2054さん、ていねいなフォロー、ありがとうございます。

伊藤 投稿日:2024/12/06 19:56

 伊藤睦月です。2054さん、拙文を丁寧に検討していただき、ありがとうございます。

 東倭とは、卑弥呼を共立した、倭の30国とは違い、倭の東、例えば東北地方にある、国、であるとの、ご見解ですね?確かに東北には、九州、畿内とも独立した勢力が、あって、魏に朝貢してきたという可能性は否定できない(三内丸山遺跡などの末裔か)とは思います。ただし、学会が納得するような根拠がでてきてないように思えます。残念です。

 ではなぜ、魏皇帝は「東倭王」の称号を与えなかったのでしょうか。そして、東夷伝になぜ「東倭伝」が記載されていないのか。宣帝本紀にあげられているくらいだから、司馬懿は喜んだはずなのに。(下條説のように、卑弥呼は魏皇帝の縁戚だから、特別扱いされたのだ、という説も魅力的ですが、まだ納得しかねています)そしてなぜ、1回しか登場しないのか。

 なお、「倭国王」の称号を与えうるのは、当時は明帝だけだと思います。(司馬懿はまだ、実権を掌握しきっていない)。邪馬台国と東倭の両方に二重に「倭国王」の称号を与える理由がよくわかりません。司馬懿はクーデタを仕掛けられて逆襲するまでは、実に「忠実な爺や」を演じていて、徳川家康にそっくりです。そういう挑戦的なことをしかけるのは、もっと後年だと思います。(自分の記憶だけで書いていますので、間違いあればご指摘ください)

 いずれにせよ、2054さんのご見解、刺激になってありがたいです。今後ともよろしくご指摘お願いします。

 なお、「重訳」は、鳥越憲三郎の解釈そのままです(『倭人・倭国伝全釈』東アジアのなかの日本  角川ソフィア文庫)それで、現時点では鳥越説を支持していますが、それよりもっと説得力ある見解がでてくれば、こだわりはありません。「重訳」の他の使用例が見つかるとよいですね。

 以上、伊藤睦月拝