「1811」 公開中の映画『ナディアの誓い』からクルド、中東情勢について語ります(第2回・全2回) 2019年2月28日
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副島隆彦です。今日は2019年2月28日です。
映画にもなった、ナディア・ムラドという女性の過酷な体験記から、中東アラブの解説の続きです。
■ISの真実
それでISイスラム国という 狂暴な連中が、どこから出現したか。この大事なことを、世界中どのメディアもテレビ新聞もこのことをはっきり言わない。ナディアの本を読んでいても、「2014年に突如出現した」という感じで書かれています。しかし正確にはその2、3年前から、いたよようだ。北イラクのモスルに、なんでISが出現したのか。700 km ぐらい離れたところにあるラッカという町があって、ここがシリアのちょうど真ん中のところです。このラッカにも、同時に IS が出現した。
ISの活動地域
ISは 7万人ぐらいですが、彼らはサウジアラビアの北のほうにある米軍の秘密基地で育てられた人です。それと、その西側にあるヨルダンという国の北の方の砂漠地帯にも米軍の秘密基地があります。そこで育てられた。IS の最高指導者のバグダディ(Abu Bakr al-Baghdadi、1971年―)という男は有名になりました。
バグダディ
私、副島隆彦が絶対に許せないのは、2004年から着々とISを作ったのはアメリカだということ。ISは2013年から台頭しはじめて、2014年6月に交戦状態に入った。このISという恐ろしい人殺し部隊を育てたのは、ヒラリーとマケインたちアメリカのムーニー Moonie(統一教会)勢力である。今では、ISの最高幹部のバグダディたちは、ほとんどが死んだようだ。ヒラリーたちは、アラブ人同士で戦争させて中東世界全体を戦乱状態に陥らせるということを、本気で計画して、そして実際にやった。
IS=イスラム国 の運動に、ヨーロッパ各国に移民として暮らしていたアラブ人の若者たちが思想感染して、2万人ぐらいが参加した。驚くべきことは、インドネシアからも3000人ぐらい、マレーシアからも1000人ぐらいが参加している。ものすごい数の外国人が、過激派イスラム教徒として世界中からISに参加している。有志連合による掃討作戦(ISへの空爆、地上戦)によって、そのうちどれぐらいが死んだか分からない。イラク国外に脱出して、何とか自分の国に逃げ帰った者たちもいる。ISに参加する目的でシリアやイラクに渡航してきたいわゆる国際義勇軍(ナショナル・ボランティア・アーミー)運動という熱狂に加わって、「外国人戦闘員(FTF)」になっていった者たちの末路も哀れである。初めからこのように仕組まれて作られた国際運動だったのだ。
だから、同じ米軍の中東派遣軍でも、「正義の米軍」と「邪悪な米軍」の2つがあることになる。この複雑な仕組みが分からないと、世界情勢を大きく、正しく捉えることができない。
【補足】ISは初めはクルディスタンの周辺を包囲して避難民が大量に国外に流出した。クルド人やヤジディ教徒に残虐な行為をした。米国などの空爆軍事支援で、2015年に入るとペシュメル(クルド人の軍隊)が周辺地域を奪還した。
2011年「3・11」に、日本では東日本大震災があった。大変だった。その年に、ヒラリーは国務長官(ステイト・セクレタリー、オバマ大統領に次ぐ閣僚)として、10月20日にリビアで指導者カダフィをぶっ殺した。その前日に、ヒラリーは自らリビアのトリポリに飛行機で入っている。その証拠写真が、当時世界中のネット上に載った。カダフィ殺害に直接手を下したのは、アフガニスタン人の人殺し部隊である。リビア人の反カダフィ派の部隊ではない。彼ら外国人の雇われ兵隊(下の写真)は、カダフィを殺したあと、アフガニスタンのカブールに凱旋しようとしたが、輸送機ごと着陸直前に襲撃された。口封じで殺されたのだ。ヒラリーはそういうことをたくさんした、残虐な女なのである。
カダフィを殺した傭兵たちと、ピースサインをするヒラリー
このヒラリーたちが育てたムーニーの、アメリカ国内のムーニー勢力であるマケインとか、こいつらが戦乱戦争を中東イスラム教徒の世界にまで持ち込む形で本気でやった。そしてカダフィ暗殺の一年後の2012年の9月に、今度はヒラリーのいちの子分で、ヒラリーが大統領になったら首席補佐官になると言われていた、駐リビア米大使のクリストファー・ スティーブンスが殺害された。カダフィの手下だったリビア人達(ヒラリーは彼らを制圧できたと思っていた)に殺された。これがベンガジ事件だ。オバマは、「ほらみろ、お前がろくでもないことするからだ」と言った。
殺害されたクリストファー・ スティーブンス
普通の日本人にはとても信じられないことだろう。普通の日本人は、こういう世界の真に恐ろしい政治の話には近寄らない。大きな真実など知りたくない。こぢんまりとした、自分の平和な世界の中で生きていきたい。私はこの判断は正しいと思う。しかし私は、そういうわけにはいかないのだ。「世界の大きな枠組みの中の真実」を日本人に知らしめるために生まれてきた。私は、自分の運命に従う。
前述したように、米国の中東の秘密基地は砂漠の中にある。ヨルダン国の北と、サウジアラビア国の北の砂漠地帯にある米軍の秘密基地(軍事空港でもある)で、ヒラリーたちは2003年までイラク軍の下級兵士だったスンニ派の若者たちに指導教育を行い、ISという狂暴な組織に育てた。ヒラリーたちは、彼らが持っていたイスラム教の狂信的な過激思想を煽動して増幅、増長、拡大させた。そして「IS(イスラム国)が中東全体を支配する」という恐ろしい戦乱の戦略を実行に移させた。
ヒラリーたちがISを作って戦争をさせるための資金400億ドル(4兆円)は、リビアのカダフィを殺して(2011年10月)奪い取ったものである。クリントン財団(ファウンデイション)の口座に一旦移したようだ。そのことが大きく露見したのが、2016年の「ヒラリー・メール事件」だ。
アメリカのヒラリー派の政治家、官僚たちと軍産複合体(ミニタリー・インダストリー・コンプレックス)が、ISを作ったのだ。そして、2014年から中東全体を激しい戦乱状態に陥れた。そして、ナディア・ムラドたちが悲しい体験をした。たくさんの人がシリアとイラクで死んだ。シリアだけでも1000万人、すなわち国民2200万人の半分が外国に逃げて、今もかなりの人がトルコやヨルダンにいる。死者は300万人ぐらいだろう。イラクも同じぐらいだろう。
シリア難民
避難民のうちの100万人が戦争難民(refugees レフュジーズ)としてヨーロッパにまで押しかけて、ヨーロッパ諸国がてんやわんやになった。ギリシャやイタリアの海を渡って、200万人以上が押し寄せて大騒ぎになった。それがヨーロッパの難民、移民問題である。
この事実をちゃんと見なきゃいけないのに、誰も本当のことを語ろうとしない。ナディアの本を読んでも、ヒラリー・クリントンの名前は一回も出てこない。ISをつくったのは、アメリカのリラリーは(クリントン財団)の勢力と、軍産複合体(ミニタリー・インダストリアル・コムプレックス)である。この事実が露見してしまうからだ。
ナディアたちヤジディ教徒とクルド人たちはアメリカが好きだ。は自分たちを助けてくれるアメリカが好きなのであって、自分たちを苦しめたジハーディスト(イスラム聖戦の過激派)のIS(「イスラム国」)を、つくって育てたのがヒラリーたちであることまでは知らない。日本人の多くも、スットボケげ知ろうとしない。少しはまじめに考えるべきだ。
■ISとアメリカ
2014年6月に、突如、ISがモスルとラッカを制圧した。このときに1000台ではすまない、ものすごい台数のトヨタ製のピックアップ・トラックとSUV(エスユーヴィー)の「ハイラックス」に載って、ISの戦闘部隊が、銃座を構えながら砂漠の道を行進する映像が流れた。あの真っ白い新車のピックアップ・トラックは、灼熱の砂漠の道に会っている。
ISが使うピックアップ・トラック
あの新車のトヨタ車を、ISは大量に、いったい、どこから買って手に入れたのか。車の代金は誰が払ったのか。トヨタ自身は、「我が社は知らない」と発表した。しかしあれは、明らかに、アメリカのテキサス州のサンアントニオのトヨタ大工場で造っているピックアップ・トラックである。
ISはそれをどこからどのように輸出したのか。誰が、その資金を出したのか?ほぼ明らかなことは、イスラエルのハイファという港と紅海(レッド・シー)のサウジアラビアの港と、ヨルダンのアカバ港(映画『アラビアのロレンス』で有名)から陸揚げした。こういう真実を日本人の専門家たちは分かっているくせに、一言も言わない。誰もひと言も言及しない。
前半で取り上げたヤジディ(クルド人の一種)のナディア・ムラドは、親切なイラク人の男と夫婦だということにして、偽の身分証を持って、検問所を通り越して行った。それから、キルクークからスライマーニアというところ(ここはクルディスタン)に移った。そこからアルビル(Erbil)という北イラクの都市に移った。このアルビルが、PDKクルド民主党、すなわちバルザーニ議長がいるクルディスタン(未承認国)の首都だ。
クルディスタンの地図
イラク北部の地図
モスルは、チグリス川の川沿いにある。シリアのラッカは、ユーフラテス川の川沿いにある。このことを日本人は知るべきです。チグリス、ユーフラテス川は知っているが、そのずっとアラビア海に注ぎ込む、この2つの大きな川です。この流れ沿いに大きな都市が出来ている。このことを私たちはそろそろ知るべきだ。
クルディスタンの首都であるアルビルを、もう覚えてください。モスルからはほんの 60kmぐらいのところだ。だからその戦乱の中にあると、どっちがどっちかよくわからないのです。モスルと、このナディアが生まれ育ったコウチョは、やっぱり 60 km ぐらい。たった 60 kmだから、本当に一晩、二晩、歩けば着くような距離です。そういうところでの激しい争い、戦いだ。そういう最前線のところで、戦車隊同士でぶつかり合って銃撃戦をやって、どっちかが負けてということが起きても、そこには普通の人はほとんどいない。それが戦場というものです。道路だけは通さなきゃいけないので、道路脇にいっぱいその焼けただれた戦車とか自動車とか置いてある。それが見える。
2014年11月にモスルにいたナディアは隙を見て脱走して救出されて、その北の方のドホークで生き延びていた兄たちと病院で会った。さらにそこから北のザーホーという町に、前述した兄のヘズニーがいて、彼が米軍と一緒に救援活動をずっとやっていたようだ。この本のかなり後ろにこういう話があった。ナディアの姪を性奴隷にしていたISの幹部の奥さんと電話で連絡を取り合って、「あなたのご主人(ISの幹部)には死んでもらうしかない」ということになった。
「あなたが家を出る時間を教えて。出かけたら連絡してくれ」と言って、その奥さんはそれ以上のことは何も分からないのだけど、その日のうちに米軍によって、ISの幹部は爆殺された。有志連合のプレデターという無人殺人機で爆殺された。普通の人がたくさんいるところでは、爆撃にプレデター(無人爆撃機)を使わない。アメリカのサウスカロライナ州かどこかに基地があって、現地の映像をみている。そこから指示を出して、ポンと爆撃して正確に標的を殺す。IS の司令部とか、軍事基地だけを正確に狙って殺す。だけど時々間違って、結婚式のために集まっているイラク人たちのところにプレデターの爆撃が起きて、何十人か亡くなるという事件があった。病院まで爆撃したこともあったが、それは病院にIS幹部たちが隠れていたからだ。そういう事件もいっぱいあった。
この、ナディアのお兄さんのヘズニーが重要だ。彼のその周りにいる人たちが、米軍と一緒に動いている。その関係で、ナディアは2016年にはスイスとドイツに送られて、自分がどういう目に遭ったかを、あちこちで話して回るという活動を始めた。それからベルリンに行って、やがてそれが2018年のノーベル平和賞に繋がった。この本の『 THE LAST GIRL』の前の方に、兄弟たちの写真が全部あります。
彼らは元が遊牧民だから、日本人なんかよりずっと彼女らは頑丈だと思う。羊も連れて山に逃げて、羊たちを順番に殺して食べながら、山の中でも生き延びた。そこまではISも誰も追いかけてこられない、というようなところまで行った。ヤジディ教の聖地も、シンジャール山の中にある。ここが大事だ。
■クルド人
シリアとイラク北部、そしてトルコに大勢(1000万人以上)いるクルド人とはどういう人たちで、これからどのようになるのかを考える。
「自分の国をもたない世界最大の民族(2500万人から3000万人、宗教はその大半がイスラム教)」
と呼ばれるクルド人たちによるクルド国(クルディスタン)はすでにできている。ところが、クルド国は4つに分裂している。それぞれが政党を名乗って、互いに譲らない。だからこの後もしばらくは「4つのクルディスタン」のまま続くだろう。だが、それでも同一民族なので、やがて一つにまとまるだろう。
■クルドの国、クルディスタン
クルド人は中東だけでなく全世界に散らばっていて、3000万人ぐらいいる。ほとんどは、国境地帯の、①トルコ、②シリア、③イラン、④イランの山岳地帯にいる。①のトルコには1000万人が東部にいる。こんなにいるのに、トルコ政府は正式に認めない。「高地トルコ人」と呼んでいる。
だが、すでにトルコ議会の議員たちに30人ぐらいクルド人がいる。奇妙な感じである。前回取り上げたナディアたちは、クルド人の中の、さらにヤジディ教徒である。ヤジディ教徒は200万人ぐらいいる。
すでにクルド人たちは、「クルディスタン」という実質的に「クルド人の国」をつくっている。
クルド人居住地域(クルディスタン)
【補足】1970年3月11日、イラクのバース党政権とクルド民主党の間で成立した協定にもとづいて設置された自治組織、イラク領クルディスタン、クルド自治区ともいう。クルド人が存在するトルコ、シリア、イラク、イラン各国との国境線をはさんだ広大な領域のうち、公式に認められているのはイラク北東部の4県にまたがるエリア。現在クルディスタン地域は、イラクから半ば独立した状態。(補足おわり)
だが、これが、今は4つに分かれている。4つの国の山岳地帯に、クルド人は各々、亡命政府(クルド自治政府)をつくって、トルコ内のクルド人とも団結している。トルコからの分離独立運動もやっている。今もトルコのエルドアン首相のトルコ軍(戦車隊)と時々、戦闘をしている。
■イラク領クルディスタンのKDP(ケイ・ディー・ピー、クルド民主党)
クルド人によるクルディスタンで、一番大きな勢力は、KDP(Kurdistan Democratic Party) で、クルド民主党と訳す。指導者は、マスード・バルザニ(Masoud Barzani 1946~)議長である。
●KDPの軍事部門
KDPは東隣のイランと親しく、支配地にはイランの革命防衛隊(レヴォリューショナリー・ガード。民兵組織)という、イランの第二軍隊みたいな勢力がいて、イラク領内に入り込んでいる。このイラン革命防衛隊は、イラクからさらに、西方のシリアを通って、地中海にまですでに到達している。というのは、レバノン国にいる「ヒズボラ」と連携しているからだ。地中海岸に、ベイルートを首都とするレバノンという小さな国がある。レバノンの隣国、イスラエルと対峙、対決している。レバノンはかつては繁栄していた。日産とルノーの会長だったカルロス・ゴーン氏は、このレバノン人である。
【補足:レバノンについて】レバノンは歴史を遡(さかのぼ)ると、古代のフェニキア国である。フェニキア(phenicia、ポエニ Poeni とも言う)は商業民、海洋性の国民だ。古代ローマ帝国と激しく戦って(ポエニ戦争)滅ぼされたカルタゴ国もフェニキア人の国である。フェニキア時はギリシア人と強い同盟(アライアンス)を組んでいた。
だからローマ帝国は、ギリシア(マケドニア)をものすごく尊敬して憧れていた。そうであるのに、ローマ帝国は、カルタゴ攻めと同時にギリシアを攻撃して打ちこわし、破壊した(紀元前146年)。そして、ギリシア人貴族2万人ぐらいを捕虜としてローマに連行した。そして、自分たちの屋敷で、ローマ人の子弟の家庭教師にした。この時に、ギリシア文明は滅んだのだ。ローマ人がギリシア人を滅ぼしたのだ。
この大きな歴史の真実を、西洋白人たちは今も自分たちの恥部、スキャンダルとして、歴史学者までが隠している。このことを私は自分の歴史の本『日本人が知らない真実の世界史』(2018年、日本文芸社刊)に書いた。フェニキア人は生き残って、後に繁栄した海洋都市ヴェネチア(ベニス)共和国をつくった。ヴェネチア人は、元はフェニキア人なのだ。海の商業民族である。ユダヤ人の原型はフェニキア商人(紀元前1600年に出現)である。
このレバノンには、兵力2万人ぐらいのヒズボラという軍事組織(軍隊)がいる。イスラム教の中のシーア派に属する。その資金源は同じシーア派であるイランから出ている。イランからの補給と資金援助を受けているヒズボラは、イランに非常に忠実である。だから「イラン→北イラク→シリア→レバノンとつながる勢力線」がもう出来上がっているということだ。だからイスラエルとアメリカは、イランと直接、この戦線でも対決しているのだ。(補足おわり)
KDP(クルド民主党)の最大軍事組織(事実上の国軍)を「ペシュメルガ」と言う。人員はおそらく5万人ぐらいだ。ペシュメルガには女性部隊もある。米軍からの資金援助と軍事援助を受けていて、戦車や戦闘機や機関銃はアメリカ製だ。敵対し合っているイランとアメリカの、双方から支援を受けているということだ。奇妙で複雑な立場である。
■PUK(ピー・ユー・ケイ)クルド愛国者党
イラクを少し南の方へ行くと、もう一つ、PUK(クルド愛国者党)というクルド人の政党がある。指導者はジャラル・タラバニである。このPUKが支配しているイラク国の真ん中辺りに、キルクークという、石油がたくさん出る都市がある。このキルクークの油田をめぐって、クルド人とイラク政府は反目しあっている。キルクーク油田の奪い合いが、ISとの戦争目的だった。
キルクークより少しチクリートという、ここも石油を産する都市が、2003年の米軍侵攻(イラク戦争・米兵16万人)で処刑されたサダム・フセインの生地である。
クルディスタン内の勢力
■PKK(ピー・ケイ・ケイ)クルド労働者党
ところが、ここからもっと複雑な話になる。クルド人にはもう一つ大きな勢力がある。それはPKKという政党(勢力)である。前述したが、トルコ国内の東半分の、山岳地帯に1000万人ものクルド人がいる。この1000万人のクルド住民は、このPKKを支持している。トルコ人と区別がつかないくらい混血していると思う。
今はPKKを名乗らないで合法的に活動する、実力のある若い政治指導者が出ている。彼らは、トルコの首都アンカラの国会(国会議員)の中で30人ぐらいの議員を持っている。この事実が、トルコの政権党である「公正発展党(こうせいはってんとう)」を率いるエルドアン首相(半分、独裁者。ムスリム同胞団系〈ブラザーフッド〉)にとって頭が痛い。エルドアンとしてはPKKに対して高地トルコ人ということで我慢してほしいと思っている。ところが、もう、そういう段階ではない。PKKはクルド人の独立を目指している。あくまで合法的に、選挙でやろうとしている。
●PKKの軍事部門
ところが、PKK(クルド労働党)は、トルコ国外に軍事組織があるのだ。今や公然たる事実になっている。トルコ内のクルド人の分離独立を目指す組織で、その軍事部門が人民防衛軍(クルド語:HPG)と、クルド女性防衛隊(クルド語:YPJ、英語:Women’s Protection Units)である。
HPGとYPJは、もう長い間シリア北部にいる。ここに駐留する米軍部隊から武器弾薬や資金の援助、支援を受けている。私はYPJのクルド人の女性兵士たちが国際報道のニューズにちらりと出るたびに、一人で関東している。彼女たちは、なんと、米軍の軍事顧問団(テクニカル・アドヴェイザーズ)によって訓練され、育てられた部隊だ。1万人(一個師団)ぐらいいるようだ。まったく複雑な話である。
YPJの兵士
2018年の12月に、トランプ大統領が、「リシアにいる米軍の部隊2000人を撤収させる」「もう帰って来い」と発表した。それでゴタゴタして、マティス国防長官がこの直後、大統領に対して怒って辞めるとう事態になった。ここのクルド人部隊を育てた「正義の米軍」はシリアから撤退しようとしない。トランプ大統領の命令さえ聞かない(笑)。べいぐんいもISを作って育てて裏から支援し続けた「邪悪な米軍」がいる。
(引用はじめ)
●「IS支配地域の「100%奪還」、1週間内に発表へ トランプ氏表明」
2019年2月7日 AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3210003
ドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領は6日、ワシントンでの国際会議で演説し、イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」は1週間以内にシリア国内の全支配地域を失うとの見通しを示した。同大統領はまた、ISとの闘いに引き続き重点的に取り組むことを確約した。
会議はISとの今後の闘いを主題に米国務省で開かれたもので、70か国余りの政府高官が出席した。
大統領は昨年12月、ISに対する勝利を宣言し、シリア駐留米兵2000人全員の撤退を命じることを突然決定していた。
大統領は会議で「米軍、有志連合参加国、シリア民主軍(SDF、クルド人主体の民兵組織)は、シリアとイラクでISIS(ISの別称)の支配下にあった地域を事実上すべて解放した」と発言。「支配地域の100%を奪還したことが、来週のうちに正式発表されるはずだ」と述べた。
さらに大統領は、米国は「とても、とても厳しい」態度を維持すると述べ、各国に資金協力などの取り組みを呼び掛けた。
大統領は「彼らはただの残党だ。だが、その残党が非常に危険な可能性がある」とし、「ISISの狂気の残りひとかけら、最後の1人を打ち破り、イスラム過激派のテロリズムから国民を守るため、あらゆることをする」と確約した。
(引用おわり)
■シリアのアサド政権をめぐる動き
2019年4月に、シリアのIS勢力が掃討されて、シリア北部のイドリブ県という地域に、彼らは追い詰められている。ここにもシリア政府軍最後の攻撃が行われている。どの程度までISの残党や、「アル・ヌスラ聖戦」が生き残っているのか分からない。アル・ヌスラ戦線というのは、イスラエル国が育てたシリア人たちの反政府部隊だ。シリアの南の方でまだわずかに残る狂暴な勢力だ。イスラエルやサウジアラビアや、ヒラリー系のアメリカ軍の支援で生き延びている。
このほかに、シリア民主軍(SDA)という、シリア人でありながらパシャ―ル・アサド政権にずっと反対してたたかい続けてきたスンニ派イスラム教徒たちの勢力もまだいる。SDAも前述した北部のイドリブ県まで撤退して追い詰められていながら、まだ生き延びている。トルコ政府と繋がっていて、支援を受けているのだろう。彼らはISやアル・ヌスラ戦線ほど悪質ではない。
最も悪質なのは、「白い(ホワイト)ヘルメット運動」と呼ばれる別動隊だ。彼らはシリア軍の空爆の後、必ず、負傷者を救出するニューズ映像で出てくる。ノーベル平和賞までもらおうとしたが策略部隊だ。私はこの「白いヘルメット」が大嫌いだ。
「白いヘルメット」
■アサド大統領夫妻
アサド大統領夫妻
このバシャール・アサド(Bashar al-Assad、1965年-)大統領と、奥さんのアスマ(Asma al-Assad、1975年-)夫人。この家族は、悪いことを何もしていない。自分の国の国民が、おそらく200万人ぐらいも死んでしまって、大変な目に遭って、自分たちも激しい戦いの中で生きている。家族たちは、特別待遇で防空壕の中で生きているのだろう。アスマ夫人とは、イギリス・ロンドンに留学中に出会った。
彼女は、英国で生まれ育ったスンニ派シリア人で、ロンドン大学キングス・カレッジを卒業後、JPモルガンの投資銀行部門でM&Aを手がけるキャリアウーマンで立派な女性です。半分イギリス人です。シリアの今の政権は、悪いことをするような人たちではない。「シリア政府が2回、3回、 毒ガス兵器を撒き散らした」とか「シリア政府が爆弾を落とした」というのは嘘八百です。それは全部、反政府勢力というより、それを動かしているイスラエルやサウジアラビア、それからアメリカの中のヒラリーの系統の悪質な軍人どもがやったことです。
■カルラ・デル・ポンテ
先に話したように、シリア政府(バシャー・アサド政権)がサリンの毒ガス兵器を撒き散らしたというのはすべて嘘八百であった。それらはすべて、シリアの反政府勢力を動かしていたイスラエルとサウジアラビア、それからアメリカ政府の中の、ヒラリーの系統の悪質な官僚や軍人がやったことである。
この事実を世界(国際社会)に向かって、勇敢に訴えて暴露してきた女性がいる。それが、カルラ・デル・ポンテ(Carla Del Ponte 、1947年-)女史だ。カルラ・デル・ポンテ女史は、「毒ガス兵器を使ったのはシリア政府ではない。イスラエルが支援する反政府勢力だ」と、国連の人権委員会の調査報告書として発表した。2016年にはアメリカの首都ワシントンにまで行って、「国連としてヒラリー・クリントンを捜査する。出てきなさい」とまで言った。
こういうことは、日本のメディアでは報道しない。彼女の勢力ではもう、「シリア政府が毒ガス兵器を撒いてシリア国民を殺した」とか、「シリア政府は悪人の巣だ」という主張が通らなくなった。
カルラ・デル・ポンテ女史は、国際刑事裁判所(インターナショナル・クリミナル・コート)の主任検察官だった人だ。ヘリコプターや防弾ガラスでできた特別の車まで国際刑事裁判所から支給されて、戦争犯罪人(ウォー・クリミナル)たちを追いかけた。勇敢で協力な人だ。彼女の大きな業績は、1993年に起きた、東欧の旧ユーゴスラビア紛争のとき、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ国(首都サラエボ)で、1万人ぐらいのボスニア人(イスラム教徒)を殺して埋めた、戦争犯罪者の隣国の指導者たちを摘発して裁判にかけたことだ。
その後、カルラ・デル・ポンテ女史は、国連(the UN)の人権委員会の委員になって、真実を調べ続けた。そして2014年から出現したIS「イスラム国」の戦争犯罪(残虐行為)についても調査を続けている。
カルラ・デル・ポンテ
だが、彼女の声は抑え込まれていて、なかなか日本にまで届かない。2007年に、『カルラのリスト】という映画が、日本政府が世界人権条約の一つを批准(承認)したときの義務として、日本でも公開された。この映画を私は見た。だからカルラのことを知っている。カルラ・デル・ポンテ女史の正義の闘いについて、日本で細々と書いてきたのは私だけだろう。
シリア政府(アサド政権)を徹底的に応援し続けたのはロシア政府だ。シリアの地中海沿いにラタキアとタルトスという都市がある。ここにはロシアの軍欧と軍用空港がある。高性能の地対空ミサイル「S300」と「S400」を配備している。アメリカは、プーチンが、シリア政府だけではなく、イラン軍にまで、この高性能地対空ミサイル(日本に米軍から配備されているMD(エムディ)地対空の迎撃ミサイルと同じ性能)を渡すのではないかと恐れている。
■まとめ クルド人の国、クルディスタン
このようにしてクルド人は、トルコとの国境線と、北イラク、シリア、イランの国境地帯のクルディスタンに、すでに実質的にクルド人の国をつくっている。全世界に3000万人ぐらいいるクルド人は、クルド自治政府をふくって、トルコ国内の1000万人のクルド人とも団結している。トルコ国内のクルド人たちは、トルコからの分離独立運動をやっている。やがて、トルコのエルドアン首相もこの事実を受け入れて、トルコ東部のクルド人地帯を手放さなければいけない時代が来る。
(おわり)
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⇧の後日の副島先生による手入れ文章 に載らなかった口述(語り下ろし)部分
すると、イスラエルは悪いことばかりしてきたのに、アメリカがあまりあてにならないからということで、ロシアのプーチンにもくっついて行こうとしている。なぜなら840万人いるイスラエル国民のうちの100万人で、この20年間ぐらいで、最近来たイスラエル人たちで、入植地活動で右翼活動する人たちの多くはロシア人なんです。ロシア系のユダヤ人たちです。
だから第二外国語はロシア語だ、とイスラエルでは言われている。それぐらいの動きがある。複雑な話だから、日本人は、なかなかわからない。私が分かりやすく説明する努力を、私の運命と任務としてやらなければいけない。後でこの The Last Girl にたった1枚載っている地図帳に、私がたくさん書き込みをしています。これも見えるように貼りつけて、基本・基礎知識として、地図と一緒に見てください。自分でも世界地図を開いて確認してもらいたいということです。
<クルド人の国、クルディスタン>
そしてイラクのずっと南の方にバグダッド(首都)がある。それよりは500キロぐらい北の方です。このイラク人、イラク国民ではあるわけですが、イスラム教徒のイラク人ではない。ところにイラク人も2つに分かれていて、大きくはスンニ派イラク人とシーア派イラクです。シーア派は、簡単に言うとイランに近いイスラム教の宗派です。イランに近い。わりと差別されている。差別されている人たちです。
主流派はスンニ派と言って、イスラム教の戒律を守る人達という意味です。スンニー、スンナーとも言います。これがサウジアラビアとか他のイスラム諸国では多数派です。しかしシーア派もなかなか負けていなくて、実はイラク国全体の6、7割ぐらいは何とシーア派です。すなわちイランに近い。シーア派は教祖さま、イスラム教の創業者のムハンマドの娘の、アリーをもらった。アリーという人がいて、それが第3代カリフです。その人たちがスンニ派に殺された。正確にはいろいろあります。ムハンマドの家系を大事にする。しかし家系は残っていません。そのスンニ派とシーアの争いはもう説明しません。
クルディスタン内の勢力
イランの方に近いということは、このクルド人のクルディスタンの一番大きな勢力は 、KDP (Kurdistan Democratic Party)と言って、クルド民主党と訳します。クルディスタン・デモクラティック・パーティーです。英語で名乗ります。このクルド民主党は、マッスード・バルザニ(Masoud Barzani、1946年―)議長が指導者です。彼らは、この KDP は、イランと親しい。そしてここにはイランの革命防衛隊(民兵組織)という軍隊が、第2軍隊みたいなのが入り込んできている。なんとイラクからずっとシリアを通り越して、さらに地中海にまで到達している勢力です。
地中海には首都がベイルートであるレバノンという国があって、ここでイスラエルと向かい合って対峙、対決している。このレバノンに2万人ぐらいのヒズボラという軍事組織がある。軍隊、兵隊がいます。このヒズボラの資金源とする宗教シーア派は、イランに非常に忠実です。イランからの補給と資金援助がある。これがずっと北イラクとシリアから繋がっているということです。
ところが、トルコを小アジア半島と言います、トルコの東側半分の山岳地帯には1000万人のクルド人がいます。この1000万人のクルド人は PKK(Partiya Karkeren Kurdisteane、Kurdistan Workers’ Party)という政党を支持しています。これはクルド労働者党と訳します。ここから今、実力のある若い指導者が出てきて、これはトルコの首都アンカラの国会、国民議会の中でも、おそらく20、30人の議員を持っていて、1000万人の勢力なんですね。
このPKKの軍事部門がさっき言ったYPGなんです。この YPGをトルコのエルドアン政権は目の敵にしていて、絶対、攻め滅ぼしてやる、とか言っている。しかし現実には、その1000万人がトルコ国内にいる。クルド人がトルコ国内にいる。すると、この PKKから出ている合法的に活動している政治家たちがいる。ここが複雑だ。
それで、つい最近、去年の12月にトランプが、シリアにいる米軍の部隊を撤収させると、発表した。それでゴタゴタして、マティス国防長官が怒って辞めるという事態になった。この米軍のシリアの北の方にいる部隊は、何をしているかと言うと、なんとこのYPG というクルド人の部隊を援助支援している。米軍の武器弾薬を与えて資金援助もしている。ここYPGには女性部隊がいます 。このYPGの女性部隊が強い。
それよりもっと東側のイランに近い方の KDP の軍事組織のことを、ペシュメルガと言います。そのペシュメルガが最大軍事組織です。これがおそらく勢力で5万人ぐらいいると思います。この中にも女性部隊がいます。この女性部隊も実は、そのペシュメルガも米軍からの資金援助と軍事援助、だから戦車や戦闘機や機関銃とかも米アメリカ製です。と同時にイランからも支援を受けている。この KDP クルド民主党が一番大きい。
でもその北の国境線を北に抜けると、そこはトルコで、そこには PKKがいて YPGの勢力がいる。同じクルド人なのに、この複雑さがあります。もう一つ、このもうちょっと南の方に行くと PUK という、このクルド人の政党があって、タラバニ議長がいます。これはクルド愛国者党と名乗ります。この PUK の話はもうしません。複雑になりすぎるから。大した大きな組織ではないと思います。ただこのPUKがいるイラクの真ん中辺りの、このイラン側の方はキルクークが近くにあります。
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