【516】「重訳」について(【409】への返信:その5)への返信。

伊藤 投稿日:2024/12/07 10:43

伊藤睦月です。2054さん、早朝からお付き合いいただき、ありがとうございます。

2054さんは、「東倭」という、邪馬台国を盟主とする「倭国」とは、別の国、勢力の存在が倭の東にあった、ということを小林恵子説を使って、主張されているのでしょうか。

 それに対しては、2054さんの見解に賛同します。 ただ、「東倭」が史料上は、1か所、1回きりなのが気になります。

 ところで、『冊府元亀』は北宋時代にまとめられた資料集で、中国正史に記載されていない、史実がたくさん紹介されており、司馬光の「資治通鑑」とならんで、小林氏だけでなく、多くの研究者が引用しております。しかし、当該資料の出どころは明らかでなく、記載史料の真偽がわからない、2次資料なので、あくまでも、中国正史等一次資料を補完するものと考えております。今回のケースは一次資料が使えるので、それでよいのでは。あくまで、私見ですが。

 重訳が、文書の翻訳を重ねることなのか(鳥越説)、通訳者のことなのか(小林説)なのかは、平行線かと思いますが、中国への朝貢は、「文書」でやりとりするのが、基本で、当時の中国語をしゃべることができたかどうかは関係ないと思います。それに最近まで中国語の口語や発音は、まるで別言語かと思われるほど通じない方言が多いそうで、結局は、文書で会話しているらしい。(岡田本及び私自身の訪中経験)ここ50年くらいはテレビ、ラジオ等により、「北京官話」という、大連地方の方言が普及したので、大分口頭での話が通じるようになったとか。当時の状況が思いやられます。

 往生際が悪くて恐縮ですが、魏と邪馬台国、魏と東倭、邪馬台国と東倭とでは、口頭では言葉が通じなかった、文書で筆談するしかなかったので、重訳にしても、どちらの意味にもとれそうです。ああいえばこういう、ですみません。だから何?と言われたら微苦笑するしかないけど。

以上、伊藤睦月筆