「151」 数学という暗黒大陸 ①

副島隆彦です。今日は2025年9月27日です。

以下は私、副島隆彦が2020年に語り下ろしたものだ。ちょっとだけ付け足しをしながら、今日から数回に分けて載せていきます。

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数学という暗黒大陸

数学という暗黒大陸という言葉を、私、副島隆彦は20年前から使っている。ここに、これから乗り込んでいく。数学というと、多くの人が高校時代で落ちこぼれる。だから、ほとんどの人が数学の話など聞きたくない。 私も文科系だから数学は嫌いだった。高校2年までは一応習ったけれど、ほとんど覚えていない。しかし、その乏しい知識を土台にしてでも、数学についてわかりやすく話してみせようと思う。

◾️西洋学問の体系では、数学と哲学が神学のはしため
ヨーロッパ発祥の世界基準の学問体系は、
Ⅰ) 神学、数学、哲学
Ⅱ) 近代学問(サイエンス) 〇自然科学<物理学、化学、生物学、生理学、医学も一応ここ> 〇社会科学<社会学、経済学、政治学、心理学>
Ⅲ) 人文(ヒューマニティーズ) <文法学、修辞学、弁証法、算術、幾何学、天文学、音楽>

の3つで出来ている。私は次に載せる「学問の体系」を作って、30年前から弟子たちに教えています。

(決然たる政治学への道or 世界の常識はウソばかり から学問の体系(副島隆彦作)

 Ⅰ)の神学は神の学問。神の存在を証明する学問です。今、佐藤 優(さとう まさる、1960年生、65歳)さんとの対談本(本の題名は――、2025年12月刊予定)を作っていますが、彼はこの神学者(セオロジスト)です。

この神学に、哲学(フィロソフィー)と、数学(マテマティックス)が下女(げじょ・はしため)として付く。哲学と数学は、そのようなものとして、神学の下に位置付けられます。もう、数学が生まれたときからそこ(神学の下)に所属している。神学というのは「神の存在を証明する学問」なんだけど、その方法が数学。ところが、「数学で証明できます」といっても、Ⅱ)のサイエンスと違って、数学は「実験」も「観察」もないんです。「神は存在する」という前提で、それぞれが勝手に「証明できます」と。もうメチャクチャとも言える。

Ⅰ)神学と闘っているのが、Ⅱ)サイエンス(〇近代学問と訳す。✖科学)。Ⅰ)をやっているはずの僧侶(修道僧)の中から、「神が存在するのかどうか、わからない」という人が出てきた。彼らは、「わからないことはわからない」と言う。この冷酷な事実だけの、実験と観察による記述をするサイエンス(近代学問)が始まったのが西暦1500年くらい。今から、たった500年前のことだ。

◾️森 毅の『数学の歴史』
『数学の歴史』(講談社学術文庫、1988年刊)という本があります。森 毅(もり つよし 1928―2010 82歳で死)という京都大学の教授が書いた。森毅は私より25歳年上ですね。京都大学の教授で数学者で、東大の理学部数学科を出ている。この森毅さんは1990年ごろに、ものすごく人気があって、テレビによく出ていました。まず、京大の学生たちから、「授業がおもしろい」といって受けたんです。

ところが、森は数学者といっても、数学教育者、あるいは「数学歴史家」 ともいいます。一般教養で数学を教えていた程度の人だと、数学者たちの間では、はっきり言えば、ばかにされていた。でも、普通の人たちは数学者の世界なんかわからないから、森毅の本で十分なんですよ。私はその頃、その本をちらちら読んでいたけど、わけがわからなかった。いろんな数学者の名前が出てきて。

森 毅
アマゾン 『数学の歴史』

数学歴史家というのは、歴史の流れとして数学者たちを説明するという学問です。 私の弟子の六城 雅敦(ろくじょう つねあつ)君が、『隠された十字架 江戸の数学者たち』(秀和システム、2019年刊)という本を出している。日本の数学者と言えば、関 孝和(せき たかかず、1842―1708。西洋と同時期のレベルに達する独自の数学〈和算〉を確立した、日本の数学史上最高峰の数学者)が有名だけど、もう1人、関孝和の弟分というよりも本当は同僚なんですけど、建部 賢弘(たけべ かたひろ 1664―1730)も重要です。彼ら江戸時代の数学者たち10人ぐらいを、六城君の本では取り扱っています。

関孝和

『隠された十字架 江戸の数学者たち』
アマゾン 『隠された十字架 江戸の数学者たち』

森毅の本から話すと、私が知ってるのは アルキメデスと ピタゴラスと ユークリッドだけだけど、もうこの3人でいいやと。この人たちは紀元前500年、300年、200年の人です。ギリシャ人です。ローマ人じゃない。あとはもうずっと後の時代、17~18世紀のフランスの ガロアとか ガウスになっていくわけです。それから ヒルベルトになっていって、どんどん難しくなっていく。

そして、ニュートンとライプニッツ。この2人の大物が微分積分学をつくった。それで、その業績をめぐって大げんかした。俺のほうが最初だ、先だと言ってね。ほとんど一緒なんだけど。

ニュートン


ライプニッツ

◾️近代数学はギリシャから始まった
古代ギリシャ。そこで三角関数というのがでてくる。簡単に言うと、正三角形が円の中に入っているわけね。それで、どんどんどんどん角をふやしていくんです。96角形まで増やしていったのがアルキメデスです。どんどん円に近づいていく。そしたら、ここで3.14という数字が大体出てきたんです。そこまで、すでに紀元前2300年にギリシャ人はやっていた。

だから、アルキメデスとピタゴラスとユークリッドが数学を始めた人たちで元祖、創立者です。彼らは偉大だったし、今でも偉大なんです。つまり人は、ファウンダー=創立者=がやったことを乗り越えられないんです。だから数学歴史学というのがあるわけです。

◾️解(かい)とは何か
「方程式」という言葉はみんな知っている。一番簡単なのは、たとえば
x+2=3 です。

「移項(いこう)」という考え方を中学校でも習う。左側の +2 という項(こう)を、どっこいしょと右側に移す。そうする x=3-2 で1になって、x=1という答えが出る。これが解です。わかりますね。

解のことをsolutionといって、今、ものすごく使われている言葉です。日本の巨大な宣伝広告会社である電通は、もう自分たちのことを「広告会社」と言わないで、「ソリューション・カンパニー」と言い出した。 ばかやろう、と私は思いますが。 要するに、「謎を解く、問題を解決する」ことを解、ソリューションと言います。

「答えをだす、謎を解く、問題を解決する」、もう一つの言い方が「根(こん)」で、これは根っこのこと。根を求めるといって、ルート(root)とも言う。またあとで出てきます。

上の式では x=1と出た、よかったじゃないかということ。そして、この方程式のことを equationと言います。これを、みんなが知らない。 「式」 は formulaです。式の形をしたもの、数学の式はformulaという。公式と言った方がわかりやすいかな。だけど、=(イコール)何とかと書いてあったら、もうそれは equation(方程式)になる。左側と右側が equalなのね。本当はイコールじゃなくてイークオールですけど。

次は、高校1年生。
x²+2x+1=0  これも方程式。これを因数分解すると
(x+1)(x+1)=0
となる。因数分解 【因数分解とは、足し算や引き算が混ざった式を、掛け算(積)の形に変形すること。因数分解によって、複雑な式をよりシンプルな積の形にすることができる】 は高校一年生でいっぱいやらされたから、割とみんなできるのね。例えば、

公式① x²+(a+b)x+ab=(x+a) (x+b)
例      x²+5x+6=(x+2)(x+3)
ab=6, a+b=5, だから a=2, b=3 または b=3, a=2

上の x²+2x+1=(x+1)(x+1)=0 の場合、x=-1です。これはわかりますね。ここから先なんですね。

◾️n次方程式にはn個の「解(かい)」がある
方程式を少し難しくします。上の式は
x²=-2x-1 になって、根号(ルート)で表記すると
x=-√2x-1になる。

要するに、方程式には解があるということです。

次に紹介する小室先生の本『数学嫌いなひとのための数学』にありますが、アルキメデスとニュートンとガウス。この3人が、偉大な数学者の中でも群を抜いていて、このガウス(1777-1855、ドイツの数学者、天文学者、物理学者、複素数平面の発見が功績として有名)が、n次方程式にはn個の解(根、こん)が必ずあることを発見した。

アマゾン 『数学嫌いなひとのための数学』

 

(引用はじめ、『数学嫌いなひとのための数学』P40から)


ガウス

読者の中には、「ガウスの大定理」なるものも、われわれの実生活とまるで無縁な問題ではないか、そのような問題を考え続ける数学者とは、実に奇妙奇天烈な存在だ、と思う人が多いかもしれない。しかし、このような証明がなされたということは、数学的に絶大なる貢献をしただけではなく、その他の自然科学、そして社会科学において、べらぼうに意義深いことだったのである。

例えば、神学について言えば、数学の最大の問題は、神が本当に存在するのかどうか、という点にある。つまり、確かに神が存在するとするならば、これこれしかじかといった大議論をしても実りがある。しかも、もし神が存在しないとすれば、どんなに神学的な大議論をしても、おおよそ無意味にきまっている。(中略)問題に、答えはあるのかないのか?これこそ、実は人間に突きつけられた最大の問題である。それなのに、人々は本気になって考えようとはしない。人類の一大事である!

(引用おわり)

 

(引用はじめ、『数学嫌いなひとのための数学』P 44から)

ガウスの存在定理によって、n次方程式には必ず解(根)が存在することが分かった。それでいて、5次以上の方程式は代数的には解けない(ガロアの定理)ことも分かった。これこそ数学が人に突きつけた重大このうえない認識である。

大学でもどこでも、このことを特に念入りに、学生・生徒に教えるべきである。これほど有益な教訓は他にないのだから。それなのに、教科書には影も形も見当たらないというのはどういうわけなのだろうか。(中略)解があることは分かり切っているのにどうしても解けない。これほどの悲喜劇もあるまい。いや、これほど重大な認識もないのである。

(引用おわり)

 

◾️天才、小室 直樹(こむろ なおき 1932―2010 77歳で死)

小室直樹

(小室直樹についてWikipediaの説明:会学者、経済学者、批評家、社会・政治・国際問題評論家。社会学、数学、経済学、心理学、政治学、宗教学、法学などの他分野を第一人者から直接学び、「社会科学の統合」に取り組んだ)

副島隆彦です。この『数学嫌いな人のための数学』という本を2001年に出した(69歳のとき)小室直樹は、私、副島隆彦の先生です。数学、物理学が日本で一番よくわかっている人、天才だった。小室先生は京都大学の物理学科を出ているけど、数学者や物理学者にはならなかった。そして4年後の2005年、脳がすり切れて思考力を失う(73歳)。そして、そこから5年後の2010年、東日本大震災と福島原発事故 3・11)の前年に死んだ。

この『数学嫌いの…』というのは大変な本だ。方程式と恒等式がどう違うかを、わかりやすく説明している。それによると、ケインズ経済学というのは方程式でできている。それに対して、それまでの経済学、古典派(クラシカル・エコノミックスClassical Economic)は恒等式なんだと。だから方程式と恒等式がどう違うか、それがわかると経済学のエッセンスがわかる、と小室直樹先生は説明しています。

「クラシックス」というと古典作品という意味で、中世のころの作品という意味です。 文学でいうとシェイクスピアから昔、古いほうね。日本人は「クラシック音楽」というけどあれは間違っていて、英語では「クラシカル・ミュージック」というんです。モーツァルトやハイドンまでがクラシカル・ミュージックかな。ベートーベンあたりからモダンになる。

話を戻すと、小室先生は、『数学嫌いの…』本を書いた20年前にも重要な本『超常識の方法:頭のゴミがとれる数学』(祥伝社、1981年刊)を書いている(49歳のとき)。この本を、何と私は学問道場用に、許可をとらないで勝手に「数理的思考」というタイトルで400冊くらい、オンデマンドで勝手につくって学問道場で売ったんです。それがバレて、小室先生の奥さんに電話で怒鳴られたんですが。 それで私はこの『超常識の方法』を読んでから20年間考え込んだ。小室先生はこの本で、初めて一般評論文というか、普通の人たちのためにわかるような本を書いた。それまでは論文みたいな難しい本ばかり書いていたんです。今でも、世の中の人に理解されないままです。

日本人は、「ケインズ経済学は難しい」と言うけども、本当に難しいんです。経済学者でも、理解している人は日本人にはあまりいない。どう難しいかについて、私、副島隆彦は『経済学という人類を不幸にした学問』(日本文芸社、2020年3月刊)という本を出しました。

『経済学という人類を不幸にした学問』
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◾️小室直樹氏が教えてくれた、方程式と恒等式(こうとうしき)の判別

副島隆彦です。そうするとね。急に難しいこと、変なこと言います。
x+1=x+1
と書いてあったら、皆さんどうしますか。ここが大事なの。ここを数学教育で教えないんです。x+1=x+1と書いてあったら、ばかじゃないのという話になるわけ。移項して x=x になる。これは 0=0 と同じことなんです。A=A、つまり、「私は私」 と言ってるのと同じことなんです。これを英語で identityといいます。equationじゃないんです。つまり、これは方程式ではない。方程式ではないときには、線を3本(≡)引きます。三本の線になる。自己同一性と言ってもいいです。AはAというのは、AはAなんですよ。つまり、絶対変えられない。

ところが、A=Bという式がこの後すぐ出てきます。ここからが数学なんです、困ったことに。これはまたやりますけど。A=Aあるいはx=x、5=5とか。これはもう永遠に繰り返しても恒(つね)に等しい式、恒等式と訳したんだけど、ここからわからなくなる。

 

(抜粋して引用 はじめ 『数学嫌いな人のための数学』 P247から)

(1) x-2=0
(2) x-1=3
(3) x²―5x+6=0 などが方程式(equation)だ。それぞれの解は、(1)x=2、(2)x=4、(3)は因数分解を使って左辺=(x-2)(x-3)になるから、x=2または3のときに成り立つ。

x³―6x²+11x―6=0 なら、左辺=(x―1)(x-2)(x-3)だから、x=1, x=2 または x=3です。方程式とは、xが1だとか2だとか3だとか、ある「特定の数値の時にだけ成立」する。ここが重要です。

次に恒等式(identity)。
(1) x+1=1+x
(2) (x+1)²=x²+2x+1
(3) (x-2)(x―3)=x²―5+6 は恒等式。これらはxがどんな数値のときにも成り立つでしょう。

方程式と恒等式はどう違うか。方程式は解(と)くんです。解(かい、solution)を求めるんです。解は根(こん、root)とも言います。恒等式は解かない。恒に等しいですから、解きようがありません。数値を求めようとすることが無意味であるという意味です。だからそれを証明しろ(prove)、というのが恒等式です。

そして方程式と恒等式が分かれば、理論経済学(the theory of economics)が理解できます。ケインズの理論のエッセンスの有効需要の原理は方程式で表され、古典派のエッセンスのセイの法則は恒等式で表されるということです。今の学者は新古典派(neo-classical school)と自称していますが、実態は古典派(the classical school。ケインズ革命に猛反対した)と同じです。

古典派というのは、イギリスに発生した経済学派で、アダム・スミス(1723-90、国富論で知られる)を元祖とし、リカード(1772-1823)を代表とします。現在に至っても隆盛を極めています。彼らは、「自由市場はすべてよし」という学説。「自由放任(レッセ・フェール)にしておけば、経済はいちばんうまくいく」。これが古典派の教義(ドグマ、学説、信条)です。「経済に、何かよからぬことが起きれば、よからぬことを止めるためには規制を撤廃せよ」と。その「自由市場はベストである」ことが成り立つための条件が「セイの法則(市場に出した品物はすべて売れる=供給が需要をつくる)」です。

(抜粋して引用 おわり)

 

(数学という暗黒大陸①おわり、②につづく)

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