私説:日本書紀、古事記の正体(10)(574)古事記は、「ふるごとのメモランダム」である。(多分、私だけ?)の続きです。

伊藤 投稿日:2025/01/02 10:07

伊藤睦月です。前回の続きから。

(5)古事記本文(上代特殊仮名遣い)は9世紀の仮名遣いであり、8世紀の文体でない(多人長の自作)という岡田英弘、鳥越憲三郎説を採用。

伊藤睦月です。以上を補足します。あくまで素人考えですが、内心自信があります。(酔ってませんよ!)

(6)日本書紀(ネイティブ漢文)は「読む書物」、古事記(変体漢文)は「聞く書物」、「読み聞かせる書物」、または、「演じる書物」。

(6)-2 当時は、まだ仮名文字は発明されていない。漢文を音読しても、お経を読み上げるのと同じ。意味が分からない。

(6)-3 変体漢文は、当時の日本語。音読には向いている。読んでわからなくても、音声で聞けば理解できる。だから古事記は読む本でなく、「聞く本」である。

(6)ー4 日本書記講莚のポイント(漢文)を抜き書きしたのが「日本紀私記」。これの講義シナリオが必要。それが「古事記」(ふるごとを書いたもの、つまりは、シナリオ、メモランダム)現代風に言えば「授業の手引き」である。

(7)内容構成は、日本書紀の記載が薄い、「神代編」を補足、充実(出雲神話など)

(8)「人代編」では、応神、継体から続く、舒明直系の正統性をアピール、それ以外の傍系を貶めるが、本(日本書紀)には書けないエピソードを、古事記にメモし、講義でしゃべった。

(9)講義を効果的にするため、散文だけでなく、文学的エピソード、要所要所に「歌(韻文)」を織り込んだ。後世の「歌物語」、「能楽」、「浄瑠璃」、「歌舞伎」、「オペラ」、「ミュージカル」といった、日本芸能の伝統、源流、となった。(現代の「スーパー歌舞伎 ヤマトタケル」(梅原猛作、脚本、先代市川猿之助演出)までつながる)

以上小休止、伊藤睦月筆。