ブレイク:史癖(しへき)は、佳癖(かへき)なり(続き)
伊藤睦月です。前回からの続きを書きます。まずは、引用から。(引用開始)
(古代の))推理においては、次の二つのことが大切です。
(1)得られた証拠は、確実なものか。
(2)証拠から、結論に至る推理の道筋はたしかか。
伊藤睦月です。次は「悪癖」について
(1)推理というよりも、想像や連想を大幅に重ね、トンデモ本と変わりがなくなっているもの。
伊藤睦月です。私のいう「ファンタジー」ですが、単なるトンデモ本と片づけられるのは、少し違うかな、と思います。これ以降は、(1)の各論です。
(2)たとえば、「邪馬台国の九州説」、あるいは「畿内説」などの、前提、思い込み、先入観を持っていて、得られた材料をすべてその前提に合うように、「解釈していくもの」
(3)多くの材料の中から、自説に有利なものだけを、証拠として取り上げ、自説に不利なものは、すべて無視するもの。
(4)「自説」がある特定の「学説」であって、その特定の学説を信じ込んで、すべてその学説によって説明できる、とするもの。なんだかカルトに近い。
(5)自分できちんと調べ、確かめ、考えようとせず、誰かが述べていることを適宜組み合わせてストーリーをつくり、それでよし、するもの。権威者の意見に従うようになりがち。
(6)きちんとした証明よりも、とにかくマスコミなどを通じた宣伝に腐心しているもの。プロの研究者にも時々見られるそうな。
(7)観測された事実についての、ある解釈において有力な反論がすでに出ていることを見落としているもの。
そして、最後に安本センセイいわく、「以上のような注意すべき諸点がたくさんあるため、古代史の諸論点を考えるのは本当に頭の体操になります」とさ。
(引用終わり。『古代史論争最前線』はじめに)
伊藤睦月です。書き写していて、なんだか自分のことを言われているようで、冷や汗がでてきた。(笑)
確かに正論だが、これでは委縮して書けなくなるなりそう。まず、とにかく、書いてみることが大事。以上のような批判は他人にやってもらえばよい。そしてその批判を甘んじて受ける、そういう胆力を養う、ということでよいのでは。そのために当掲示板がある。
私、伊藤は、そう考えます。批判、反論上等!!!!
(罵倒は勘弁してほしい・・・)遊びをせんとや生まれけむ、ですな。
以上、伊藤睦月拝