伊東市長の行動は、デモクラシーそのもの。とことんやったらいい。

伊藤 投稿日:2025/09/11 18:44

 伊藤睦月です。本日は2025年9月11日(木)です。

 昨日、静岡県伊東市の田久保真紀市長が、自身への不信任決議案可決を受け、市議会を解散した。それに対しオールドメディアは批判的な反応だ。あえて言うが、伊藤市長の言動はきわめて真っ当だ。選挙開催費用5千万円がもったいない、という声もあったが、これは地方自治法に基づくきわめて正当な手続きであるから、これの実施費用は、当然のコスト、デモクラシーのコストとして、伊東市民が負担すべきものだ。これをおかしい、という人たちの方が心得違いをしている。それがいやなら、最初から田久保氏を当選させなければよい。市議会も、不信任案の手続きが遅れた責任があるわけで、外部からすれば、「何か、裏にあるのでは」と勘繰りたくなる。

 実は、この案件によって、市政は何も停滞していない。さきほど伊東市のホームページをチェックしてみたが、きわめて、タンタンと進んでいる。選挙の争点となった、市立図書館の新設問題も、入札を中止して、既存施設のリニュアル、という方向性で再検討しており、おかしな対応はしていないようだ。あとは苦情の電話対応くらいだが、技術的に対処は可能だ。市のネットが、大炎上して、機能不全に陥ったということも聞かない。

 また、メガソーラーの建設問題についても、裁判で敗訴しているにもかかわらず、前市長時代に、建設のための都市計画変更も承認されている。これについては、伊東市、静岡県も、「手続き上問題ない」としているが、怪しいものだ。「モリカケ問題」と同じパターンが疑われる。疑えばきりがない。

 そもそも、伊東市の市政は停滞していない。もし、停滞していたらどうなるか。市内には、ごみや糞尿があふれ、治安が悪化し、生活保護や、福祉の手当てが止まるだろう。図書館や公民館などの公共施設も休止されるだろう。市職員の給料も不払い、遅配が起こっているだろう。(まさかそんなことはないと思っている人がいるかもしれないが、1960~70年代に、全国の自治体の一部で実際に起こったことだ。また、ギリシャなど財政破綻した国でもそう。)トランプ政権下の米国のように、大量の公務員が解雇されたりしているだろう。デモクラシーを貫こうと思ったら、それくらいのハレーションは覚悟しておかなければならない。

 伊東市でも同様なことが起こっていて初めて、「市政が停滞」した、といえる。しかし現実はそうなっていない。

 それは、国によって、「市政が停滞しないような財政的・行政的仕組み」が整備されていて、それが伊東市においても機能しているからだ。だから、メディアの反応も、何かユルイ。皮肉にも、それで、市民生活は守られている。5000万円の選挙費用も、市の負担が実質なくなるような仕組みになっている。そのことを誰も言わない。

 とにかく、地方自治は「民主主義の学校」といわれるように、国も学校で教え諭して、デモクラシー教育しているのだろう。これを「パターナリズム(父権主義)」という。だから、選挙もとことんやったらよい。第一、選挙のやりすぎで破綻した、自治体なんて聞いたことがない。

 以上、伊藤睦月記