覇権アメ第4章を読む(4)アメリカ合衆国は、「近代思想」による、世界初の、そして、成功したほとんど唯一の人工国家である。(イントロ)

伊藤 投稿日:2025/08/14 10:05

 伊藤睦月です。本日は、2025年8月14日です。これからは、私が覇権アメ、特に第4章を読んで、あれこれ思いついたことを書く。その大半は、副島ファンや政治思想史を多少ともかじった方なら、当たり前すぎて、「それが何か?」と言われそうな内容だ。ちょっと気恥しいが・・・

1)この本は、20世紀、21世紀前半の「世界覇権国」である、アメリカ合衆国の政治思想ガイドブックである、当たり前だろ、といわれそうだが、実はあたりまえでない。現在わが国に、流布している。「政治思想本」は、この本を除き、すべて、「欧米」(古代ギリシャ・ローマを含む)の政治思想本である。アメリカ合衆国のそれにフォーカスした本は、すくなくとも、この本の初版本(現代アメリカ政治思想大研究)が出現した1995年以前には、一般向けの本としては、存在しなかった。と、あえて言い切ってしまおう。

2)この本の第4章は、バーク由来の「自然法思想」とロック由来の「自然権思想」という、二大保守思想の対立から、話が始まっている。ここであえて、問うが、なぜ、バークなのだ。バークは、アメリカ独立戦争には理解を示したが、フランス革命は否定した。それはなぜか。バークは、英国のホイッグ党の政治家として、活動した政治家だ。英国では、彼は保守政治家とはみられていなかったのではないか。では、なぜ米国では保守、とみなされているのだろうか。(この答は、覇権アメのどこか、に書いてありますが、わかりますか?)

3)英国政治史において、ホイッグ党対トーリー党の対立は、高校教科書レベルのトピックスだ。後世、自由党対保守党の英国二大政党制、自由党の代表的政治家は、グラッドストーン、保守党の代表は、ディズレーリ、2人はライバル、とセットで覚えたものです。

4)そして、自由党は、いつしか労働党にその地位をとってかわられ、「自由民主党」という少数政党になってしまっている、まるでわが国の「社民党」みたいだ。

5)英国では、18世紀に、スコットランドを併合して、「連合王国」となるまでは、「イングランド王国」であったが、英国に限らず、欧州の「保守派」というのは、王制支持者、つまりは、「王党派(トーリー)」のことだ。ホイッグ党は、王権制限派であって、長年、トーリー党と対立抗争を続けていた。

6)ホイッグ党(派といったほうが、正確かも)、の最過激派集団が、クロムウェル率いる「清教徒」’共和制派)で1649年に時の英国王の首をちょん切った。クロムウェルの死後、1660年に王制が復活したが、1688年にホイッグ党の穏健派とトーリー党(当然、英国国教徒)とで、カトリック教徒の王様を追放して、オランダから王様を擁立した。(名誉革命)

7)だから、当時英国では、ホイッグ(山賊という意味の俗語らしい)は由緒正しい保守派(トーリー)からすれば、かつて、王様の首をちょん切った「反逆者」の末裔で、とんでもない連中だ。その仲間である、バークが保守、であるはずがない、ということになる。なるが、新大陸では、違うのである。バークが生きた時代には、ホイッグが穏健化して、王様の存在は認めて、穏健化してきた、ということもあるだろう。名誉革命を主導した政治思想は、ロックの「自然権思想」である。

8)新大陸では、英国本国では、「反逆者」扱いである、ホイッグたちが、迫害を逃れてきて、植民してきた。彼らが新大陸の先住者(ここでは、ネイティブアメリカンの存在は無視・迫害された)、支配者層になった。そしてホイッグの思想、バークの思想が、米国の由緒正しい政治思想(保守思想)のひとつ、となった。だから、独立戦争の時、バークは、植民地側に理解を示した。だって元は思想的には、仲間だもの。それに、フランス革命のような混乱がなぜか起きなかったからだと思う。もし、そのようなことが起きれば、バークは、独立戦争にも反対したであろう。

 伊藤睦月です。次は、ロックの「自然権思想」にかかわるお話になる。以前にも述べたが、以上のことは、ほとんどすべて、副島先生か、小室直樹博士の本を読めばわかること。高校教科書を注意深く読めば、わかるレベルだ。その程度なので、悪しからず。次から、本題。

以上、伊藤睦月記