「1472」 『日本の歴史を貫く柱』(副島隆彦・著、PHP文庫) が8/4から発刊されています。「まえがき」 と 「あとがき」 を掲載します。 2014.8.27

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副島隆彦を囲む会の須藤です。今日は2014年8月27日です。

副島隆彦先生の本日本の歴史を貫く柱(PHP文庫)が、8月4日から書店に並んでいます。

この本は、2008年に刊行された時代を見通す力 歴史に学ぶ知恵(PHP研究所)に 加筆し文庫化したものです。

富永仲基(とみながなかもと)という江戸中期の 天才的な大阪の町人(商人)知識人で、仏教と神道と儒教の3つともを批判した学者のことを描いています。 この本の冒頭は、「正気(せいき)の歌」で有名な、南宋(なんそう)帝国の大秀才で、モンゴル(元)の支配を受け容れなかった、丞相(じょうしょう。宰相の地位に付けた人)である 文天祥(ぶんてんしょう)を説明しています。そしてこの人物の正統の思想が、日本の政治思想を作ったのだと、大きな一本の筋として、「日本の歴史を貫く柱」を 説明しています。

この13世紀の中国の文天祥の思想が日本に伝わって、北畠親房(きたばたけちかふさ)の「神皇正統記(じんのうしょうとうき)」も書かれた。そして、それが、連綿として繋(つな)がって、江戸時代の日本の儒学や、それと拮抗した、国学=神道の思想 である 山崎闇斎=やまざきあんさい=の思想も起こり、継いで、熊沢蕃山(くまざわばんざん)と 山鹿素行(やまがそこう)の、日本国粋主義も起こったのだ。

そして、それが、幕末の水戸学(みとがく)の尊王の国粋思想にもつながり、佐久間象山(さくましょうざん)や吉田松陰の思想にも、この 文天祥の「正気の歌」の思想が流れていることを解明しました。それは、世界を知らない 無謀な昭和の日本軍人たちの 愚かで右翼思想までも、すべて、この文天祥の思想から、流れだした、支配の正統(レジティマシー)の問題だ。それらをすべてで、日本知識人の精神史として、「日本(国、人)の歴史を貫く柱」として、一本の筋を通して、その全体像を 描き切っています。

副島隆彦の言論の柱になっている歴史学の視点が解説されています。

『日本の歴史を貫く柱』の「目次」と「まえがき」、「あとがき」を以下に掲載します。

書名: 『日本の歴史を貫く柱』 目次
著者: 副島隆彦
文庫: 377ページ
出版社: PHP研究所
ISBN-13: 978-4569676098
発売日: 2014/8/4

まえがき

第1章 「義」の思想を日本が受容した
文天祥(ぶんてんしょう)「正気(せいき)の歌」
思想の大義に従って生きること
「正気の歌」が中世・近世・近現代の日本史を動かした
戦後世代の言論の弱点
中国人の根底にあるのは孔子ではなく関羽(かんう)
富永仲基(とみながなかもと)が暴いたこと
平田篤胤(ひらたあつたね)の政治パンフレットが革命の発火点
裏のない横井小楠(よこいしょうなん)たち開明派
特攻隊へとつづく忠義の思想
副島隆彦は現代の文天祥である
近代五百年の大きさを知れ
「志士(しし)」は「侍(さむらい)」ではない
戦後日本に蔓延したのは神でも仏でもなく「岩波共産主義」
「義(ぎ)」とは何か ─ 政治の中心にある「巨大な悪」

第2章 現在につながる仏教と神道の対立

中世の禅僧(ぜんそう)は密貿易の文書作成係だった
朱子学者( 徳川体制 )が 国学(天皇中心)を学んでいた江戸後期
人別帳(にんべつちょう)を管理していた僧侶たちへの憎しみが明治維新の発火点
江戸時代にお伊勢参りが流行したわけ
寺の坊主が神社の神官よりも格上だった江戸時代
明治、大正、昭和の敗戦までは神官たちが威張っていた
時代の空気を読んで 恥知らずに神官に転向した興福寺の坊主たち
仏教内部の六百年にわたるイデオロギー闘争
浄土宗の原型はキリスト教
現代の大学教授は役に立たない坊主と同じ
富永仲基(とみながなかもと)「誠(まこと)の道」─ 真面目に働く商人の思想
大塩平八郎(おおしおへいはちろう)の 檄文 も文天祥と同じ思想だ
吉田松陰『講孟箚記(こうもうさっき)』─日本の正統な支配者は天皇である
本物の尊王攘夷 ─ 土佐勤王同盟と水戸天狗党
一橋慶喜に見捨てられた天狗党
裏切られた公武合体、暗殺された天皇と将軍
尊王攘夷思想の正しさと偏狭さ
清河八郎(きよかわはちろう) 「回天(かいてん)一番」
従軍坊主であった「戦陣僧 (せんじんそう)」─ 武士が能(のう)を好んだ理由

第3章 江戸中期の思想家、富永仲基を評価する

日本の神道は 中国伝来の 道教 (どうきょう)が原型
星占い=近未来予測は、中国の歴代皇帝の重要儀式
日本に本物の仏教はない
幕末に広く読まれた平田篤胤(ひらたあつたね)の『出定笑語(しゅつていしょうご)』
トマス・ペインの『コモン・センス』がアメリカ独立革命の発火点
富永仲基「加上(かじょう)」の原則 ─ すべての仏典は ウソの積み重ねだ
お釈迦様が本当に説いたことと後世の仏教の違い
内藤湖南(ないとうこなん)が評価した富永仲基の意義
富永仲基の思想を裏切った平田篤胤
大坂で生まれた町人、商人の思想
中世の坊主は知識人階級
天皇の原理とは何か
神国イデオロギーの危うさ

第4章 黒船来航とロックフェラー石油財閥の始まり

黒船来航と捕鯨
石油が燃料になることの発見は世界史的大転換
鯨油から石油へ、ロックフェラー財閥の勃興
院政(=GOM)を敷くロックフェラー家

第5章 明治維新はイギリスの世界戦略の中に組み込まれていた

映画『カーツーム (ハルツーム)』 で イスラム原理主義を解読する
明治維新はイギリスの世界戦略の中に組み込まれていた
大英帝国内部の政治闘争 が 属国の運命を決める
大英帝国 内部の 自由党VS保守党の政争
帝国の戦略が、属国の政治を左右する
覇権国の軍事戦略に世界規模の歴史が見える
アフガニスタンでも反乱に苦しんだ大英帝国
今も昔も占領地で泥沼に陥る世界覇権国

第6章 昭和史の背後に戦争を仕組んだものたちが潜む

昭和戦前史から未来が見える
泥沼の日中戦争から突然の日米戦争へ
浜口・井上「金解禁(きんかいきん)」=小泉・竹中「郵政民営化」
金融恐慌の背後に世界覇権の移行が見える
“アメリカ帝国”は 1914年 に 世界覇権を握った
民政党(みんせいとう)=米ロックフェラー=三菱 VS 政友会(せいゆうかい)=欧ロスチャイルド=三井

金解禁の背景に米ロックフェラーの世界戦略があった
日米開戦を仕組んだのは米内光政と山本五十六長官である
南京大虐殺はあった
“アジア人どうし戦わず”アメリカの戦略に騙されるな
リットン調査団の本音「満州までは日本にまかせる」
米内光政(よないみつまさ)はアメリカのスパイ
石原莞爾(いしはらかんじ)の警告「間違ってもアメリカとは戦争をするな」
アメリカの常套手段に陥った真珠湾攻撃
二つの戦争(日中・日米)を同時に勝てるはずがない
なぜか海軍軍人は東京裁判で一人も刑死しなかった
「戦争は公共事業」というロックフェラー家の恐るべき思想

あとがき
文庫版の出版にあたって

(転載はじめ)

まえがき

日本(人)の歴史を貫く柱は何なのかを、私はずっと考えてきた。
私は五十五歳になってようやく日本史の全体像がなんとか分かった。だから「歴史についての本」を書いた。日本史のなかに隠されてきた諸々の真実を、極力、表に出した。

人間(人類)の歴史とは何か。それは、まず「(自分たちを)食べさせてくれ、食べさせてくれ」と集まってくる大勢の人間の群れがいることだ。そして、その人々を何とか食べさせることのできる、その時代その時代の権力者や企業経営者のような人々の存在に行き当たる。

人類(人間たち)の歴史はきれいごとではない。おそらく政治(統治)の本質は悪であり、巨大な悪が人間の群れを支配している。近代政治学の祖であるニコロ・マキァヴェッリが見抜いたとおりだ。だから、日本でも戦国大名という人たちは、いまで言えば広域暴力団の大親分のような人たちだったはずなのだ。

私は夢物語のような、壮麗で美しい人間絵巻の歴史ものには興味がない。自分の実感で分かる、本当の日本の歴史の真実を探ってゆきたい。

始めはこの本では、高邁な日本知識人たちの思想の系譜を描こうと思った。文天祥という南宋時代の末(十三世紀、元寇と全く同じ時期)の官僚で、モンゴル(元)に絶対屈さないで信念を通して死んだ大人物がいた。

この人の思想が、日本の江戸時代の儒学者である山崎闇斎(やまざきあんさい)、浅見絅斎(あさみけいさい)に乗り移った。体制反抗派であった山鹿素行(やまがそこう)、熊沢蕃山(くまざわばんざん)にも乗り移り、やがて幕末の平田篤胤(ひらたあつたね)と頼山陽(らいさんよう) の「尊王と復古神道」思想のブームにつながった。

水戸学も吉田松陰も、『史記 列伝』と 文天祥がお手本(鑑=かがみ=)である。 更には明治の国体(王政復古)、そして、昭和の軍人たちのいきり立つ軍国主義(田中智学=たなかちがく=の八紘一宇=はっこういちう=、大東亜共栄圏 )の大間違いにまでつながった。

それでアメリカに原爆を落とされて大敗北を喫してあれらの思想は消えてなくなった。だから今の私たちには伝わらない。幕末のインテリお姫様の天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)までが頼山陽(らいさんよう)の『日本外史(にほんがいし)』を全編、読みふけったという。

戦国大名たちは、なぜあのようなお城(初期は山城)を造ったか。それは、すぐそばの街道で通行税(toll gate tax トール・ゲイト・タックス)を取るためだ。 そして密貿易をやった。

人類史の本質として、税金と貿易(商業)からしか大きな利益は生まれない。百姓(農民、今のサラリーマン層)をいくらいじめても年貢(ねんぐ。その前は棟別銭=むなべつせん=と言った)はそんなに取れるものではない。大きな利益がなければ人間の群れは生きてゆけない。

鎌倉・室町時代に中国に留学した秀才のお坊様たち(今の官僚たちの祖先)は、坊主のくせに、なぜか朱子学(体制保守の儒学)を懸命に学んだ。 裏側の真実は、彼ら禅宗(臨済宗、りんざいしゅう) の高級僧侶たちは、大名たちに召し抱えられて、極秘で密貿易の立派な漢文を作成したのである。

その代表が、桂庵玄樹(けいあんげんじゅ)という京都南禅寺(なんぜんじ)の高僧で、彼は「海南(土佐)学派(南学)」や「薩南学派」 の儒学を生んだ。 彼は、「公帖(こうじょう)を受けて尚書(しょうしょ)を扱い、渡唐船(ととうせん)の書簡を司(つかさど)った」のである。

だから、幕末の西南四藩である、薩長土肥(さっちょうどひ、討幕軍 )は、いずれも密貿易で巨額の利益を出していたのである。そうでなければ、薩摩の島津の分家の娘である天璋院篤姫が京都の近衛家(このえけ、摂関家=せっかんけ=の筆頭、氏(うじ)の長者ちょうじゃ) ) の養女になり、第13代将軍・徳川家定(とくがわえださだ、初めから障害者 )の正室になれるはずがない。この時どれほどのお金が動いたかを想像するべきだ。

すべては金の話なのである。
お金がなければ、たくさんの人を養うことは出来ない。軍備を整えることが出来ない。金と軍事(政治)の話抜きで綺麗事の歴史観など持つべきではない。大きな資金がなければ何事も出来はしないのだ。あんまり綺麗事ばかりのウソの歴史を国民に教えるな、ということだ。

そうしたら、私は、江戸中期の大坂の町人思想家、富永仲基(とみながなかもと)に行きついた。彼は、神・仏・儒、即ち神道、仏教、儒教のすべてを恐れることなく、厳しく批判している。そして、まじめに働き、世の中の人々の為になる物を作って売って喜んでもらう生き方が、一番優れていると書いている。

私のこの本の結論は、日本人の優れた技術で、多くの電気製品を作って世界中に売って人々に喜んでもらう思想を実践した松下幸之助氏が、一番偉いということになる。

今は「金融(あぶく銭)の時代」である。昨今(2008年まで)の金融や投資ブームなどで一喜一憂している人々に反省を促したいと思って、必死になって私はこの本を書いた。

近年、金融・経済の本を書いてよく売れて、「金儲け」を煽っているお前がそういうことを言うな、書くなと言われても、私は黙らない。私は、この世の、本当の大きなことだけを書く。書いて国民に知らせる、と深く決めた日本知識人だからである。

副島隆彦

(転載おわり)

(転載はじめ)

あとがき

まえがき で書いたが、お金(売り上げ、収入、利益)の話を抜きに歴史を語ることは、本当の人間世界をごまかすことである。

2007年8月17日の「サブプライムローン崩れ」から始まった、アメリカの金融危機はこれからも続き世界に波及する。今の世界覇権国(世界帝国)であるアメリカは、“金融工学”というイカサマの錬金術で、指導者層から国民までがマネーゲームに狂ってやりすぎだ。だから、やっぱりこのあと数年で、「アメリカ発の世界恐慌(グレイト・デプレッション)」につながるだろう。

人類の歴史はどうやら60から70年の周期で動くものらしい。調べてみると、大きな自然災害(大地震、大噴火)の周期も七十年前後であるようだ。

私は自分の専門であるアメリカ政治思想研究の他に、近年、金融・経済ものの本を書いてきた。それで分かったことは、金融や投資で儲けばかり考える人々は愚かだということである。金融投資による金儲けと利殖のことばかりに熱中している人々は、たいていは失敗して大損をする。

それよりは、真面目にものづくり(商品やサーヴィスの生産)をして、堅実に働くことのほうがずっと効率がよいし、優れた生き方である。だから私は、松下電器産業の創業者・松下幸之助氏の生き方が素晴らしかったと考える。

それが本書で触れた、一七三〇年ごろ(八代将軍吉宗=よしむね=の享保=きょうほ=年間)の大坂の町人思想家、富永仲基への注目と大きな再評価へとつながる。

真面目にものづくりをして、まじめに世の中の人々のためになることをして、そしてそこから正当な利益を得て、それでそれなりの豊かな暮らしができることが人類(人間)の理想であり目標である。

ところが現実の日本は、投資と資産運用で生きる人々がたくさんいる、金利生活者国家(rentseekers nation レントシーカーズ・ネイション )である。いかに痩(や)せ衰えたりといえども、今でも日本は金持ち国(対外的な黒字国家)である。

近年は、お金儲けのための具体的な方策を示した話を書かなければ本は売れない。私はこのことでずっと苦しんでいる。

自慢ではないが、私は先が見通せる人間であるから、金融・経済の予測(予言)には自信がある。その定評も得ている。私は、自分の予測(予言)をあまり外さない。私には「時代を見通す力」がある。だから金融や投資にだけのめり込むな、と忠告したい。

私は自分が招かれて行って話す講演会で、そのあと質疑応答がある。そのとき資産家の高齢のご婦人(すなわち上品な老婆)から「先生。お金なんか、こんなに貯めて、それで何になるのだろうか」という言葉に出会った。最近、そういう機会が増えて、私自身が深刻に考えてしまう。「本当ですねえ。奥様。何になるんでしょうか」と思わず口ごもった。

それに対しては、私は、次の松下幸之助の言葉がいちばん効き目があると思う。「人は何のために生きるのか」に本気で答えようとして、私自身が問いつめて、松下幸之助の次の言葉に聞き入る。

(引用はじめ)

「同じ金でも」

同じ金でも、他人からポンともらった金ならば、ついつい気軽に使ってしまって、いつのまにか雲散霧消。金が生きない。金の値打ちも光らない。

同じ金でも、アセ水たらして得た金ならば、そうたやすくは使えない。使うにしても真剣である。慎重である。だから金の値打ちがそのまま光る。
(中略)
金はやはり、自分のアセ水をたらして、自分の働きでもうけねばならぬ。自分のヒタイのアセがにじみ出ていないような金は、もらってはならぬ。借りてはならぬ。

個人の生活然り。事業の経営然り。そして国家の運営の上にも、この心がまえが大事であろう。
(松下幸之助著『道をひらく』PHP研究所、1968年刊)

(引用おわり)

松下幸之助は、1918年(大正7)に24歳で独立して、以後、94歳で逝去するまで、約70年間、世界中の人々の生活の役に立つ電気製品を作って売り続けた。

金融バクチにのめり込んで、結局、大損するよりは、世の中の人々の役に立つ生き方をすること。そして若い人たちを育てることが大切なのだと私たちに教えてくれている。

最後に。この本を書き上げるのには、自分で言うのもなんだが、本当に苦労した。その理由は、江戸時代の儒学者たちの思想を描こうとして、自分がそれらの文献をあまりに読んでいないことにハタと気づいて、それで慌てふためいたからだ。もの書きとしての泥沼の闘いだった。

辛抱して付き合ってくださったPHP研究所文芸出版部編集長の大久保龍也氏に心から御礼を申し上げます。

2008年5月29日

副島隆彦

(転載おわり)

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