「1763」 相田英男氏による『自由人物理―波動論 量子力学 原論』(西村肇著、本の森出版、2017年)の感想と解説を掲載します(第2回・全4回) 2018年8月1日

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 相田氏による『自由人物理―波動論 量子力学 原論』(西村肇著、本の森出版、2017年)感想と解説の第2回目です。


自由人物理―波動論 量子力学 原論

4.ラグランジュとハミルトンは、ニュートンより偉い学者である

本書の前半は、歴史に名を残す著名な物理学者達の業績について、西村先生独自の視点から解説されている。ニュートンに始まり、電磁気学のマックスウェル(イギリス)、エネルギー量子のプランク(ドイツ)、そしてアインシュタイン(ドイツ)、ハイゼンベルク(ドイツ)、シュレーディンガー(スイス)といった、錚々たる名が続く。

が、その中にあって、フランスのラグランジュ(Joseph-Louis Lagrange、1736-1813)とイギリスのハミルトン(William Rowan Hamilton、1805-1865)という、一般にあまり知られない、二人の学者が挙げられている。この二人に着目される西村先生は流石だ。この二人は、実は、ニュートンを超える偉大な業績を挙げた人物達である。しかし日本では、この事実がはっきりと語られない。このことが、日本の物理教育の大きな欠点であると、西村先生は断言される。私も西村先生の主張を支持する。


ラグランジュ


ハミルトン

量子力学は、ニュートンにより確立された力学(いわゆる古典力学)を土台として、新たな発想を加えて作られたと、広く言われている。ほとんどの物理の教科書や解説書には、そう書かれている。しかし、ニュートン力学と量子力学の間を繋ぐ、重要な分野がもう一つある。「解析力学(analytical mechanics)」と呼ばれるものがそれだ。

その解析力学を確立したのが、ラグランジュとハミルトンの二人である。ラグランジュはフランスで、ニュートンの100年後に、その主著である「解析力学」を出版する。そのまた100年後に、アイルランドでハミルトンが登場し、ラグランジュの概念を進化させた理論を完成させた。100年おきに、力学の大きな革新が起きている。

ラグランジュとハミルトンにより作られた解析力学は、ニュートン力学を改良したもの、と一般には言われる。力学の基本原理としては、ニュートンの有名な3法則が主である。そして解析力学は、ニュートンの概念を上手くアレンジしただけに過ぎない、いう考えだ。ニュートン力学が「主」であり、解析力学が「従」、ということだ。これが、日本の物理学教育の通説となっている。


運動3法則

しかし、西村先生はそれにはっきりと異を唱える。ラグランジュ力学は、ニュートン力学を超える新しい概念である。そして、ハミルトン力学はそれを更に超えた新しい概念である、と、西村先生は言われる。現代において、力学概念の「主」とするべきはラグランジュとハミルトンである。そして、ニュートン力学はその「従」に堕とすべきだ、というのが西村先生の主張だ。


運動方程式

これを裏付けるために西村先生は、東大図書室にあるラグランジュの主著である「解析力学」の原著(英語翻訳版、大元はフランス語)を読み込んで、解説されている。500ページを超える大著である。西村先生の前にこれを借りた人物は、たったの一人だけだという。東大でも、ラグランジュの本当の業績については、誰も注目などしていないのだ。

さて、解析力学とは、ニュートン力学を「一般的な形式」に組み替え、発展させた理論である。この「一般的な形式」という意味を説明するのは、実は、なかなか難しい。

ざっくりいえば、アインシュタインの有名な業績である、「特殊相対性理論」と、「一般相対性理論」の違いである。「特殊」の方は数式も簡単で、内容もわりとイメージしやすい。が、後者の「一般」になると、数式が極端に難しくなり(テンソルという概念を多用する)、内容がさっぱりイメージ出来なくなる。これと同じだと考えて欲しい。文系の方でも何となくわかるだろうか?(何となくで良い)。解析力学の場合は、一般相対性理論ほど数式は難解ではないのだが。

要するに、解析力学では数式が極度に抽象化されている。そのため、内容を頭でイメージすることは、相当に難しい。だから工学部の授業では、解析力学を習わないで済ますところも多いようだ。通常の実用計算の範囲であれば、ニュートン力学でも、問題を解くのに全く支障はない。

しかし、近代物理学ではそうはいかないのだ。解析力学を事前に十分に理解しないと、近代物理学の大成果である、量子力学と統計力学(statistical mechanics)は理解出来なくなっている。この解析力学の最終結論として導かれるのが、ハミルトニアン(ハミルトン関数): H と、ハミルトン・ヤコビの偏微分方程式という数式である。

実はハミルトン・ヤコビ方程式の形は、シュレーディンガー方程式にそっくりである。この式をヒントにして、シュレーディンガー(Erwin Schrodinger、1887-1961)は波動理論を作った。だから、事前に解析力学をよく学んでおけば、量子力学はスムーズに理解できたのだった。何事も事前準備が大事だということだ。


シュレーディンガー

今にして思えば、私が量子力学を学ぶ際に挫折したのは、偏微分方程式や超関数などの数学が難しいためではなかった。波動方程式は、電磁波や工学的な概念で多用されることを、ほどなく私は理解した。超幾何関数などの難解な数式も、シュレーディンガー方程式のみで現れる特殊なケースだった。こんな難解な数式を、理科系研究者の全てが、日常的に使う訳では無かった。単にレアなケースだと、私が割り切っておけば、それで済んだのだった。私が量子力学についていけなかった、本当の理由は、解析力学の最終結論であるハミルトン関数: Hが、何の予備理解もなくシュレーディンガー方程式に現れたためだと、今でははっきりわかる。

5.シュレーディンガーは、実は解き方がわからなかった(らしい?)

西村先生は書かれていないが、シュレーディンガー自身も、最初は自分が作った方程式が解けなかったらしい。ド・ブロイ(フランス)という貴族物理学者が、1924年の論文に書いた、物質波を記述する方程式が、ハミルトン・ヤコビ方程式に似た形だ、という迄はなんとかできた。

しかし、その解き方がシュレーディンガーにはわからなかった。悩んでいるシュレーディンガーに、当時付き合っていた女性が、「私の旦那が数学に詳しいから、相談してみたらどう?」と持ちかけた。シュレーディンガーは、「彼女の旦那」に会って方程式を見せると、「ああ、それならこうやって解けばいい」と、その「彼女の旦那」は、黒板か紙だかに、方程式の解をすらすらと書いてみせたという。

感激したシュレーディンガーは、「論文を書くから連名になってくれ」と、「彼女の旦那」に持ちかけた。しかし「そんなしょうもない、レベルの低い論文なんかに、俺の名前を出さなくてもいい」と、断られた。結果、シュレーディンガーは一連のあの名高い波動方程式の論文を、単独で投稿したのだという。

シュレーディンガーに方程式の解き方を教えたという、その「彼女の旦那」が、当時アインシュタインとも親交のあった、ドイツの大数学者のヘルマン・ワイル(Hermann Weyl、1885-1955)だったというのを、私は聞いた事がある。奥さんと不倫した云々はよく知らないが、シュレーディンガーが方程式の解き方について、ワイルに相談したのは事実らしい。


ヘルマン・ワイル

別に私は、こんなゴシップ話を書いてウケを取るつもりはない。でもこんなバカ話を沢山妄想しないと、学生時代の私は勉強が続かなかった。難解な数式ばかり眺めても、なかなか勉強が先に進まないのだ。アメリカにファインマン(Richard Feynman、1981-1988)というノーベル賞物理学者がいる。大学のある先輩の話によると、女好きで有名なファインマンは、アメリカ中にガールフレンドがいた。その中の誰かが、妊娠して子供が産まれる度に、ファインマンは参考書を一冊書いて、その印税を養育費としてガールフレンドにあげるのだ、とその先輩は語っていた。ちなみにその先輩も、女好きで名を馳せていた。


ファインマン

「ホントかね?」と、長年にわたり疑問に思った私は、後に、アメリカの大学でPh.D(博士号)を取ってきた材料研究者のある方に(先のシュレーディンガーの不倫話はその方から聞いた)尋ねてみた。そのPh.Dの方は笑いながら、「それはファインマンの事じゃないと思うよ」と、答えられた。「じゃあ誰なんだ?」と私は思ったが、それはわからずじまいだった。

ちなみにそのPh.Dの方は「シカゴ大学に南部という名前の、日本人物理学者がいる。ものすごい業績をあげた素粒子理論の専門家で、アメリカ中で尊敬されている。一回シカゴのパーティで会ったよ。でも、日本人はほとんど彼を知らないよな。湯川と朝永は有名だけどさ」と、おっしゃっていた。バブル景気が終わってから、しばらく経った頃だった。「へー、そんな学者がいるんだ。世の中は広いな」と、私はただ素朴に思った。2008年のノーベル賞発表の時にその名を聞いて、「本当に凄い学者だったんだ」と、私は再認識させられた。南部の業績についても、西村先生は本の中で触れられている。


南部陽一郎

実は南部陽一郎(1921-2015)も、東大の学生時代は武谷三男(たけたにみつお、1911-2000)の弟子だった。南部が2008年にノーベル賞を受賞した研究は、武谷の方法論(武谷三段階論)に従って着想を得た事を、南部自身が何度も公言している。ノーベル賞受賞の後で、南部は日本でも有名人となってしまったが、このことが他の学者達から語られることは、全くない。


武谷三男

6.つながることが物理学だ

私が物理が好きだったのは、その形が美しいと感じたからだ。単純な数式(ニュートンの運動方程式)を、ちまちまと展開してゆくと、最後には自然界にある全ての現象を説明することができる(と信じられているが、本当は違う。3個以上の物体の運動を記述する微分方程式は、解析的には解けない。これが有名な「三体問題」である(わかりやすい解説は、長沼伸一郎著『物理数学の直感的方法』(ブルーバックス)、などを参照されたい)。

その単純さとスケールの大きさが、とても魅力的だった。世の中にはプロの物理学者以外にも、物理が好きな方々が結構いる。彼等は皆、同じような考えから物理に惹かれるのだと、私は思う。

大事なのは、物や現象のイメージ(モデル)と、それを説明する数式の理解が、綿々とつながってゆくことだ。一見したところでは、全く無関係に見える現象の間に、丹念に数式を追ってゆくと、連続した繋がりが存在する。思考が繋がることで、新たな発見と感動がある。これが物理を勉強しながら、私が感じた最大の魅力だった。

しかし、量子力学を学んだ特に受けたギャップは、自分にはあまりにも大きすぎた。それまでの物理の勉強で感じられた、思考の連続性は完全に断ち切られた。自力でそれをつなげる事は、当時の私には不可能だった。

以来ずっと、私が物理に挫折した理由は、自分の学力と能力が劣っていたせいだと思っていた。しかし、西村先生のこの本によると、そうとばかりは言えない事が、わかった。日本で広く論じられている、物理の考え方とその教育のやり方にも、思考のギャップを作る要因がある。西村先生はそのように断言されている。この本を読んで、私の心は、僅かではあるが救われたと感じている。

「授業について行けないのは、単にお前の勉強不足だろう」と言われると、確かにその通りである。しかし、私もただ遊んでいた訳ではない。最初は私も、力学の名著として名高い山内恭彦 (やまのうちたかひこ、1902-1986)の『一般力学』を、自分で買って読んだ。


山内恭彦

しかし当時の私は、この本の内容がさっぱりわからなかった。物理の内容以前に、山内の本に書いてある「日本語の意味」が、私にはあまりにも難解だった。この山内の本を読んで、誰からもアドバイスを受けることが無く、スラスラと理解できる大学の学部生など、いるのか?と、私は今でも疑問に思っている。

西村先生は、東大に入学された直後に、この山内の本を買って根性で読み込んだ、と書かれている。しかし西村先生は、ソビエトが生んだ天才物理学者のランダウと、弟子のリフシッツが書いた、あの、あまりに有名な物理の一連の教科書を、原著で読むために、東大でまずはロシア語の勉強から始めた、という強者(つわもの)である。何もそこまでしなくても、力学くらい理解できないのか?と、私は思う。

ちなみに、解析力学を始めとする物理の用語には「正準(せいじゅん?)」という言葉が、やたらと出てくる。「正準変換」、「正準方程式」、「正準集団(分布)」、などなどである。当時の私は、各種の参考書を読みながら、この「正準」という言葉の意味が全く理解できず、苦悩し続けた記憶がある。

「清純」ならわかる。が、「正準」とは一体何だ?松本伊代や早見優はOKで、品の無さそうな柏原芳恵や、斜に構えた中森明菜ではダメだ、という事なのか?当時の私は、延々と悩み続けたが、ついに十分な理解に至らずに終わった。

実は、物理で使う「正準」とは、英語の “canonical ”(カノニカル)という言葉を翻訳したものだった。“canonical ”とは宗教に用いられる言葉で、「聖典(教典、canon、キャノン)に従って、正統な手続きを経て決められたもの」という意味だ。そのように、西村先生は本で書かれている。だから “canonical ”は「正準」ではなくて、「正統」と訳すべきだと、西村先生は言われる。「正統変換」、「正統方程式」とは、何という分かりやすい響きであろうか。「正統と見なすべきキャノン」は物理的に何を意味するのだろうか、などと自然に発想が進み、勉強する気が湧いてくるではないか。

しかし、いきなり「正準」などという、広辞苑にも載っていない奇天烈な言葉が登場すると、そこで思考はストップしてしまう。カッコつけて、こんなヘンな造語を使う必要が、一体何処にあるだろうか?

“canonical ”を「正準」と呼び始めたのは、山内恭彦だという。山内は、戦前に活躍した理論物理学の大家だ。山内は伝説となっている天才物理学者の彦坂忠義(ひこさかただよし、1902-1989)と同じ時期に、原子核の中に内部構造が存在するという、後の魔法数(マジック・ナンバー)に繋がるアイデアを、理論計算のみで独自に見出したという。その考えを、当時来日した巨匠のニールス・ボーアに、彦坂と一緒にPRした。ところがボーアに真っ向から否定されてしまい、理論を引っ込めたらしい。


彦坂忠義

確かに山内は偉大な物理学者かもしれない。が、山内は翻訳のセンスがあまりにも無さすぎる。あなたのせいで、私のようなちょっとオツムの劣った学生達は、大変迷惑しているのだ。学部時代の統計物理学の試験の前日(夜中)だったと思う。同級生の一人が参考書を読みながら、「『この数式を、大正準分布(grand canonical ensemble)と呼ぶ』とか、いきなり書いてある。だけど、こんな名前に一体何の意味があるんだ!!?」と、絶叫していたのを、20年以上経った今でも記憶している。全くその通りだよな、と素直に思う。

さて山内の「一般力学」が、私には如何ともし難かったため、初心者向けだと評判だった原島鮮(はらしまただし、1908-1986)の、「力学 I,Ⅱ」の2冊を、私は別に買って勉強した。原島の本は、流石に山内よりは分かりやすかった。特に、解析力学が主体となっている「力学Ⅱ」の方は、大変重宝させてもらった。ただ、原島の本をもってしても、私にはすっきりしないところがあった。

何故だろうか?と、私は今回、20年振り位に原島の「力学Ⅱ」を本棚の奥から取り出し開いてみた。すると、最初にハミルトン関数: H = T + U が説明された後で、ラグランジュ関数: L = T – U が登場し、その後にまたハミルトン関数: H の説明に移るといった、ごちゃごちゃした記載がされていた。おそらくは、量子力学につなげるため、ハミルトン関数: H の説明を、一旦、先に持って来たのだろう。

しかし学生の頃の私は、原島の本を読みながら思った。「ハミルトン関数で全部説明が付くなら、ラグランジュ関数: L なんか、後からわざわざ持ち出す必要ないじゃん。無駄な説明するよなあ」と。今考えると、あまりにも不遜な、恐ろしい思い上がりだった。こんな無茶な、独りよがりの思い込みに陥るのが、素人の独学者の情け無い処だ。無論ではあるが、西村先生が書かれるように、ラグランジュ関数: Lを理解せずに、ハミルトン関数: Hを理解することは出来ない。やはり、原島の本をもってしても、解析力学を初心者がすんなり理解出来るとは、言えないように思う。

1983年に東大出身の小出昭一郎(こいでしょういちろう、1927-2008)が書いた、解析力学の参考書では、ラグランジュ関数から始まり、ハミルトン関数に移るという、本来の正しい順番で説明がなされている。小出によると、原島の本を参考にしたと書かれており、わかりにくさを改善したのだろう。小出の解析力学の本を、私が書店で見かけたのは、最近のことだ。学生時代にこれを読んでいたら、とも思うが、後の祭りである。参考のため私はこの本を買って帰り、改めて勉強し直している。

(続く)

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