2054さんへ。あえて再反論。もちろん返事は期待しておりません。「小林信者」は敬意をこめて言っていたつもりですが、残念です。

伊藤 投稿日:2024/12/26 10:05

 伊藤睦月です。2054さんへ。もちろん返信は結構です。

(1)騎馬民族の王=タシリヒコ=のちに聖徳太子と呼ばれる、と書いてあったように思います。

 ならば、タシリヒコ=聖徳太子、という等号の使い方は、論理的に正しいと、中1数学で習ったそのままを表現しただけです。それがなにか。

2)小林説が、卑弥呼を歴史上、3回も登場させたところに、違和感を持ちました。各回とも、1世紀近く間隔が離れているので、死んだ、と言う意味で3回とも殺された、と表現したのは、私の想像です。

 しかし、井沢元彦氏は、当時、発生した皆既日食で不安になった人々が、彼女を殺した、という説を発表していますし(私の記憶ですが)、シャーマンが死ぬときは天寿を全うすることはまれで、いけにえとして、殺されることが多い、という過去の読書経験(フレイザーなど)からする「持論」を述べたのですが、それほど、言われなければならないのですかね。

3)「考古学の問題は考古学で解決すべき問題だ」は、私の持論ではなく、佐原真という考古学者の発言です。(「騎馬民族はこなかった」NHKブックス)佐原については、先般投稿で紹介すみです。佐原は、江上の元祖・騎馬民族説(1948年発表)が、考古学の知見から出発しているのに、その後の考古学の進展状況を全くふまえないで、想像ばかりの物語を展開していることを、厳しく批判しました。「考古学の問題は考古学で」というテーゼは、私一人にとどまらず、佐原ひとりだけでなく、おそらくは、日本の考古学者全員の共通認識だと思います。彼ら全員に確かめなくてもわかります。

4)副島先生ですら3日かけた、というのは、余計なお世話だと思います。問題は何日かけたかではなく、その結果、副島先生の見解になにか変化が起きたかを確かめるのが大事です。

5)副島先生の投稿があったのは、2017年でしたっけ。斎川眞氏との共著、『天皇とは北極星である』の最終校正段階だったと、投稿からうかがえます。

 しかし、その天皇本でも、次作の『副島隆彦の歴史再発掘』でも、小林説には言及されていません。これが、現時点での副島先生の小林説に対する、「答え」だと思います。

 この「歴史再発掘」は、「今日のボヤキ」や「重掲」の投稿に加筆修正を加えて、本にまとめられたものだと思います。私は副島先生の投稿をずっと追いかけていましたからわかります。もし、小林説を一部でも取り入れたいなら、最終本でなくても、ぼやきなどへの投稿の段階でも、何等か追加の言及があったはず、それがないまま、新刊本が出され、それから、数年たっている。それは、なぜか。というところから、私の小林説の点検が始まりました。あえて、副島先生の見解を求めず、史料を読み、自分の頭で、あれこれ考える。それで、いつかの「答え合わせ」を楽しみにする。「副島推し」のだいご味、ここにあり、です。

  副島先生は、今現在、世界中すべてを相手に思想戦を闘っておられますので、答え合わせがいつになるかわかりませんが、それを待つのもまた一興、でございます。

6)最後に。2054さんねえ。あなたの大事な小林先生の、一番薄い本、でも一番重要な本、『古代倭王の正体』のあとがきもろくに読まないで、副島先生や私に批判がましい言葉をぶつけてくる、そういう暇があれば、改めて、小林先生の本を隅から隅まで読まれたら、いかがですか。

7)私も小林氏の9巻本、持っていますが、全巻読み通すつもりも、時間もありません。帯広告や、広告パンフレットが小林氏の見解をよくまとめてあるので、それを読めば、当面十分です。騎馬民族のことを語りながら、岡田英弘博士の本にほとんど触れない、このことをもって、小林説の正体見たり、です。本物に近づかない、ということを確認しただけで、私には、十分です。

以上です。2054さん、お疲れさまでした。

それでは、よいお年をお迎えください。

伊藤睦月拝