私説:日本書紀、古事記の正体
伊藤睦月です。本日は、2024年12月26日20時37分です。
1 はじめに
日本書紀、古事記といえば、従来から「記紀」と称されて、わが国最古の歴史書とされている。記紀の使い分けとしては、古事記は、当時の日本語(変体漢文、万葉仮名)で書かれているため、国内向け。日本書紀は、立派な漢文(渡来人である、のネイティブ中国人が執筆した、というのが多数説)で書かれているため、海外向け(主に宗主国中国)に書かれた歴史書というのが、日本史学会の多数説であると思われる。当掲示板の守谷健二氏もこの多数説をベースに、新しい考察を加えようとしている、と理解している。
私、伊藤はこの多数説に異論を唱えようと思う。少し素直な考えではないかもしれないが、議論のサンドバッグにでもしてもらえれば本望。まず、結論だけを簡潔に述べる。
(1)日本書紀は、海外向けとみせかけた、国内有力豪族向けに、天皇家(天智・天武両方)の正統性を刷り込むために、作成されたプロパガンダ文書である。その目的のために、白村江の敗戦で滅んだ、九州北部の「倭国」の歴史も、「大和国」の歴史として取り込んでいる。
(2)古事記は、ほぼ30年に1回開催された、日本書紀の勉強会(日本書紀講莚:にほんしょきこうえん)の講師を務めてきた多氏(おおのし)が作成した、「講義シナリオ、あんちょこ」である。ほかに講義テキスト(日本書紀私記)も作成している。
伊藤睦月です。「倭国」、「大和国」は、副島隆彦先生の表記。。副島先生は「山門国」としたが、山門という地名は全国にあるが、副島説によると、奈良盆地にある「山門国」だけが、「大和」と名乗ったという。他と区別するため、「大和国」という表記を使用する。山門から大和への国名変更時期については、別に考察する。
伊藤睦月です。次回から、「日本書紀の正体」について考察します。(少し肩コッタ)
小休止 以上、伊藤睦月筆