ブレイク:邪馬台国は江南文化圏にあった(【504】のご返信)
2054です。伊藤氏は今年4月以降に本格的に文献を読み込まれているのですね、もちろん「上には上」がいますから、精通している人は世に多くいらっしゃると思いますが、古代史の学会全般を見渡している方はあまりいないと思います。
精力的な投稿で気力が充実しているようにお見受けしています。「病は気から」で、古代史の研究活動が病気を遠ざけ、退散させることを願っています(病気とは言え、お仕事を休んで文献を読み込むなどは、少々羨ましい・・・と思ってしまいますが)。
伊藤氏は『古代倭王の正体』(祥伝社新書)を入手されているとのこと。そして邪馬台国が奄美大島にあったことに首肯されるとのこと。この本の主張の最重要点に関連していると思います。さすが、伊藤氏は鋭いですよね。
小林恵子は「邪馬台国が江南文化圏にあり、数千年前から海洋貿易国家だった点」をはっきりさせたかったのだろうと私は推察しています。
(引用はじめ、前掲書p9~10)
今まで自分でも漠然としていて整理がつかなかった紀元前から直後にかけての邪馬台国の真相に力点をおいた。邪馬台国については新しい知見があり、どうしても書き残しておきたいと思っている。
(引用終わり)
2054です。エジプトの太陽神信仰が邪馬台国に何らかの形で伝わり、天照大神につながったことや、絹や蚕の原産地が奄美諸島にある可能性も指摘してきます。これらは以前の著作には見られない点です。
これらの点については、その根拠となる文献や資料を見つけられないので、ご存じの方には是非教えていただきたいころです。仮に数千年前からの人的交流が認められれば、日本の古代史全般が書き換えられることになりますので、非常にダイナミックな見解です。将来的にはこの点の解明が進むのでしょうが、解明するのは日本の古代学者ではなく、たぶん、海外の研究者になるのでしょう(勝手な憶測ですが)。