から、鎖国の完成(1641年)までの約100年のキリシタン大名の歴史を、イエズス会士(ジェズーイット・プリースト)中の碩学(せきがく)であるルイス・フロイスの『日本史』を読み解いて、そこに横たわるローマ・カトリック教会の隠された日本占領、支配の計画を田中は明らかにした。
巻頭から、恐ろしいザビエルの本性が描かれる。イエズス会の創立者イグナティウス・ロヨラに次ぐナンバー2のザビエル(シャビエル)は、ヨーロッパで荒れ狂う宗教改革(リフォーメイション。反(はん)カトリック運動)を避けて、それでは、と世界中に出て行って植民地支配し、「神(かみ)の国(くに)」に作り変え、ローマ教に献上される属国にするために動いた。
田中によると、日本のキリシタン研究はカトリック文学だそうだ。なるほど、と思う。耶蘇教(やそきょう)はイエズス会のことだ。耶蘇会(やそかい)とも言う。イエズズ会( Jesuit 、Society of Jesus ジェズーイット。ソサエティ・オブ・ジーザス)は、キリスト教のカトリック教団内の一派である。狡猾にも平信徒の会のふりもする。キリスト教そのものは、天主教(てんしゅきょう)と訳さなければいけない。×天「守」閣も本当は、天主閣である。これは世界基準での学問用語である(中国ではこう書く)から、長年の誤表記は、日本史の学者たちの怠慢と無能の所為(せい)である。
秀吉、家康にたくさん殺されたキリシタン弾圧の殉教者(マーター martyr )たちが、絶対正義だとする考えをいつまでものさばらせておいてはいけない、日本人の知識人の側からの反撃がなければならない。イエズス会(とカトリック)の日本支配(洗脳)計画は、強く批判されなければならない。
家康は、今川氏(義元(よしもと))と織田信長の二重スパイであった。戦場忍者集団(願人坊主(がんじんぼうず)たち)によって幼年から育てられた男である。彼らは今川方を裏切って信長に付き、桶狭間(おけはざま)の合戦(1560年5月)の直後、信長の命令で、翌年、家康は三河(みかわ)大名・松平元康(もとややす)にすり替わった。秀吉と家康は、信長の忠実なカーボン・コピーである。
戦国時代にキリシタン大名はものすごい数でいた。天下人(信長、秀吉、家康)以外はほとんど隠れキリシタンだったのではないか。世界を席巻した最先端の、光輝( ひかりかがや)く思想の流行に、まず女たちから先に(人間を救済(きゅうさい)する、と説いたから)感染したのには、確かに強い理由がある。
ルイス・フロイスの『日本史』を厳密に解読すれば、上司のヴァリニャーニが信長殺し
の「本能寺の変」の主謀者であることが分かる。この時代にヨーロッパで次々と起こって
いたローマ教会による「王殺し(regicide レジサイド)、父殺し(patricide パトリサイド)」と同じだ、と田中は指摘している。
「父 パトリサイド 殺し」というのは、ユダヤ教の創始者モーセが、自分が引き連れてきたエジプトからの集団(開拓農民だ)に石打ちで殺されたとする考え(思想)だ。
カナーンの地(今のパレスチナ)に到着する、直前にモーセ殺害があったと、精神分析学の祖ジークムント・フロイトが、死に間際に『モーセと一神教』(1939年)で発表した。モーセ殺しの秘密を共有した者たちがユダヤ民族を作った。キリスト教(本当はパウロ教)も、イエス処刑のあとイエスを神棚に祀 まつ ることで、同じ成り立ちをしている。
信長は、明らかに大(だい)天才の日本人で無神論者(エイシスト)だった。信長という父を「父殺し」したとするのが、田中の新説だ。イエズス会による信長の爆殺は、日本国にとって今なお許すことのできない暴挙である。
そしてさらに、次の天下人である秀吉もまた、イエズス会の支配下にあったキリシタン大名連中(れんじゅう)によって毒殺されたことが、この本によって明らかにされた。
2020年9月 副島隆彦
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秀吉はキリシタン大名に毒殺された 目次
推薦文 ―― 副島隆彦 3
第1部 イエズス会と戦国大名の危険な関係
序章 イエズス会結成にいたる歴史 18
ザビエル「空白の10カ月」 26
千利休が大成した茶の湯はカトリックのミサ(聖餐)の儀式である 33
ローマ教皇が茶室でミサを行うことを公認していた 36
火薬ビジネスとイエズス会ネットワーク 44
細川藤孝と明智光秀はイエズス会のエージェントだった 46
戦国時代の新興宗教=天道思想はキリスト教 49
信長絶対王政と重商主義 51
イエズス会は信長とともに明帝国を挟み撃ちする計画だった 55
戦国日本の戦争の本当の真実 60
本能寺の変の予行演習だった荒木村重の謀叛 66
黒田官兵衛もワルのキリシタン大名だ 68
黒人侍従ヤスケが本能寺に爆薬を仕掛けた実行犯である 72
安土城の天主閣は「デウス=信長のおわします塔」という意味だ 79
無神論者の信長が日本史上空前の宗教革命を起こした 83
デウスの起源はエジプトのアメン神である 89
ルイス・フロイスは後から来日したヴァリニャーニに手柄を奪われた 94
当時最先端の西洋の科学を知っていたヴァリニャーニ 98
天正遣欧少年使節はなぜ信長の家臣たちから選ばれなかったのか? 102
火薬ビジネスで大きくなった角倉財閥 105
明智光秀は征夷大将軍に任命されるはずだった 108
本能寺の変 信長、光秀、家康とイエズス会の動き 109
第2部 秀吉はキリシタン大名に毒殺され、徳川幕府は密かにキリシタンを利用した
備中高松城水攻めは軍師官兵衛がつくったフィクションだ 122
本能寺の変の前に秀吉と毛利は和睦が成立していた 126
イエズス会に振り回される明智光秀 128
高山右近はわずか一千の手勢で光秀の本隊を破った 133
どうしても織田家の上に立ちたかった秀吉 139
ローマ教会=イエズス会が隠匿したヴァリニャーニと蒲生氏郷の密約 148
キリシタン大名で埋め尽くされた秀吉政権 153
高山右近は加賀前田藩を隠れキリシタン王国に変えた 160
バテレン追放令とスペイン-イエズス会の日本侵略計画 169
未遂に終わった第 2 の「本能寺の変」と利休の処刑 176
秀吉の大粛清と朝鮮出兵 182
関ケ原の戦いへつながる関白秀次一族の粛清事件 191
ローマ教会は新教徒派の国王を次々と暗殺した 200
関ケ原の戦いと大坂の陣はオランダ・イギリスの最新兵器で決着がついた 206
家康はキリシタン大名を引き剥がして勝利した 208
関ケ原の戦役の常識はほとんどが後代の創作 214
角倉財閥はイエズス会を抜け出て生き延びた 223
隠れキリシタンの力を用いた江戸幕府の関東開拓事業 225
隠れキリシタン大名が隠し持っていたアルキメデスの水利技術 231
家康の孫・松平忠直も隠れキリシタンだった 233
おわりに 244
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おわりに
本書では、イエズス会の成立した1530年代から、日本が鎖国に入る前までの約100年のキリシタン大名の歴史を扱った。戦国期と明治期の二回、日本でキリスト教は大流行している。
戦国日本では爆発的な流行だった。研究して驚いたのは、秀吉のバテレン追放令(1587年)と徳川幕府の禁教令(1612・1613年)のそれぞれの後に、むしろキリシタンは激増していた、という事実である。おそらく大阪夏の陣のころがピークだった。また、徳川政権下での殉教者の数は、数万人と推定されている。これは島原の乱よりも前のことである。恐ろしい迫害があったことが分かる。そこまで、徹底的にキリスト教(耶蘇教、天主教)を根絶しようと幕府がしたのは、なぜか?
そして、本当は根絶どころか、大名たちは隠れキリシタンとして、命脈を保ち続けたのではないか? という疑問を、筆者なりに解いてみたのが、本書である。
筆者・田中進二郎は、監修者の副島隆彦氏の不肖の弟子である。副島先生から「隠れキリシタン大名について調べてみなさい」と勧められて、調査を開始した。調べていくうちに、一般に隠れキリシタンや潜伏キリシタンと呼ばれているものと、「隠れキリシタン大名」というのは別物だ、ということが分かってきた。
大友氏や大村氏、有馬氏など九州のキリシタン大名たちが、信仰心だけで宣教師に布教を許可したのではないことは、よく知られている。だが、禁教令後の、形の上では棄教したことになっている「隠れキリシタン大名」は、本当は支配者として、民衆とはまったく異質のキリスト教を信仰していたのではないか、と思える。ローマ教会が言う「神の国」に貧しい者が行く手段は、本当は殉教以外にはなかった。殉教してはじめて、教会は貧者を自分たちと同列に扱った。権力者は魂の救いがそもそも必要でないだろう。
大名クラスの人間には、もともと宗教は政治の道具だ。民衆に宗教という「阿片」を吸わせておけばいいのだ。秀吉のような天下人に「救い」は、必要がない。逆だ。秀吉は権力を手に入れるために、イエズス会と結託したのだ。そして激しい権力闘争をキリシタン大名たちと演じたのだ。そして戦いの果てに、敗れて殺された。信長はイエズス会を乗っ取ってやるぐらいに思っていただろう。家康は隠れキリシタン大名を寝返らせて、関ヶ原に勝利した。
天下人の信長、秀吉、家康だけがローマ・カトリック教会の虚偽を完全に見破っていたのだ。その境地というのは、同時代の哲学者のデカルトやローマ教会から異端裁判を受けたガリレオたちと同じだ。ガリレオはユニテリアン派の科学者だった。デカルトは、十代でそのことを悟った。デカルトはイエズス会の神学校で特待生だった。「君は優秀過ぎるから、授業は受けなくてもよい。好きな時間に起きて出たい授業だけ出なさい」と言われていた。その彼がフランス国王・アンリ4世の暗殺の時に、葬式に参列し、イエズス会に対して、深い懐疑を抱いたのだ。
だから極論すると、戦国時代の天下人三人は、ヨーロッパの優れた哲学者たちと同列の偉人なんですよ、ということを書いておきたい。「キリスト教は邪教である」とニーチェが喝破した。ニーチェの思想と三人の天下人との間に大差はない。そのことを、本書を書きながら痛感した。
本書は、一介の塾講師に過ぎない私田中進二郎に、副島隆彦先生から単著を書く機会を与えてもらって生まれた本である。本を書く機会というのは誰にでもあるものではない。
副島学問道場のさる方から聞いたことだが、「本を書ける人は、東大に入れる人よりずっと少ない」とのことだ。大書店に行くと、書籍が氾濫(はんらん)していて、誰でも書けるような錯覚を起こすが、本当は大変な僥倖である。機会を与えてくださった上に最強の推薦文までいただきました。副島隆彦先生、ありがとうございます。そして、初めてのことゆえ、岩谷健一編集長にはご迷惑を掛け通しでした。深く感謝申し上げます。
2020年9月 田中進二郎
(貼り付け終わり)
(終わり)
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