日本古代史解明の補助線:倭国と大和国、いわゆる九州王朝説について

伊藤 投稿日:2025/01/03 07:59

 伊藤睦月です。日本書紀の内容を読み解くのに、避けて通れないイシューとして、九州王朝説、騎馬民族王朝征服説、邪馬台国東遷説、がある。騎馬民族王朝説は、私の見解(民族でなく難民だ)をすでに述べたので、九州王朝説、邪馬台国東遷説についてできるだけ簡潔に述べ、必要に応じて補足説明する。

1 九州王朝説とはなにか。

 古田武彦(1926-2015)により、提唱された学説。その後、古田は、北部九州、出雲、吉備、畿内、越前、関東、東北にそれぞれ独立した王権が存在した、とする「多元論」を提唱した。 学会主流の見解ではなく、少数説扱い(古田によれば無視されてきた、とのこと)だが、生前は、松本清張などが支持し、邪馬台国論争など活発な論戦を展開し、いわゆる「古代史ブーム」をけん引した一人でもある。既に故人だが、彼の主著27冊を公刊している関西のミネルヴァ書房が事務局となって、彼の見解を支持するアマチュア歴史研究家の会、「古田史学の会」を結成している。学会にも、少数派ながら、支持者がいるようだ。その一人である、若井敏明(わかいとしあき:関西大学非常勤講師)氏の定義を紹介する(『謎の九州王権』2021年祥伝社新書)

1-(1)古田氏は、邪馬台国(氏の主張では、邪馬壱国:やまいちこく)が九州にあった。

1-(2)『三国志』の『魏書』東夷伝倭人の条(以下、『魏志倭人伝』)以降の中国史書にみえる倭には連続性が認められる。

1-(3)以上を主な根拠として、九州を領土とする王朝が弥生時代初期から七世紀末まで存在した、とする。

伊藤睦月です。若井氏は、この古田説に修正を加えている

1-(4)九州王朝ではなく、「九州王権」と呼称する。

1-(5)4世紀~5世紀、倭の五王(讃、珍、済、興、武)のころにはヤマト王権の支配化に入っている。

1-(6)中国史書の倭に連続性が感じられるのは、一時、倭との通交が途絶したことなのから、中国史書の編者がそのように解釈した結果だと思う。

1-(7)伊藤睦月です。私はこの若井説を採らない。古田説の「中国史書にみえる倭」は重要な指摘だと思う。当時の中華帝国からは、九州のことは見えていても、はるか瀬戸内海を横断した先の「ヤマト」までは見えてなかったろう。

1-(8)副島隆彦先生は、旧唐書倭国伝に登場する「倭国」を北部九州に存在した国、奴国や邪馬台国の末裔である国で663年の白村江の敗戦で滅亡した、とする。

1-(9)その後、国号を「日本」と改めた、畿内の「山門国」に吸収合併された、とする。「九州王朝」「大和王朝」という言葉を使わない。私、伊藤は、原則、副島説を妥当と考える。そして、「倭国」「大和国」という呼称を使っている。(奈良盆地の「山門」だけが、「大和」と改名したことから、他地域と区別するため)

2 古田武彦の方法論について

  古田の良き論争相手であった、日本史学者の家永三郎(1913-2002:津田左右吉流のひとり)は、古田説を「精密な論証」と「主観的独断」が共存している学説、と評している。

2-(1)精密な論証

     若井敏明が指摘しているように、古田の特徴は、中国史書、日本史書、関連文献の徹底的な読み込み、で     ある。例えば、中国史書や文献には、「ヤマタイ国」と「台(旧字)」と表記したものは一つもなくすべて「壱(旧字)」と表記されていることから、すべからく「ヤマイチ国」と呼称すべき、などと指摘する。この読みの鋭さ、潔癖さは、古田の特徴である。

2-(2)主観的独断

     さきの精密な論証をベースに、大胆に推理する。これには、ち密な文献学者であった家永三郎をもてこずらせた。

 例えば、邪馬台国の場所について、魏志倭人伝を分析し、「博多湾周辺」と決めつけている。そして、学会が自説を採用しないのは、邪馬台国の場所を、朝倉とか吉野ケ里とか、博多湾から離れた場所を主張する、学会一派による「策謀」とする。また、古田の大胆な仮説は、考古学によって裏付けられつつある、とする。(古代出雲、法隆寺移転再建問題など)。もちろん「邪馬台国畿内説」は論外、トンデモ学説、とする。

 伊藤睦月です。「古田史学の会」の主要メンバーと思われる人々は、(1)ベビーブーマー(いわゆる団塊の世代)が多い。(2)民間の技術系サラリーマン(退職者)が多い。という特徴がある、という印象を受ける。

 いずれにせよ、3世紀とか4世紀には、いわゆる、ヤマト王権が全国制覇していた、という見解が妥当でないことは、文献の読み込みにとどまらず、考古学の研究成果、そしていわゆる、歴史サイエンスの成果が、証明しつつあることは間違いないようだ。そういう意味では、古田説に先見性があると認めざるを得ないだろう。だからといって、古田説にすべて盲従はしないが。

小休止、以上、伊藤睦月筆