ブレイク:日本古代史研究小史(2)津田左右吉(文献学)と梅原末治(考古学)の影響が巨大である。(その1)

伊藤 投稿日:2025/01/10 15:48

  伊藤睦月です。日本史、特に日本古代史に関して、文献学の津田左右吉(1873-1961)、考古学の梅原末治(1893-1983)の方法論は無視できない。この分野で、2人を知らない人は、モグリ、である。

 2人の考えは、学会通説の形成の基礎となっている。2000年以降、学会重鎮が物故すると、見直し、反動が起きてはいるが、なかなか手ごわい。私の理解の範囲で、雑談する。

(1)津田左右吉の「史料批判(造作論)」

 1-(1)津田左右吉は、戦前から有名な歴史学者である。「古事記及び日本書記の研究」(1919)、いわゆる皇国史観の風潮に抗して、「記紀は、編纂時の権力者の意向に従った神話・伝説であり、史実ではない」と主張。戦前昭和では、弾圧された。戦後は逆に英雄の一人となった。

1-(2)彼のすべては造作(フィクション)という主張は、結構インパクトがあって、現在でも歴史理解の基本となっている。歴代天皇のうち、2代~9代までは実在しない(欠史八代)とか、応神までは、神様で、仁徳から人間になる、とか、記紀の記述を簡単に否定・改変してしまう。「自虐史観」の典型として、右寄りの人たちから、強く批判(非難)されている。

1-(3)しかし、この津田の懐疑主義は、今でも、文献学の重要な考えの方一つとなっている。ただし、この考え方は、18~19世紀に欧州で主流の考え方であり、同時期の日本では、懐徳堂の山片蟠桃の方法論もである。明治に導入されたランケの方法論にも通じる。

1-(4)現在では、記紀のような神話、民俗学や人類学で扱う伝承類は事実でないとしても、そこになんらかの「歴史的真実」が示唆されている、という考えも有力である。造作論(懐疑主義)も思考の出発点としては、必要、と考えられているようだ。

1-(5)津田左右吉の「造作論」との関係は、よくわからんが、東洋史学会では、「世界史の中の日本史を探求する」という考えがあるようだ。岡田英弘博士のような、学会反主流派もこの点については認識を共通にしており、日本史学会、教科書の記述にも影響を与えつつある。それでも、まだ不十分、という批判もあるようだ。

1-(6)また、史料を徹底的に読み込む、という考えもある。古田武彦(1926-2015)が典型だが、文献学者共通の考えでもある。ただし、文献解読の範囲が日本史料に偏っている、との批判もある。

1-(7)文献学の新しい方法論として、歴史サイエンスの一つ、数理統計学の手法があり、そのパイオニアが安本美典氏(1934-)。

 邪馬台国論争で有名だが、1960年代、大学院生時代に、源氏物語宇治十帳の作者が紫式部でないことを、初めて実証的に解明した。(作者特定までにはいたらなかった)

 数理統計学は結局確率論なので、限界はあるが、有力なツールであることは間違いない。欧米では、安本の手法が主流になっていると思う。トッドやハラリが典型。わが国とは事情が違うようだ。

1-(8)歴史サイエンスは、むしろ、考古学において、威力を発揮する。理系出身や英語文献にも明るい人が多いようだ。このような傾向が顕著になったのは、私見だが、2000年以降。冷戦終結という大きな枠組みのなかで、津田、梅原の影響を強く受けた世代が、退場していったことが大きいと思う。歴史学は、これからが、面白くなってくる、と確信している。

次回は、考古学の動向について、雑談します。

伊藤睦月筆