小林恵子説のプロトタイプとしての「騎馬民族征服王朝説」について(3)
伊藤睦月です。【541】の続きです。書く方も読まされる方も飽きてきた頃でしょうから、できるだけ手短に書きます。引用の煩を避けるため、あらかじめ、対象となる文献を列記します。
1 江上波夫『騎馬民族国家』(中公新書)
2 江上波夫・佐原真『騎馬民族は来た!?来ない!?(対談)』(小学館)
3 佐原真『騎馬民族は来なかった』(NHKブックス)
4 小林恵子『古代倭王の正体』(祥伝社新書)
5 小林恵子『江南出身の卑弥呼と高句麗から来た神武三世紀・三国時代(現代思潮社)
です。あとは私の考えを述べます。いきなり結論から。
1 21世紀に入り、「騎馬民族征服王朝説」の議論自体、事実上無意味になっている。副島「帝国ー属国理論」から派生する、「難民」理論で十分説明可能。
2 「騎馬民族征服王朝説」とは、邪馬台国九州論者たちによる、「邪馬台国東遷説」のバリエーションであり、その文脈で議論すれば足りる。
3 この説が発表された、1948年時点では、「民族」(ethnicity)の概念は、それほど厳密には定義されず、また、現在ではその概念を認めるべきかどうか人類学の分野では議論になっている。当時は「部族」(tribe)や氏族(clan)とほぼ同義のような使われ方をしているように思える。
4 であれば、「騎馬民族」ではなくて「騎馬の文化を身に着けた、部族、氏族、」とすれば、これは日本史学、考古学の主要テーマである「渡来氏族、帰化人論」として、日本列島征服後に騎馬民族なる部族がどう日本社会に入り込んだか、という従来研究にもつながる。
5 この「騎馬民族王朝征服説」は事の適否は別として、「日本考古学会内の議論」であり、学会村のよそ者である「小林恵子」が「ちょっかい」を出している構図だろう。だから、学問の常道からすれば、不当な取り扱いをうけているのだろう。(学者にとって自説を否定されるよりも無視される方がつらいのだと思う)
6 その小林恵子にしても、その著書の冒頭付近で、古田武彦(失われた九州王朝)、岡田英弘(倭国)を引用文献として掲載しながら、両者の主要主張部分には全く言及せず、私に言わせれば「不当に無視」している。これは、以前投稿したけど、「もっともやってはいけないこと(悪癖)BY安本美典」の最たるもの。古田はアマチュア歴史愛好家、岡田は東洋史学会の「よそ者」だからと無視しているんだ、と勘ぐっている。そうなると、三笠宮から可愛がられた、というエピソードも、本当だろうが、それが何か?と不審に思っている。
7 特に岡田は、ウィキペディアにも取り上げられるほどの、「騎馬民族征服説」否定論者で、小林が引用している『倭国』(中公新書)には、わざわざ『騎馬民族の時代』という一章をもうけ、いわゆる騎馬民族というのは、中国大陸や朝鮮半島の動乱から日本列島に逃れてきた「中国人(華僑)難民」たちであろう、という仮説をたてている。小林はこれに対して何の反応もしない。これでは、小林に対する学会村の連中の態度と変わらないではないか。自説を無視されることの悲哀はご本人が一番わかっているのではないか。
私は、子供の時に、親から「自分がいやなことは他人にしてはいけない」と教えられてきたので、こういう言動にはどうしても反応してしまう。「80歳の白内障のばあさん」であっても容赦しません。80歳なら、健康保険1割負担で、最新のレーザー手術で白内障治療できますよ、と憎まれ口をたたきたくなる。私の亡母もそうして、視力をとりもどしました・・・
少しエキサイトして横道にそれてきたので、それこそ少し、頭を冷やします。
以上、伊藤睦月拝