「169」「共同幻想論」に到達した思想家たち ①

「共同幻想論」に到達した思想家たち ①

副島隆彦です。今日は2026年2月8日です

今回からは、私がどうしても出版しなきゃいけない『新共同幻想論』という本についてです。まだ企画を進行中ですが、その本の冒頭というわけではない2章か3章になるだろう内容に関して話します。

2025年3月の「今日のぼやき」会員ページに、『「新共同幻想論」の骨格を明らかにする 第1回~第3回』として、私は語り下ろしで書きました。
「新共同幻想論」の骨格を明らかにする 第1回
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それで種明かしというか、「共同幻想論」という本がすでにあって、それは吉本隆明(よしもとたかあき よしもとりゅうめい 1924-2012 87歳で死)という日本の戦後の、特定の人々にとっては戦後最大の日本の思想家の一冊なんです。吉本隆明の名前は割とみんなに知られている。1960年代に彼が書いた共同幻想論は反響がすごくて、当時100万人ぐらいが読んだ。だけど結局忘れ去られて、吉本主義者と呼ばれている人たちの間だけで残ったんです。しかし今や、吉本主義者はもうじいさんばあさんになって80歳代です。吉本は、ほとんど影響力を持たなくなりました。

吉本隆明【詩人、文芸批評家、思想家 1924年に東京で生まれ。東京工業大学を卒業後、戦後日本の思想界に大きな影響を与え、「戦後思想界の巨人」と呼ばれています。彼は1960年代に「試行」という雑誌を創刊し、政治や社会についての独自の視点を発信しました。著書には『共同幻想論』や『言語にとって美とはなにか』などがあり、彼の思想は今も多くの人々に影響を与えています。byAI】

だから、吉本の共同幻想論の解説をして現在に復帰させようと、私が『新共同幻想論』を出す。しかし本当の動機は、もっと大きな企てなんです。

 

■滅びかかっている人類学

部族社会の行動様式を、外側から観察しに来る学者たちがいたのね。それをアンスロウポロジストと言う。「人類学者」と今は呼ばれます。しかしこの人類学という学問も、実は滅びかかっていましてね、中心部分がどうもぐらついて大変になっちゃって、日本の大学の文学部の中でも人気がなくなった。アンスロウポーとは何かは、また別のところでやりますが、簡単に説明します。

スコットランド人は19世紀まで、農奴だったんです。サーフ(serf)と言って奴隷ではないんだけど、領主さまに全面的に「所有」されている農民、労働者のことです。サーフダム(serfdom)を農奴制と訳す。貧農(ひんのう)のことをペザント(peasant)と言います。これらは自立しているファーマー(farmer)たちとは違います。ロシアも19世紀までそうでした。

中世ヨーロッパの農奴の服装(wiki 農奴制から)

日本の江戸時代の百姓たちもそう。農奴なんですね。だけど本百姓(ほんびゃくしょう)の人たちから上で、ちょっと豊かな層の農民もいまして、それがファーマーです。そこで働いている10人20人の農業労働者たちが小作人で、即ちサーフ(農奴)、ペザント(貧農)です。貧農の子作人が、土地を領主から貸し与えられたという形になって、何十年間も、作った作物の半分を領主さまに渡すんです。

領主さまは名主(みょうしゅ なぬし)、庄屋(しょうや)でもある。肝煎(きもいり)とも言う。江戸時代だったら、農民たちは穫れたお米を年貢として庄屋あるいは名主の屋敷に持って行く。そこで検査を受けて、半分を渡すんですね。これが五公五民という制度です。

東京都江戸川区春江町にある「一之江名主屋敷」の入口(長屋門)
名主【みょうしゅ 名主とは、日本の古代末期から中世日本にかけて、公領・荘園領主から名田の経営を請け負うとともに、領主への貢納(年貢・公事・夫役)の責務を担った階層である。大名(だいみょう)は、大名主から転じた語である。by wiki】

ちょっと豊かな農民層は本百姓になる。普通の百姓(農奴)というのは米なんか食えない人たちで、稗(ひえ)や粟(あわ)、麦、蕎麦類の雑穀を食べてきていたようです。その方が健康的でよかったという説もあるけど。

稗【ひえ イネ科の植物で低温に強いほか、塩や酸性土壌にも強く、やせた土地でもよく育つ。ひえの語源は「日得」で、日ごとに茂っていくことから「日得(ひえ)」となったといった説がある。ひえは100gあたり367キロカロリー(白米100gあたり356キロカロリー)、ミネラルや食物繊維が豊富です。実は白く、小粒で、粘りがなく、食感はパサパサ・パラパラしている。冷めると独特のにおいが出てそもそとした食感になるので、よりいっそうおいしくありません。Investigate Blogのサイトから】

粟【あわ 実は小粒で、黄色や白っぽい色。「あわい味」というのが語源のようです。つぶつぶした食感で甘みがある。亜鉛やマグネシウムなどのミネラルや食物繊維が多く含まれています。あわには、「もちあわ」と「うるちあわ」があり、「もちあわ」は粘りがあり「うるちあわ」は粘り気が弱いです。現在市販されているあわは「もちあわ」が多い。Investigate Blogのサイトから】

 

副島隆彦です。アンスロウポーに話を戻すと、スコットランド人というのは、イングリッシュ(イギリス人)から見たら本当に「百姓」でね、農奴ですから。一言で言うとゴリラみたいに見えたと、生活している内容がね。汚い小屋みたいなところに住んで子供を養う。彼らの生活水準も非常に低いわけです。

だから「彼らをシビライズド・マン(文明人)にしなきゃいけない」という考え方がでてきた。スコットランド人やアイルランド人の、ただの貧しい農民の姿というよりは、なんか「ゴリラのような暮らし」。それを改良、改善するためにできた学問が、アンスロウポーなんです。だからアンスロウポーというのは、ホモ・サピエンスの学問なんですよ。

 

■ホモ・サピエンス

ホモ・サピエンスは「知恵のあるホモ」という意味で、ホモは人間という意味です。

ホモ・サピエンスは、類人猿と言われているものから分離したもので、類人猿に近いという考え方をしていた。類人猿はエイプ(ape)と言います。これはマンキー(monkey)じゃないんです。マンキ―というのは下等猿類で、ニホンザルとか尻尾があるやつで、木とか山とか岩に登る。エイプが進化してホモ・サピエンスになったというのが、チャールズ・ダーウィンたちの進化論の根底にある。

類人猿というのは高等猿類と訳した方がいいけど。サル目ヒト科は、①オランウータン②ゴリラ③チンパンジー④ボノボ⑤ヒトの5つだそうです【『日々、動物ブログ』のサイトから】。この話はこれ以上しません。

オランウータン ヒト亜科との分岐は1300万年前とされる
ゴリラ ヒト族との分岐は656万年前±26万年とされる。
チンパンジー ヒト属との分岐は487万年前±23万年とされる
ボノボ チンパンジーとの分岐はおよそ300万年前とされる
ヒト
【ヒト属(ホモ属)はおよそ200万年前にアフリカでアウストラロピテクス属から別属として分化し、ヒトの属するホモ・サピエンスは40万から25万年前に現れた。またこれらの他にも、すでに絶滅したヒト属の種が幾つか確認されている。その中にはアジアに生息したホモ・エレクトゥスや、ヨーロッパに生息したホモ・ネアンデルターレンシスが含まれる。by wiki人類の進化から】

副島隆彦です。結論を言うと、ホモ・サピエンスは「共同の幻想を持つ」、ということ。分かりやすく言えば、「国家というのを作る」とか「宗教を生み出した」とかあるいは「文化という名前で呼ばれるいろんな習俗、お祭りや儀式とかをする」、即ちカスタム(custom)を持つ、ということです。

カスタムはハビット(habit)とは違います。ハビットは個人の癖のことで、爪を噛むとか貧乏ゆすりをするとか。カスタムは、ある部族社会の中で行われている、画一化・規律化した行動様式をいいまして、それがカルチャーというツールを作っているわけ。

 

■「人類学」という言葉

最初は人類学とは言わなかった。例えば1800年代の明治時代に、日本を研究するために外国から日本に来て、オランダ商館長と一緒に日本国内を旅行したような学者がいた。彼らは博物学者と名乗りました。

それは博物館という言葉になって日本語に残っている。英語でミュージアムと言いますが、これは「植物がどのように生えているか(植生)」とか、「どんな魚が生きているか」とかね。そういう情報を現地に行って集めて回る。だから博物学者なんです。

ところがこの博物学者を英語で何というかというとね、言葉がないんですよ。ヒストリアン(historian)というと歴史家になりますね。ナチュラル・ヒストリーというような言葉があることはある。博物学と訳します。博物学者は、「鉱石岩石を研究する」とか「気象を研究する」とか、研究対象によっていろいろに分かれるんですけどね。この博物学者が人類学者になったんです。

その前に、エクスプローラー(explorer、探検家)というのがいる。探検家という言葉は、日本の明治時代から流行ったんだけどね。これまで行ったことがない奥地、山奥のようなところに入って行って、そこの原住民の暮らしを観察する。調査観察して地理も研究するという学者です。だから最初は、探検家からなんです。

イギリス白人のリビングストンという学者、知識人が、アフリカのど真ん中のビクトリア湖近くのタンガニーカ湖のあたりに初めて入って行った。彼が探検家、博物学者でもあるわけね。

デイヴィッド・リヴィングストン
【David Livingstone(1813-1873)は、スコットランド出身の宣教師・探検家。ヨーロッパ人で初めて、当時「暗黒大陸」と呼ばれていたアフリカ大陸を横断した。また、現地の状況を詳細に報告し、アフリカでの奴隷解放へ向けて尽力した人物でもある。by wiki】

タンガニーカ湖

ところが、「ナイル川の源流を探査中だったリビングストンが、東アフリカ内陸部で行方不明になった」と言って、彼を追っかけていったスタンリーという新聞(ニューヨーク・ヘラルド紙。1871年にスタンリーを派遣した)記者がいるのね。リビングストンを一生懸命に追っかけていく過程を、スタンリー自身が記事としてロンドンに送ったんです。そしてついに、タンガニーカ湖のほとりの村で病に倒れていたリビングストンを見つけた。

今から考えれば大変な風土病というか普通の白人たち文明人(シビライズド・マン civilized man)が入っていけないような、ちょっとでも変なものを食べたら病気にやられる、お腹壊して死んじゃうみたいな、そんなところで生きていたというのは、相当に強い体力と精神力を持ってたんでしょう。このスタンリーという新聞記者の文章が、当時、爆発的にイギリスで読まれたわけね。新聞社がわーっと読者をたくさん抱えて、ヨーロッパ中で記事がヒットした。それが大事な事件なんです。

 

■原住民の観察記録

原住民たちの暮らしを目撃して観察してそばで暮らして、それでそのどのような暮らし、生き方をしているかを調べる。そういうことも大事な考えなんです。共同体というコミュニティ、現住民のコミュニティを観察するわけですね。それが人類学で、それが共同体研究の始まりなんですよ。100年くらい前からね。

例えば、『親族の基本構造』という本【初版は1949年、1967年に増補された第2版が刊行され、世界的に大きな影響を与えた】を書いたレヴィ・ストロース。フランス人の学者です。戦争中に、彼はユダヤ系だったから南米経由でアメリカに逃げたんですね。その時に書いたのが『悲しき熱帯』という本なんです。

クロード・レヴィ=ストロース(1908-2009 100歳で死)
【専門分野である人類学、神話学における評価もさることながら、一般的な意味における構造主義の祖とされる。by AI】

 

副島隆彦です。ぼやきの『「新共同幻想論」の骨格を明らかにする 第1回~第3回』にも書いたけど、レヴィ・ストロースは、『悲しき熱帯(トリステ トロピーク)』という本を書いた。それは、「私が南米のブラジルの方に逃げて行ったとき、そのブラジルの川から陸地沿いを見ていたら、どうもドイツ人が原住民と交わっている。白人種が原住民と交わって川辺や海辺で暮らしてる」というような観察記録です。

レヴィ・ストロースの主著は『親族の基本構造(The Elementary Structures Of Kinship)』【親族の基本構造は彼によって唱された概念で、1947年に出版されました。彼は、親族関係の基本的な構造を社会的な要因に基づいて分析し、従来の生物学的な視点からのアプローチを批判しました。レヴィ=ストロースの理論は、親族関係の理解において重要な役割を果たした。byAI】。

キンシップのキンというのは親戚親類という意味です。だから親戚まで含めた大家族性、おじさん、おばさん、姪、甥…そういう関係も含めて20~30人の大家族で暮らしている様子を観察して、彼らの基本行動、例えばどのような婚姻形態を持っていて、どのように子供を産んで育てるのか、奥さんを何人まで持っていいのか、内部で争いがあったらどのように処罰するか、とかね。それを書いた本なんです。

レヴィ・ストロースの本は大著ということになっているけど。彼は日本にも来たことがある。日本人のことを「土人原住民」か何かだと思っていたみたい。威張り腐っていた男で、日本に来た時のあいつの演説は、本当に不愉快だった。NHKでやっているのを私は見た。

 

■共同体の研究(考古学、歴史学)

それで、こういう原住民、共同体の観察も、実は共同幻想に関係するんですよ。日本人は全体像で学問を見る力がないから、私が教えるしかないんだ。

シャーンスというフランス語があって、ラテン語ではスキエンザー、ローマ語ならサイエンス。これを正しく「学問」と訳さないで、日本語では「科学」と訳しちゃったからわけわからなくなってね。

学問の体系(副島隆彦著『世界の常識はウソばかり』から)

文化系の学問で、人文とも言うんだと。ヒューマニティーズ、即ち「人間に関わること」という意味ですね。文献があれば文献を指す。文献がなければ、文字(letter レター)を言います。文字があって、文字が並んでいると文章ですね。それが石の中に刻まれていてもいいんです。石碑にね。そこから歴史学(history ヒストリー)というんです。

茶碗とか土器とかが見つかって、「そこに人間たちがいた。集団生活があったことは分かる」という段階(まだ文字がない)は、アルケオロジーという学問になるんです。これもフランス語です。日本語では、考古学と訳しました。でもそれも歴史学の一部じゃないかと言うけども、厳密には、文字がある集団共同体の研究から後をヒストリー(歴史学)と言う。これも大事なことです。

だから土器や瓦や遺跡で文字が出ればヒストリー(歴史学)、なければアルケオロジー(考古学)。日本人は、知識人階級でさえ考古学と歴史学の区別がつかないものがいる。考古学、アルケオロジーの「アルケー」って言葉が大事でね。これは「形あるもの」という意味です。ギリシア語で、「形(かたち)」なんです。

それに対して、イデアの系統には2種類ある。一つは、人間の観念、脳の産物思考の系統が「イデア」でね。プラトンが言った言葉で、観念・抽象・知能のことです。エイドスとも言う。

イデアに対する重要な言葉が、アルケーです。こっちは「形あるもの」で物質、物体まで入ります。人間というホモサピエンスが集団で暮らす際に、いろんな「形」を持っているわけね。高床式 、竪穴式といった家の作り方とか、あるいは石の家とかね。その他なんでも、形あるものを研究するわけね。

あんまり横道にそれたらいけないんだけど、「アンアルケー」という言葉があって、これも重要なんです。アルケーは「秩序体制」という意味もあって、秩序体制を否定する者たちがアンアルケー、アナーキー。この人たちのことを、日本語では「アナーキスト」「破壊活動主義者」と訳した。簡単に言うと「過激家」ですね。「社会秩序を破壊しようとする人間たち」のことです。

私、副島隆彦はアナーキストではないけれども、アンアルケーの系統に所属する人間なんです。破壊的言論をやってきたから。日本では「アナーキスト」は、「反国家主義」、「国家を認めない思想」ということになっててて、それでいいんだけどね。破壊活動をやるやらないは別のことで、個人の考えといえばそれだけのことですから。まあいいや。

だからアナキズムというのはそういうことだと分かってください。それで、さっきの博物学者が人類学者になったという話。ソシオ・アンスポウロジーで社会人類学です。社会人類学のことをカルチュラル・アンスロウロジー、文化人類学とも言う。これらが混ざっているんです。

 

■ジリアン・テットは人類学を専攻していた

FTっていう雑誌、正式名称はThe Financial Times(フィナイシャル・タイムズ)っていうイギリスの金融経済雑誌がある。一番世界で高級な新聞ってことになってるんだけど、その株を700億円ぐらい、日本経済新聞(略称は日経新聞)が持っています。でもまあ、日本人は英語もろくにできないから、経営権を握っているわけじゃないんだけどね。中国に買われそうになったから日本に買わせた、とうのが実態です。

このFTに、ジリアン・テット(Gillian Tett  1967-)という記者がいて、私はよく彼女の記事を引用する。ジリアン・テットは、2007年頃、日本の大銀行たちが不祥事を起こしたという事件があったちょうどあの頃に、日本に5,6年間いたんです。その頃の彼女は30代、40代かな。ジリアン・テットはイギリス人なんですけどね。

実は最近知ったんだけど、彼女が「実は自分はソシオ・アンスロウポロジーをやったんだ」と本に書いていた。マダガスカルのある部族のところに入って行って、2,3年研究したと。まあ、そういう経験が自分には重要だったけど、あまり言わないで生きてきました、と。彼女はそのことで一冊本書いたんだけど。

ジリアン・テット【イギリス生まれ。ケンブリッジ大学で社会人類学を専攻しPh. D.を取得。タジキスタンでの学究生活を終えた後、インターンシップ制度でフィナンシャル・タイムズでの就業を志願し、給仕係など雑務をこなしていたが、バルト三国の独立に際してタジキスタン生活の経験を買われて取材に参加したことを転機に、ジャーナリストの道を歩むこととなる。東京支局長となったときにバブル終末後の失われた20年という世相を経験し、なぜこのような出来事が起こったか解き明かそうと、『セイビング・ザ・サン』(2004)を著作した。by wiki】

 

■ネアンデルタール人までは共同幻想を持たなかった

共同体理論の方に話を戻します。まず、「人類って何ですか」ということを話します。人類はホモサピエンスでいいんだけど、最近言われているのは「ホモサピエンスはネアンデルタール人から20万年前ぐらいに分裂したが、実は一緒に混ざっていたという説」です。これが多数派になっています。ネアンデルタール人もホモ・サピエンスも、どっちも集団生活をしていた。石の武器とか、そういうのを持っていたみたい。それと、火を囲む生活をしていた。暖炉を作って、獲ってきた獲物を焼いて食べる。これらは一緒なんですね。

しかし両者には大きな違いがあって、ネアンデルタール人には共同幻想がなかったと言われています。しかし人類が集団の言葉を発達させていくと、それは素朴な言葉なんだけど、「神」みたいなものを作るんですね。ホモ・サピエンスは集団行動ができるようになって、おそらくは集団で襲いかかるということができたから、ネアンデルタール人を打ちまかしていったんだと言われています。一方で、ネアンデルタール人は共同の観念、共同幻想を持てなかったみたい。その方が幸せだったかもしれない、と私は思っていますが。

 

「共同幻想論」に到達した思想家たち ② へ続く

 

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