「155」 数学という暗黒大陸 ⑤無限大/集合/ビッグバン

数学という暗黒大陸⑤ です。

 

■「無限大」から数学がおかしくなった
副島隆彦です。数学の無限大のことを、英語で infiniteというんです。finishがなくて、どこまでも続いていくわけ。逆の無限小というのもあるわけで、an infiniteというか、infiniteのマイナスバージョンです。マイナスのほうへどこまでも続く。

それらに対して unlimitedというのがある。極大とか極小といって、どこまででも大きく(小さく)なっていくということです。Infiniteとは似てるけど違うのね。

「無限大というのは存在しない。本当は極限なんだ」という数学者がいる。数学の極限概念は limitの概念なんであって、unlimitedと言わなければいけない、という説。これは、恐らく実在に近いですね。実在というのはこの世に存在するという意味で。数学は数を使うから、数を実在だということにしないともう成り立たない。とにかく、数の世界がある以上、無限大というのは要するに無限極限。そう考えたほうが理屈に合う。

それなのに、「果てしなく向こう側まで」と言うから、数学がおかしくなっちゃった。それに対してそんなものはないんだと言ったのがクロネッカー(1823―1891 ドイツの数学者 ユダヤ系)です。クロネッカーは私が大好きな学者で、足立恒雄の本にも出てきます。

 

■「無限大」などない
このレオポルド・クロネッカーは、数学科の大家といえば大家で、ベルリン大学の教授だった。クロネッカーがはっきり言い切った重要な言葉があって、それは「自然数=ナチュラルナンバー=それは単純に1、2、3、4、5、6、7、8・・・この自然数は神がつくったもので、それを人間が利用している。ほかの“数”は人間がつくったものにすぎない、抽象であり観念だ」と。要するに自分たちが勝手に使っているだけで、無限大とか、無限小とか、そんなものは認めないと言った。

クロネッカー

(引用はじめ。『無限の果てに何があるか』から)

・・・この結果を得てからカントルは、次々と、「数列集合」、「超限順序数」といった独創的な概念を創造し、今日では古典となっている諸結果を発表する。

こういう大胆にして逆説的な学説がかんたんに受け入れられるほど世間の、それが新しいもの好きの数学界といえども、許容度は高くない。「全体が部分より大きくない」とはなにごとか。というわけで、とくに哲学者を自称するクロネッカーなどの激しい攻撃にさらられることになった。

(引用おわり)

 

副島隆彦です。クロネッカーは、自然数とか整数とか、美しい数字だけで数学をやれと言った。それ以外のことを考えるのは、造物主というか神に対する冒瀆だと。そういう偉そうなわけのわからん数学をつくってしまったのは、自分たち数学者の責任だ。それくらい思っているわけ。難しいだけの、わけのわからん数学はやめてくれと言った、私はこのクロネッカーが正しいと思う。クロネッカーは、集合論を大成したゲオルグ・カントール(1845-1918 素朴集合論の確立者。自然数と実数の間に全単射が存在しないことを対角線論法によって示す wikiから)とデデキント(1831-1916 ドイツの数学者 基礎解析の算術化、および現代の代数的整数論を構築した主要な数学者の一人)をすごくいじめた。

カントール


デーデキント

 

■集合論は1902年に死んだ(のに威張っている)
この「集合」について、前掲の足立恒雄の本から抜粋して引用します。

(抜粋引用はじめ。『無限の果てに何があるか』から)

しかし、すべての数学を数術に還元できるという思想は幻想にすぎないことが理解されてきて、二十世紀に至って、集合こそが数学の基礎たるにふさわしいと考えれられるようになり、自然数の概念そのものまで、集合によって説明されるようになったのである。・・・(中略)解があるかどうかを知りたいときに、「その式を満たす数の全体」を考えるという手法は一種の発想の逆転で、たいへん使いみちがいい。

このような形で数学に集合を持ち込んだのは集合論の創始者の一人デデキントであったが、以来集合はたんなる証明の手段という地位からだんだん向上して、ついには数字というのは集合を唯一の原材料(物質界における原子のようなもの)にして作り上げられている論理体系であるとみなせるところまでのしあがったのである。

(抜粋引用おわり)

 

副島隆彦です。この集合論は、結果としてとんでもない学問だった。1800年代には集合論が威張りくさっていた。1850、1860年から2000年ぐらいまでは、すべてが集合論ででき上っていて皆、嫌になった。私も、集合「50人の男子生徒と、50人の女子生徒がいます。・・・」とか一応習ったけど、何言ってんだ、こいつらと思ったね。

カントールの集合論というのは、AがBを含むとか、CはAに含まれるという包含関係とかね。(∪)とか(∩)、(∈)とかいう記号を使って、とにかく偉そうにしていた。全ての数学を集合論的に、より上の次元から解決した、ぐらいのことまで言った。本当にこいつらはふざけたやろうたちで。結局それが崩れたんです。

 

1902年にバートランド・ラッセル(1872-1970 イギリスの数学者、哲学者、論理学者、社会批評家、政治活動家、貴族のラッセル伯爵家の当主 wikiから)が「集合論のパラドックス(The paradox of set theory)」を書いて、集合論が公理のようにしているものを突き崩した。要するに集合論、インチキ数学とは言わないけど、現代数学はいろんな穴があいていて矛盾だらけで、これじゃあもう無理なんだと言っちゃった。 ロバチュフスキー(1836年の非ユークリッドの論文)や、このあとのゲーデル(1931年の不完全性定理の論文)と同じように、突き崩したんです。ラッセルは、割と自然言語で、近代西洋史哲学の本なんかも書いている人です。このラッセルとホワイトヘッド(1861-1947 イギリスの数学者、哲学者)が書いた『集合論のパラドックス(1902年)』について、足立の本から引用します。

バートランド・ラッセル

(抜粋引用はじめ。『無限の果てに何があるか』から)

このパラドクスは、1920年ころB・ラッセルその他の人々によって提起されたものであるが、これをきっかけにパラドクスがぞくぞく発見され、さしもの強力な道具と思われた集合論も重大な危機に瀕することになった。・・・(中略)「あらゆる思考の全体」を無限集合とみたデデキントにとっては致命的打撃であった。

集合論の創始者の一人カントルは、集合について、「いかなるものであれ、われわれの思惟または直観の対象であり、十分に確定され、かつ互いに区別されるもの全体を総括したものを集合という」と定義したが、このどこがいけないのか。なぜこれが矛盾を生じるのか。・・・(中略)数学ではどんな小さな矛盾でも矛盾は許されないということをあげたい。

(抜粋引用おわり)

 

副島隆彦です。集合論は1902年に死んだのに、その後も威張りくさっていた。1960年世代の我々まで集合論をやらされた。

 

■ヒルベルトがなんとか立て直そうとしたけど
ヒルベルト(1862-1943 ドイツの数学者 「現代数学の父」と呼ばれる)という、これもえらく立派な威張っている学者が、この“数学の危機”を救おうとした。ヒルベルトはまともで真面目で、しっかりした数学者です。それで彼ははこう言った。「数学は間違いのない学問であることは保証されるだろうけれども、通常の数学で使われる定理の多くが成立しなくなってしまうと、数学はみじめで、みすぼらしくなってしまう。それは困る」と言って、何とヒルベルトは30代の若さで、パリに世界中の数学者を集めて、国際数学者会議というのを開いた。そこで問題点を整理して、23の問題という質問事項をつくった。23というのが大変に大事な数字だった。それで、そこに集まった最高級の数学者たちがそれでいいと思ったわけだから、ヒルベルトはずば抜けた頭をしているわけです。

ヒルベルト

もっと言うと、ヒルベルトには「自分たちがやってる数学の、周りの方はもうぼろぼろだ」ということがわかっていた。「周辺の細かい部分に踏み込んでいったら、自分たちがやってることはもう、どうにもならない。でも、自分たちが立派な数学をやっているということにしなければいけない」と。だから、命題(質問)を限定したんです。私がヒルベルトをあまり攻撃する気にならないのは、彼は嘘つきじゃないからです。このヒルベルトは、現代の数学に矛盾が生じたら、それを公理にしてしまえばいいという言い方をしている。

それでヒルベルトが23にまとめたうちの一つを使って、前述したゲーデルがそれを疑う形で突き詰めていった。そしたらまたひっくり返ってしまった。それが不完全性定理です。要するに、数学の体系は、それ自体の無矛盾性を持ってなきゃいけないのに無矛盾性が壊れてしまったと、ゲーデルが証明してしまった。だから、最初に言ったとおりペンペン草も生えないようになったその場所に、現在の数学者たちはそこに近寄らないようにしようという感じで生きている。

 

■数学と神学は「相似形」。どっちもインチキ
だから私がこういう話をすると、ものすごく嫌がる。自分たちがつくってきた体系は立派な神殿やお城みたいだったはずなのに、その裏側をのぞかれて、本当は張りぼてだったり、いいかげんだったり、嘘八百だったりするということがばれてしまうからです。

これは神学とも似ている。神学者たちが威張りくさって「神の証明をやる」といっても、そんな証明ができるわけない。「神なんかいません」と言えばそれだけのことだから。

相似形、isomorphicというんだけど、同じ形ですね。例えば縦3メートル、横5メートルの長方形と、縦500メートル、横300メートルの長方形は均等に拡大しただけなのでこれが相似形です。 神学と数学は isomorphicなんです。似たようなものでね。要するにインチキなんです。

だから、数学そのものは何も生まない。数学なんかをまともにやるやつは狂い死にするか、おかしな生き方をすることになる。あるいは中学校、高校の数学、算数の先生になればいい。数学をやり続けるんだったら、それ以外にはもうやりようがない。それでなければ、途中でやめて、さっさと企業に入って、理科系サラリーマンやればいいんです。

ところが、こういう露骨な書き方をしている数学者はほとんどいない。難しいほうへ、難しいほうへ書いていく。仏教でもキリスト教でも、偉いお坊様が仏教やキリスト教の本とか書いているけど、何を言っているかわからないに決まっている。わかる人たちだけわかればいい。わからない者はあっちへ行けみたいな。「わからないやつはエラい仏教徒にはなれない」みたいな、ばかなことを言ってるだけです。要するにそういう世界だから、限界が見えちゃって、普通の人は近寄りません。彼らは「普通の人が近寄らなくなればいい」とさえ思っているんです。本当にふざけた人間たちで、それが私が怒る理由です。

普通の人たちにもわかるように説明する義務がある。証明できないんだったら、自分たちは敗れましたとか、破産しましたとか、潰れちゃえばいいんだと。それもできずに嘘八百のいろんな理論なんかつくるんじゃないということです。

こういうことを、足立恒雄の本を読むまでは誰も教えてくれなかった。2004年に私が『人類の月面着陸は無かったろう論』を書いた後、縁があってつき合いが始まったコンノケンイチさん、この人は、仙台の高等専門学校、理科系の高専を出ただけの人なんだけど、やっぱり宇宙物理学はおかしいという本を書いた。その彼の本の巻末にこの足立恒雄の書名があって、私が気になって『無限の果て…』を読んだのは2006年かな、私はそれまでの40年間、ずっと考え込んでたのね。

 

■物理学に虚数を使ってしまった、ホーキング
数学者たちは虚数i(アイ)を使ってもいい。それならそれでいいけれども、物理学者が使ってはいけない。物理学者は宇宙にまでいたる自然世界を相手にして、実在の世界を証明しようとした。しかし証明し切れないもんだから困って、虚数をいっぱい使ってしまった。それの最たるものが20代にALSを発症して重度身体障害者になったホーキング(1942ー2018 イギリスの論理物理学者)だった。

ホーキング

1960年代に、ホーキングは宇宙膨張説を数学的に証明したと言われている。そこに虚数がいっぱい使われているわけです。彼は最近亡くなりましたが、人気が出たのは1989年ぐらいからですね。日本でも『ホーキング、宇宙を語る――ビッグバンからブラックホールまで』という本が話題になった。みんなわけもわからないのに読んでベストセラーになった。

普通の人はわけもわからないのに読む。私でも若いころは、偉い先生が書いた大人気の本だというと、わけがわからなくても読んだふりだけして、結局、何もわからなった。こうやって私自身が被害を受けているので、本当に不愉快です。何だ、このインチキやろう、ふざけたやつらだったと、40年後にばれちゃうわけです。「シンギュラリティ」、特異点と日本語では訳しますが、そこでビッグバンが始まったということになっている。要するに「神様がいるところ」だと正体がばれてしまって、今ではバカにされている。

ホーキングが発表した頃には、ブラックホールは1個しか見つかっていなかった。それでそこが宇宙の中心だと、勝手に思い込んだんです。ところが、電波望遠鏡で観測ができるようになって、ブラックホールが何十個も何百個も見つかるようになったから、それでこのビッグバン理論はぶち壊れた。

なのに、ぶち壊れたはずなのに、今でも宇宙物理学はビッグバン(宇宙膨張論)でできているんです。不思議なことに、相対性理論からビッグバン理論は出てきている。ところが、アインシュタイン自身は相対性理論を唱えたくせに、宇宙膨張論を信じてなかったと言われていて。冗談みたいな話ですけど。

インチキ理論というのは10年ぐらい経つとバレる。それでもこの人たちは反省しません。今も反省していない。威張りくさっている神学者、高級坊主どもでも、「まずいなあ」ぐらいは思っているでしょう。アメリカの有名な大学にはこういうのがまだいっぱいいます。もういいかげんにしろの世界です。 結局、解けませんでした、わかりません、と正直に白状すればいいんですが。それが宇宙物理学というインチキ学問なわけです。

それで、非ユークリッド幾何学とか言いさえすれば、もうそれでわかったふりをする。もうそういう説明をするなと言いたい。巨大な断絶が起きて、そこで数学が一回死んでいる。あとは言いたい放題、やりたい放題。あとはモデルがあるんだと言った。モデルとか、システムとかいうんだけど。モデルビルダーという言葉で、あとはもう自分たちで勝手に絵を描いて、たいそう立派な絵が描けましたというだけのことであって、もうすでに真実、真理の探求では無くっている。

それでも役に立てばいいじゃないかということなら、テクノロジーと一緒になってしまう。数学者たちは、「僕たちはもともと、貧乏で、紙と鉛筆と黒板だけですから、威張っていません」とかって必ず言う。確かに数学者そのものは威張れない。装置がないから巨大な実験とかはない。実験をするにはいろんな巨大な装置が必要で、何百億円、何千億円のお金の導入が必要だから。 最後は原爆、核兵器をつくるような仕事になるだけどね。今は核融合というのをコソコソと一生懸命やっている。

 

(数学という暗黒大陸⑤おわり、⑥につづく)

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