「170」「共同幻想論」に到達した思想家たち ②
副島隆彦です。今日は2月14日です。
「共同幻想論」に到達した思想家たち ②
前回①の続きです。
■共同幻想の暴走
共同幻想、集団が共同の観念を持つと集団暴走を始めるわけね。それは発狂ともいえる。最終的には戦争になる、というのが私の『新共同幻想論』の骨格です。
集団で発狂した時にお祭りとかをやって、一緒に飲んで騒ぐ。これをユーフォリア(euphoria)、熱狂と言う。まあ、みんなで踊り狂うという陶酔の段階くらいならいいんだけど、やがて儀式化された狂った行動を取るようになる。それが集団的な殺し合いという段階に入っていって、やめないんですよ。一旦殺し合いを始めると。敵の集団に対する憎しみが高まる。それは「自分たちの集団の存在を守るために、という崇高な理念の下で」、ということになるわけですが。

(お祭り、コンサート、スポーツ、戦争)
殺し合い(戦い、戦争)で敵を一番たくさん殺して、その首をいっぱい持って帰ってきた人間が「英雄」になる。そして支配者、指導者になる。だから司令官とか王様とか大名というのは、敵に対する一番激しい憎しみを持っている人のことなんです。周りがそのことを承認する。
男たちが、「山の向こうの別の部族を、こっち側に入って来させてなるものか」「彼らの奴隷なんかになりたくない」と言って、必死でぶつかって3人くらいの敵を殺してくるんですね。その中でも、本当はデブの男だと思うんだけど、女たちは強い男に憧れる。メスというか女というのは、その強い男の愛人になって性行為をして子供を生みたがるんですね。これは動物の行動でとして自然な過程です。ライオンとか狼とか、集団で行動する動物を組織動物といいますが、組織動物にとっては当然のことなんです。メスたちが強い雄の周りに集まって、そのオスの子供を産みたがる。強い男の周りにいると一番いい餌がもらえる、いい暮らしができる。キレイな着物が着られるとかね。これは非常に大事なことなんです。
だから、腕力や体力それと暴力の問題で、メス(女)たちがオス(男)たちに屈服していったんですね。これは動物次元から起きている行動だから、否定できないんですよ。人間、ホモ・サピエンスの場合でもね。
前回言ったように、ホモ・サピエンスは集団で共同幻想を持つ。「だから狂って発狂する。それが問題だ」というのが私、副島隆彦の大事な視点です。共同体が文化、習俗、慣習を持つようになって、やがて儀式化していって、毎年同じことをやるようになる。お祭りとかお祝いとか。 厳しい規定を作っていくわけです。やがてルールという考えを作っていく。「掟(おきて)や決まりを守れ」、という考え方になるわけ。これについては、今は話をすすめません。
考えてみれば、「文学」も共同幻想ですね。文化・芸術運動もそうだ。ヨーロッパ知識人の真似をしていた、反体制を気取っていた左翼文化である「朝日岩波文化」も死に絶えた。
■マインドもスピリットも、思考・知能・霊魂のこと
マインドとは、頭蓋骨(スカル skull)中にある脳(ブレイン brain)の灰白質でなされる思考、すなわち知能のことです。これは目に見えないものですが、大事なことでね。これはエイドス(抽象観念)の類(たぐい)です。だからこれをデカルト(1596-1650 53歳で死)がレスプリ((l’esprit)と言った。英語でスピリット(spirit)、ドイツ語ではガイスト(geist)と言うんです。これは日本語に訳せないんですよ。目に見えないけど、「ある」。人間の知能、思考、霊魂なんだ。

ルネ・デカルト(仏: René Descartes)【ここからは、wikipediaから抜粋。フランス生まれの哲学者、数学者。合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られる。考える主体としての自己(精神)とその存在を定式化した「我思う、ゆえに我あり」は哲学史上で最も有名な命題の一つである。そしてこの命題は、当時の保守的思想であったスコラ哲学の教えであるところの「信仰」による真理の獲得ではなく、人間の持つ「自然の光(理性)」を用いて真理を探求していこうとする近代哲学の出発点を簡潔に表現している。デカルトが「近代哲学の父」と称される所以である。
ただし、デカルトはそのすべてを信仰も根ざして考えており、著書『方法序説』(1637年)においても神の存在証明を哲学的にしようと試みてさえいる。『方法序説』の冒頭が「良識 (bon sens) はこの世で最も公平に配分されているものである」という文で始まるため、思想の領域における人権宣言にも比される。また、当時学術的な論文はラテン語で書かれるのが通例であった中で、デカルトは『方法序説』を母語であるフランス語で書いた。その後のフランス文学が「明晰かつ判明」を指標とするようになったのは、デカルトの影響が大きい、ともいわれる。wikipediaからの抜粋終了】
副島隆彦です。だからマインド(mind)というのは知能、思考のことを言うのであって、感情ではない。感情はフィーリングズ(feelings)です。それに対して、脳の作用としてのマインドなんだと。それ以外は物質。物質は、フランス語ではマチエール(matière)、ドイツ語ではマテリエール(materia)です。
デカルトは、「この地上には、この二つしかない」と言ったんです。霊魂つまり知能、思考。それと物質。この二つです。
デカルトのこの思想を理解したというのは、実は、大業績なんですよ。日本では学問ごとにバラバラに分裂してね、同じことを別の言葉で表すんです。本当は、ドイツ語のガイストとフランス語のレスプリ、英語のスピリットは同じ。マインドとも言うんだ。そういうことを、この150年間ずっと理解できないんですよ、日本人は。
■デカルトがなぜ偉大なのか
それをはっきり自覚したのが、私、副島隆彦なんですよ。拙著『教養としてのヨーロッパの王と大思想家たちの真実(秀和システム、2024年刊)』にもデカルトの話を書きました。デカルトは1638年、『方法序説』という本に、「物質」と「霊魂(知能・思考)」だけでいいと。このことをはっきり書いちゃった。それがヨーロッパの当時一番頭のいい人たち、2万人くらいに影響を与えたんです。

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方法序説(デカルトが41歳で発表した)
『方法序説』(仏: Discours de la méthode) 【ここからは、wikipediaから抜粋。刊行当時の正式名称は、『理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法の話。加えて、その試みである屈折光学、気象学、幾何学』であった。序説と訳されるDiscoursは、Traitéが教科書のように体系的に書かれた論説であるのに対して、形式ばらない論考の意であり、デカルト自身がメルセンヌへの書簡で「方法の試み」であると呼んでいる。哲学的な内容はその後に出版された『省察 Meditationes de prima philosophia』とほぼ重なっているが、『方法序説』は自伝の記述をふくみ、思索の順序を追ってわかりやすく書かれているため、この一冊でデカルト哲学の核心を知ることができる。当時、多くの本はラテン語で書かれていたが、ラテン語の教育を受ける可能性が低かった当時の女性や子供たちでも読めるように、フランス語で書かれ、6つの部分に分かれている。オランダのライデンで出版され、その後ラテン語に翻訳されて、1656年にアムステルダムで出版された。初版は、宗教裁判により異端審問されることを恐れ偽名で発行された。「我思う、ゆえに我あり」の出典としてよく知られている。wikipediaからの抜粋終了】
副島隆彦です。デカルトが「神はいらない」「キリスト教はいらない」「お坊様たちはいらない」とはっきり言ったんですよ。これがどれくらいすごいことだったか、日本の知識人階級は、私以外の誰一人知りません。デカルト研究をやっている奴らが分かっていません。ようやく私が解明したんだから。だからデカルトは、カトリック司祭にヒ素で毒殺されたんです。
これはものすごく大事なテーマです。精神とか知能、思考、霊魂というのは目に見えないものだけど、人間の脳の中に「ある」んだ、とデカルトが言ったことは。デカルトは、「自分はそれを証明しきったわけではない」とも言った。彼は謙虚なんですよ。見えないけれども精神(知能、思考、霊魂)というのがあるんだ、「存在する」と言った 。それと物質、すなわち物理学で扱うすべての物質(現象)。それしかないんだと言い切った。このことがものすごく偉大でなんです。だから、ヨーロッパ最大の知識人はデカルトなんだ。
■デカルトの後を継いだニーチェ
デカルトの後を継いだのがニーチェ(1844-1900)なんですよ。ニーチェも「キリスト教はいらない」「(ローマよりも前の)ギリシャに戻れ。ギリシャの知能・思考に戻れ」と言った。そうやって、ローマ教会やキリスト教の教会と闘ったんだ、というのがニーチェ思想の一番重要な理解なんです。これも日本人が分からない。拙著『ニーチェに学ぶ「奴隷をやめて反逆せよ! 」―まず知識・思想から』を読んでください。

フリードリヒ・ニーチェ(17歳のとき)

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■ユダヤ教
ユダヤ教がキリスト教やイスラム教の原型(基盤)だということになっている。モーセ五書【旧約聖書の最初の5冊。ユダヤ教ではトーラーとも呼ぶ。①創世記、②出エジプト記(ヘブライ語の原題は「名」)、③レビ記(「神は呼ばれた」)、④民数記(「荒れ地に」)、⑤申命記(「言葉」)】というのがあって、ユダヤ教はそれらに拠っている。みんなが知っている①創世記(ジェネシス)というのは、どのように宇宙がヤハウェによって作られたかという話です。

モーセ五書(wikiから)
前述しましたが、一番大事なのが、②出エジプト記です。紀元前1250年、モーセというエジプト人の男が本当にいまして、彼が1万人くらいを引き連れてエジプトから出て行った。エジプト新王国のラムセス二世という王様からお金(移住のための支度金)をもらって出て行ったんです。王様に、「あっちの土地(今のパレスチナ)にいい土地があるから、植民しろ。そこはエジプトの領土だから」と言われてね。その時に、エホバやヤハウェと呼ばれてる神を作った。これがユダヤ教なんですね。
モーセの死後、モーセの後継者たちが今のパレスナイスラエルに入っていって、そして他の部族たちを襲撃して、ぐるっと回り込んでエルサレムの地にたどり着いた。100年ぐらいかかって。こういうことが「出エジプト」に描かれている。だから「出エジプト」という教典だけは本物なんです。モーセの集団が襲った他の部族というのは、やっぱり同じようにエジプトから出て行っていって、モーセたちの集団よりも早く入植して都市を作っていた人たちです。その都市を襲撃して回って、乗っ取った。そういう事実の記載です。

映画『十戒』(1956)から有名なシーン
■ユダヤ教の本質をえぐり出したフロイト
この流れで大事な人物は、ジーク・ムント・フロイト(1856-1839 83歳で死)です。フロイトの名前だけはみんな知っている。彼は戦後まで生きました。フロイトはウィーン大学の精神医学者で、彼らの研究室までナチスドイツに壊されたりした。フロイトたちは最後までウィーンに留まろうとしたんだけど、最後はイギリスに逃げました。ロンドンに逃げて最後の本を書いて死んだんですね。

ジークムント・フロイト【ここからは、wikipediaから抜粋。Sigmund Freud オーストリアの心理学者、精神科医。神経病理学者を経て精神科医となり、神経症研究、自由連想法、無意識研究を行った。精神分析学の創始者として知られる。心理性的発達理論、リビドー論、幼児性欲を提唱した。精神分析学は、プシュケーの葛藤に起因する症状を診断し治療を行うための臨床メソッドであり、患者と分析家の対話に特徴づけられる。wikipediaからの抜粋終了】
副島隆彦です。日本にも精神医学、精神科という医学の一部がある。これは脳の病気です。「心(こころ)の病気」なんて聞いたら、私は怒りを覚える。ばか言うな、心の病気って言ったら心臓病じゃないか。
そして重要なのが、フロイトが最晩年、鬼籍に入る直前に書いた『モーセと一神教』という論文なんです。
『モーセと一神教』を、自分自身もユダヤ人であるフロイトが、ナチスから逃れてたどり着いたイギリスで書いた。そこにフロイトは、「モーセがユダヤの神をつくった。そこでユダヤ教が生まれたんだ」「だから、モーセがユダヤ教をつくったんだ」「ナチスらは狂っているんだ。同様にユダヤ教も」と書いた。それから、「王殺しをやった。モーセをみんなで殺したんだ、父殺しをやった」と。そうやってユダヤ教の本質を抉(えぐ)り出したんです。だからフロイトは凄い。偉大なんですよ。

『モーセと一神教』(渡辺哲夫訳 ちくま文芸文庫 本の紹介:ファシズム台頭期、フロイトはユダヤ民族の文化基盤ユダヤ教に対峙する。自身の精神分析理論を揺るがしかねなかった最晩年の挑戦の書物)
【語句「フロイト モーセ」について、ここからAIによる説明
主要な仮説と理論
〇モーセはエジプト人説:モーセが古代エジプトの貴族であり、ファラオ・アメンホテプ4世(イクナートンと改名)が創始した一神教であるアトン教の信奉者であったとフロイトは主張した。アメンホテプ4世の死後、アトン教は廃れた。そのためモーセは一神教の教義を異民族であるユダヤの民に伝えようとした、とフロイトは論じた。
〇モーセ殺害の集団的抑圧:フロイトは、ユダヤの民が最終的にモーセに反抗し、彼を殺害したという「父殺し」のシナリオを描いた。そして、この集団的な罪の意識が「抑圧」され、無意識の記憶として残ったことが、ユダヤ教が長きにわたって一神教の教義を守り続けた理由であると説明した。
〇精神分析理論の応用:本『モーセと一神教」は、ナチズムによる反ユダヤ主義が猛威を振るう1930年代に執筆され、フロイトの「遺書」になった。ユダヤ人であったフロイトは、猛烈な反ユダヤ主義の由来について、自らの理論を用いて対峙しようと試みた。
AIによる説明はここまで】
副島隆彦です。出エジプトで、そこでユダヤの神が生まれたと。モーセがユダヤ教を作った。こういうことを書いたから、フロイトの思想は偉大なんだ。この一番重要なことを、自称フロイト学者や、フロイト主義者の精神科の医者たち、自分はドイツ語ができて頭がいいと思っている奴らも分かっていないんですよ。
(『モーセと一神教』から転載貼り付け はじめ)
こうしてここで、結論を下すことができるだろう。もしもモーセがエジプト人であったとすれば、そしてユダヤ人に彼自身の宗教を伝えたとすれば、それはイクナートンの宗教、すなわちアトン教の宗教だったに違いない。
わたしたちはすでにユダヤの宗教とエジプトの民族宗教を比較して、この二つの宗教はきわめて対照的なものであることを確認した。次に・・・(中略)この宗教(アトン教)は周知のように、〔出エジプトの〕流浪が終わってから八百年の後に、ユダヤ人司祭たちによって確定されたのである。このように材料は不足しているものの、私たちの推測に好ましい特徴がみいだされるとすれば、それは・・・(略)
(転載貼り付け おわり)
副島隆彦です。やっぱりね、人格神を作ったことがいけなかった。それがいかんかった。そんなもんいらないんだ。人類は、朝、太陽が昇るのを拝めばいい。太陽崇拝をやっていればよかったんだ。自分たちにとって由緒ある岩山や川、それからご先祖、自分たちが始まったところの祠(ほこら)なんかを、みんなで拝めばそれでいいんですよ。それなのに人間は変な神を作って、大きな宗教にしていったんですね。これが共同幻想の始まりです。この神は人間の形をしているんです、時々ね。
■精神医学はあまり発達しなかった
病理学をパソロジー(pathology)と言う。脳の病気、いわゆる「頭の病気」を治すための学問が精神医学です。サイコパス(psychopath)というのが精神病患者です。psychoが精神で、pathはギリシャ語のpathos(苦しみ・苦悩)から来ている。だからサイコパスは「精神の苦しみにある人→精神病の人」ということ。だけど今「サイコパス」というと、共感しない人、良心がないような人を指しますね。
サイキー(精神)の病気の人たちの病状を治す、緩和するために、精神医学が存在する。しかし一言で言うと、精神病(脳の病気)というのは治せないんです。精神病の人というのは、国民の2%から4%いるんです。症状に応じてね。
だから、この精神医学はあまり発達しなかった。失敗しているんですね。病気を治せない。これもはっきりしている。ただ、どうしてもね、脳の病気の人たちいますから、たくさん。患者さんがいるからね、治療しなきゃいかんから、職業が成立してるわけね。そしてもっとはっきり言うと、精神科を選択する医学部生、医者たち自身も脳の調子がちょっと安定していなくて、おかしい人たちが多いんです。だから患者に寄り添えるというか共感できるんです。これも言っちゃいけないことになっているんだけど。
■フロイトの偉大さ
それでフロイト主義者(フロイディアン)の精神医学者たちでさえ分かっていないのは、「フロイトという人間は、医学の範疇(はんちゅう)を超えている」ということ。フロイトは3000件も5000件もの精神病患者の症状を診ているわけね。金持ちの家の娘とかが家族に連れてこられて、その患者とフロイトが対話をするという形で治療をする。対話することで症状を分析して、サイキー(精神)のアナリシス(分析)をやる。だからフロイディアン系(フロイト主義者)だけが、「精神分析学」という言葉を勝手に作ったわけです。治療を対話という方法、方式でやろうとした。この時はまだ薬というものがなかったですから。
幻想や幻覚の症状を起こす植物の葉っぱや、あるいは鉱物というか金属類で化学的に脳に幻覚を起こす物質、今でいう麻薬ですね。これらをフロイトや弟子のユングがいっぱい集めてきて、自分の体と脳で実験をした。それで自分たちでも脳(頭)がおかしくなって、「円盤が見えた」とか「空中を何かが飛んでいる」とか、そういうことを言い出したのね。それはそれでいいんだけど。そういう薬の最初の研究をしたのも彼らです。でもフロイトがすごいのは、これだけではないんです。
■フロイトは大思想家
フロイトは、ある日はっと気づいたんです。人間というのは一人一人の頭の病気だけではなくて、集団そのものが病気を起こすんだ。一部の集団どころか、部族全体が発狂状態に入ることがあるんだ。あるいは国家国民、ネーションステートという国民国家全体が集団発狂状態に入っておかしな行動を取るようになる、と。これがフロイトが最後に書いた、重要な本『モーセと一神教』です。
フロイトはオーストリア人だけど、大きく言うと大(だい)ドイツ人。ドイツ人なんですね。それで、ドイツという民族が、ゲルマン族が、集団でおかしくなったんだ。ナチス政権というのは頭がおかしくなった人たちなんだ、ということを見抜いたんです。だからその時点で、フロイトはただの精神医学者じゃないんですよ。これはもう政治学です。共同幻想は暴走する、人間は集団で発狂するんだということを発見したからフロイトは偉大なんです。
こういうことは、精神医学のレベルであれこれやることじゃないんですよ。国家次元、政治学、政治思想ですから。だからフロイトは「思想家」なんですよ。でも、翻訳ばっかりやってる人たちも、政治学とか政治思想研究をしている連中もそれが分からないから、フロイトを精神医学者として扱っている。ただ、フロイトが偉大だということだけは分かるんですね。
だから、フロイトが大思想家なんだと解明したのは、私、副島隆彦なんですよ。吉本隆明の『共同幻想論』と繋がっているんです。
■本『幻想の共同体』
私は前に自分の本、『日本人が知らない 真実の世界史』(日本文芸社 2018年刊)で紹介したんだけど、ベレディクト・アンダーソン(1936-2015 79歳で死)という人が『幻想の共同体(Imagined Communities)』という本を書いたのね。重要な本です。この人はイギリス人で、インドネシアとかタイとかの研究をやった。だけどアメリカのニューヨーク州のコーネル大学(7つの勇名な大学の一つ)の教授になって、それで終わって死んじゃった。

ベネディクト・アンダーソン(Benedict Richard O’Gorman Anderson)アメリカ合衆国に移住したアイルランドの政治学者、コーネル大学政治学部名誉教授。専門は、比較政治、東南アジア、とくにインドネシアの政治。【ここから、wikipediaから抜粋。中国雲南省昆明市に生まれた。母はイングランド人、父はアングロ・アイリッシュ。本人はアイルランド国籍を保持していた。ケンブリッジ大学で古典学を専攻して卒業。コーネル大学大学院へ進学し、1962年から2年間、インドネシアでフィールドワークに従事した。1966年、研究誌『インドネシア』を自らが主体となって創刊する。コーネル大学で政治学博士を取得し、その後は同大学で教鞭をとった。しかし、1972年にスハルト政権によってインドネシアへの入国を禁止されたため、研究フィールドをタイに移してタイの言語・文化・政治研究をはじめた。1976年、コーネル大学政治学部教授に昇進。1994年、アメリカ芸術・科学アカデミー会員に選出された。2015年12月13日、滞在先のインドネシア・東ジャワ州バトゥのホテルで、睡眠中の心不全により死去。wikipediaから抜粋終了】
副島隆彦です。ベネディクト・アンダーソンは、10年くらいまで生きていましたよ。イマジンド・コミュニティは、正しく訳すと『想像の共同体』です。この本には、「タイとかベタナム、インドネシアとかに王様がいる。その王様はどうも中国系らしい。それでそれぞれの国で独特のイスラム教や仏教といった信仰をして、文化や種族をつくってるんだ」ということを描いた。冷酷に書いた。だからベネディクト・アンダーソンは、インドネシアへの入国禁止になりました。
タイ王朝やベトナム王朝というのは、キン族という少数民族が最大の人口を持っている。キン族というのは、中国に敵愾心をを持っている民族なんです。それでも真実は中国人の血が入っていて、もうちょっと言うと、中国の綺麗な女の人を妻としてもらってきて、子供を作って、王家を繋いでいったりしてるのね。【今でもそうなんですか?】今でもそう。というか、つい最近まで本当にそういうことをしていたんです。それを言われたくなかったみたいね。

キン族【ベトナムにおける主要民族で、一般的に「ベトナム人」と呼ばれている民族です。キン族はベトナムのみならず中国、ラオス、カンボジア、タイでも少数民族として暮らしています。紀元前、東南アジア最古の青銅器文化「ドンソン文化」を発展させ、小規模な国家群を形成していました。これが古越人とよばれ現在のキン族の先祖です。tnk japan ベトナム旅行とベトナム情報をお届けします!参照】
副島隆彦です。インドシナ半島の「インドシナ」っていうのは、「インドチャイナ」ですよ。インド系とチャイナ系が混ざっているからインドチャイナ、インドネシアというんです。あの辺のタイ、ベトナム、カンボジア、ミャンマー…まあいいです。だからこの『イマジンド・コミュニティ』もね、共同幻想論そのものを解明した本なんです。
(「共同幻想論」に到達した思想家たち ③へ つづく)
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