私の「副島学問」

浅川 雅彦 投稿日:2024/05/22 22:25

会員番号6205の浅川雅彦といいます。初めてこの掲示板に投稿します。

(副島隆彦が、2024年5月26日に、割り込みで、浅川氏の以下の文章に手を入れて、読み易くした。私、副島隆彦の先生としての仕事で大事にしていることのひとつは、弟子たちの文章に、赤ペン(朱筆、しゅひつ)を入れてあげて、文章を明瞭、明確にすることだ。どんな私に反抗的な弟子でも、私がその者の横についてやってあげる、互いの問答をしながらの、文章への加筆、加除訂正には、文句を言わず、感謝する。「お前は、ここで何を言いたのか。そうか、それなら、そう書きなさい」と、言いながら文章を手直しする。以下の文の書き手の浅川氏は、私、副島隆彦と同じもう70歳代の会員です。 副島隆彦 記 )

私は、本を大切にする昔流の教育で育った。これまでに本の整理処分は一度行ったきりだ。昨年、自分の本の置き場もそろそろ限界なので、大量に処分た。古本屋に引き取り依頼して、段ボール数箱を、自分でも市の焼却場に軽トラックで持って行った。トラックに満載の量だった。

古本屋に出した分は、自分が好きだったものだった。廃棄処分するのも勿体ない気がしたので、誰かに読んでもらえればと思ったが諦めた。本の整理は結構時間が掛かった。一冊一冊に別れを告げる如く、不思議な感覚で、表紙の確認はせずに、ページをパラパラめくったりした。「ああ、こんな本を読んでいたのか」とかした。同一著者名での本は、副島先生の本だけがかなりあった。その全て処分したのではなく、現在も40~50冊残している。

先生の本で処分する分を段ボールに入れながら、書名に見覚えはあったが、内容は殆ど覚えていない。多少記憶があってもぼんやりしたイメージ程度の覚えでしかなかったものばかりだ。「まッたく、自分が読んだって結局忘れている。よくもこれほどの量を先生は出版したものだ。書いたご本人は全て覚えているのかな。やはや凄いことだ」と思った。

処分せず残してある分の副島本を、分散した場所の書棚から一つの棚にまとめて、ざ~っと表題を見たら、記述テーマ領域の広さにあらためて驚いた。

先生の本はこれまでに優に200冊を超えると聞き及ぶ。私が読んだのは処分した分を加えて70数冊程度だ。その量とテーマの広大さに畏れ入る。

更に、更に。この学問道場のサイトへの先生の寄稿文も数えきれないほどの膨大な量の著述だ。これもいつか数えて分類されるべき研究対象だろう。

処分整理後、暫く経って、部屋でコーヒーを飲みながら、一つの本棚にまとまって並んでいる本を何気なくぼ~っと眺めていたときだ。 これまでの先生の著書と寄稿文で論述されている領域の広さ・内容の深さは、とても常人一人の言論人・学者ではなし得ないものだ、と気づいた。その業績はこの国の人たちに知らしめられ評価されなければならないと私は思った。

いずれ先生の思想・著述を理解しているSNSI研究所や学問道場の人たちが、その内容領域を詳細に分類し、それぞれを深堀(ふかぼり)して究明し、他の学者たちの論文との比較も行い、この多岐に渡る領域内容の横の関連性を整理し、先生の学問領域の体系化がなされるべきだ。

私はこのように考えながら、副島先生に一度、感謝を述べておきたいと思っていた時に、ある人から道場の掲示板に投稿しなさいと勧められた。(副島隆彦加筆。私自身が浅川氏にメールへの返事で勧めた。加筆終わり)

この重たい掲示板には、先生と専門研究者たちの発表が多い。私は読むだけ会員であり、もう随分長い間、文章を書かないから、場違いなところに投稿することに躊躇した。しかし勧めてくれた人から、ゆっくり自由に気が向いたら書けばよい、とアドバイスもいただいたので、自分なりに考えてから投稿する。

私は、先生の論考の内容をきちんと理解さえできていないから、他の人たちのように専門的なアプローチでの投稿はできない。 だが、グジグジと思いあぐねているうちに、単なる一読者に過ぎない私でも、いや寧ろ、素人の読者であるからこそ、普通の読者としての感想雑文で、先生の学問業績について多くの日本人に伝えられるだろう、いや伝えたい部分があるのだ、と思うにいたり書くことにした。

先ず、副島本・副島論稿(ここからあとは先生への敬称は省略する。ご容赦願います)でカバーされている領域の広さと内容の深さは、私ひとりの読書経験からだけの物言いとなるが、他に類を見ないものと言える。 読んでいて、途中自分の知識の少なさ、理解力の低さを徹底的に感じさせられ自己嫌悪に陥ることもしばしばだ。先生のどの著書・論稿にも知識の広さと深さが必ず表れている。それに基づく思考力の凄さに圧倒される。だから畏怖の念を抱かざるを得ない。決して大袈裟でなく、空恐ろしいという感覚もする。

余談ですが、時折、論稿の中で先生の言葉として、「こういう基本さえ分かっていないバカがいる」との叱咤の表現が出て来る。そういうときは自分が言われている気がすることよくあった。ひょっとしたら、先制の本の読者ターゲットは、あるレベルをクリアしている人々限定なのか、とかも思ったりする。それでも読み続けるのが勉強と思って続けてきた。

戻って。 副島学問の領域は広大無辺ともいえる、幅の広さと奥の深い総合的なものだ。こういう多領域を表す用語は何だろうか。それに匹敵する業績をこれまでに成し遂げてきた人物は誰かいるか、と考えたことが度々あった。だが適切な用語が見つからない。最初に浮かんだのは最近ではあまり使われなくなった「博物学(はくぶつがく)」なる用語だ。これは言葉のイメージから、これは自然科学 Natural Science の範疇(はんちゅう)を扱うから、Natural Historyと呼ばれているものの方だろう。

日本人でこれほどの幅の広い学問業績を成し遂げた人への畏敬の念を抱かせる学者は誰だろう、と何気なく浮かんだのは、江戸期の「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」の塙保己一(はなわ・ほきいち。盲目でありながら、国学・漢学・神道・仏教から律令、医学、歴史、和歌文学にいたるまでを渉猟した )がいる。それから明治から昭和にかけての南方熊楠(みなかた・くまぐす。本草学・菌類学・生物学・博物学・天文学・民族学・語学・他の人文分野も)だ。 それぞれの分野を直接対比できないが、分野の広さは恐らくこれら偉業を成し遂げた人に、副島隆彦は匹敵すると思われる。

私の読んだものの記憶から、試しに無理を承知で、対比可能な分野を拾ってみる。語学・政治学・法学・経済学・金融経済・会計学・歴史・哲学・社会学・文学・宗教学・物理学から芸能(古典・映画等)までが挙げられる。更に細分化すると、歴史でも、西洋史・東洋史・日本史と枝分かれし、更にそれはローマ史とかヨーロッパ史とかに及ぶ。時期においてさらに中世とか近代とかに分かれる。哲学ではギリシャ哲学からインド哲学や神学、近世哲学などに枝分かれする。

副島先生のそれぞれの分野での深堀りは上位分類にとどまらない。きちんと枝分かれした下位分類にまで踏み込んでいる。現在この国にも数えきれないほどの多くの専門家と称される学者また評論家たちがいる。多くは特化した専門分野でそれなりの深堀研究をしており、それはそれで大変意義ある。しかし、それらの人々が自分の専門の横の分野に、どれほど拡げて研究研鑽しているかと考えると、副島領域の広さに肩を並べる人の名を挙げろと言われたらきっと困る。それほどに副島学の領域の広さは群を抜いている。

また、それぞれの領域でのその掘り下げの深さでも、副島学は専門家諸氏のレベルに引けをとらない。歴史事象のテーマ一つとっても、その知識の深さと考察の掘り下げの深さは半端ではない。このことに副島本の読者は皆驚いていると思う。

今ここで具体的な事例を挙げることは控える。だが、副島論稿の中では、それらの細部の分類に属する部分でもかなり突っ込んだ研究がなされている。だからこそ検証と説明に充分に説得力のある箇所が随所に出てくる。これを一般化して言うならば、その広い領域での学問研鑽を通じて涵養(かんよう)された教養がベースとなっている。

それ故、副島本が論究したテーマを追究する際に、縦・横の糸を操(あやつ)るが如く優れた考察展開ができているのだと私は思う。その考察の結果は広く深い教養から判断判定され、かつ断言が為されている。中途半端な曖昧な表現はとらず明確に断言する。それも副島学(研究)が他の学者・評論家と一線を画している大事な特長だ。日本語を使う我々日本人は、曖昧な表現文化なので、学者や評論家は責任回避策として断定断言を避ける癖がある。だから先生の断言は一層光放っている。

この観点も踏まえると、そのカバーされている領域を表現する用語は他にない。時代は違えども、上記に挙げた類似の偉人と比較してもその研究研鑽の取り組み度合には天才的な才能の共通性を感じる。この意味で現段階では「副島総合学」の呼称が相応(ふさわ)しい。

先生の業績として特筆しておきたいもう一つの分野として、「副島総合学」の内に入るべきものか、その外なのかの判断が私は点かないが、ジャーナリズムが挙げられる。一般的な表面をなぞるような、またそれぞれの利害関係者の思惑などを忖度しながらの無責任報道ジャーナリズムではない、真のジャーナリズムの姿勢だ。

先生は「真実暴き言論人」を標榜(ひょうぼう)しているとおり、それぞれのテーマで目を見張るべき論証・論述をしている。その膨大な量の情報を整理しようとすると、自己の判断を明確に述べるという一連の作業は、並大抵の能力と体力ではできない。それができているのは、「真実暴き言論人」という表現の裏に、それを支えているジャーナリストス・ピリットつまり「世の中の人々に真実を知らしめる」という使命感が張り付いているからだ。この分野では、メスを入れられた側からの妨害と敵対行為等も当然あるだろうから、これを貫いていくには並外れた強い使命感・精神力と勇気(ある時は闘争心)がなければ到底できない。この点においても畏敬の念を抱かざるを得ません。

私が副島本と初めて出合ったのは、今から30年ほど前になる。「英文法の謎を解く」という本だった。私は仕事上で英語を必要で使っていた。会話では対面で顔を見ながらですから間違いがあれば相手側からでもこちらからでも「それは違うよ」とサインが出るので、適度に修正しながら欧米人とのコミュニケーションはとれる。だが、レターとか文書でのやり取りになると会話上でのコミュニケーションとは違う。きちんとした文章でないとなかなか互角のレベルとは認められないんだなぁと感じた。これは文の内容の上手い下手というより、文章でのやり取りの常識的ルール、特に尊敬とか丁寧表現をわきまえているか。もっと言うと書く文に品格が備わっているか、が問われる。

自分の母国語でない外国語(この場合英語ですが)でやりとりせねばならないハンディキャップは、相手側も少しは理解している。だから、内容についてはやり取りを繰り返してるうちにロジックでの整合性が取れていけば、それなりにコミュニケートできる。だが、不思議なもので、ある程度のレベルまで上がった段階での文書でのやり取りとなると、文章上で常識的ルールの欠落やあまりの品格の低さと感じ取られた場合は、それはロジック以前に謂わば感情的に理解受け入れが難しくなる、という傾向があると感じ始めました。

「何言ってんだ。そっちは母国語でこっちはハンディがあるんだから」と息巻いたところで感情として潜在意識 subconscious)に刷り込み imprinting されてしまうから、簡単にはいかない。それを避けるのは、会話だ発音だというより、自分のような普通の学校教育での英語でしか学んでいない者にとっては、文法の理解だと思うにいたった。

そこで、一念発起して、一度忘れかけている学校英語教育をベースとした英文法のおさらいをしたのだが、昔高校の頃に使った文法書に近いものが見つからなかった。仕方なく二冊ほど新しい参考書を買った。だが、なかなかなじめず入っていけなかった。自分の時代とそれほど変わってはいないと思うのだが、高校時代の文法参考書のイメージがこれほど自分の脳に強烈に残っているとは思わなかった。不思議な感じだ。

そんな時偶然この「英文法の謎を解く」(1995,7,8年刊の3巻本。副島隆彦が加筆)が目に留まり新書版だがちょっと変わった感じだったので、買い求め読み始めました。

内容は、自分が求めていた所謂(いわゆる)教科書参考書の文法書とは趣を異にしていた。一般的な勉強用というものではなく、何か言語学(私には実のところこれが何なのかわからないが)の論文のような感じを受けた。だから、所謂高校程度の文法参考書によるような即戦力的な勉強用にはならなかった。古い学校英語が自分の脳こびりついているうえに、年齢もそれなりに来てしまったので頭の柔軟性はなく、おさらいの勉強は先に購入した文法参考書をざっと再確認しておしまいとした。

一方、「英文法の謎を解く」は、英文法に対する解釈の切り口がそれまで習った参考書とは大きく異なり、まるで何か小説のような優れた読みもののような感覚で読んだ。いろいろな事例の説明で「へ~ぇ」と驚いたり「そうなんだぁ」と納得したりするばかりだった。だが、30年前の当時、特に興味を強く持ち理解しようと努力して読んだ部分は、「不定冠詞 a / 定冠詞the」と「仮定法 / 条件節 」であったと記憶している。内容は既に忘却のかなただが。

それ以外でも、勿論(もちろん)面白く、今も参考にはなっているが、恥ずかしながら実際にその後の自分の英語に直接的に役に立てられたと胸を張って言える部分は殆どなかった。

ところが、このような副島隆彦の本の中の語学研究の本にも、前のほうで述べた「広い知識の横のつながりとしての教養」がベースとなった考察が随所に織り込まれていることにただただ瞠目(どうもく)した。例えば中世からのヨーロッパ哲学神学などからの文法体系への影響とか、実際の英米の辞典とか文法書も研究したうえで、それらからの説明もなされている。かつ他のヨーロッパ言語の文法とも比較検証されている。

こんな解説書は他で見たことがなかった。たかが新書版の、厚くもない本だが、実際この時、私は地鳴り衝撃ようなものを受けた感覚で「いやぁ、こんな人がいるのか」と驚きと興味で、別の著作を探してみたところ出合ったのが「政治を哲学する」(1990年刊)だった。

この「政治を哲学する」も、私にとってはこれまた衝撃的な本だった。この本ではそれまでの大方の日本の政治(御用)学者の説明・発言に慣らされていた自分にとって、新たな角度で日本や世界の政治を見る必要があることを初めて気づかされた本だ。彼らがいかにも専門家らしげな発言とは全く異なり、明確に(当時の)米国が世界を牛耳る帝国であるとの、歴史的背景から問題点、そして敗戦国としての日本がその帝国の属国(ぞっこく)であるということを解説していた。

ここでも論述に当たり検証・例証として、幅の広い横の学問知識からの内容がとても多く出ていた。再びその領域の幅の広さと深さに驚愕した。日本のみならず世界の政治学者や評論家の研究から、欧米の歴史、日本の歴史、また宗教論・論語から文学までの広大な領域のなかから関連性をきちんとひも解いての論述展開がなされていた。

ここで、ものすごく重要な副島総合学のキーワードは「米帝国と敗戦国日本の属国関係」だ。

この書が発刊されたのが約30年近く前でした。当時はこの属国という用語さえあまり目にしない時代だった。それから10数年後に、一部の識者・評論家例えば天木直人や植草一秀あるいは少し系統は違うが藤原正彦がWGIPの説明も併せ、ぼちぼち使い始めた。時代は進み今ではもはやSNSでの素人ジャーナリストでも日本属国と使っている。これ一つとっても副島総合学の先見性がうかがい知れる。

爾来(じらい)、この帝国ー属国関係論から延々とつながる、属国日本がどう国家として生き延びていくべきなのかという問いかけと提案、ヒントを時々の事件やトピックスに絡め研究発信を倦まず弛まず続けているのが副島政治学であり、副島総合学の根幹だと私はとらえている。

「副島総合学」としては、この根幹の政治学研究から派生的に生まれてくる、横の領域の研究深堀りで得た新たな究明と発見から、様々な異なる分野を主体としたものすごい量の著書・論稿がある。私個人は、金融市場、税金、株市場、資産保護運用といった分野での著書や論稿は他の分野に比べれば興味が薄く、あまり読んではいない。それ以外の分野でも、興味は強くあるが、たった一冊、たった一論稿を読んで理解するにも自分にとっては相当努力のいることだ。

大体に於いて、人は自分の能力というか力量の範囲を基準として、他(ほか)の人の努力度や負荷の度合を推し量るものだ。「副島総合学」を読み理解しようと努力しているときに、私はいつも思うことがある。 副島隆彦という人の頭の中はどうなっているんだろう、どういう脳をしているんだろう。考える力に於いても記憶力に於いても。どうしてそれほど異なる領域への勉強研究も行えるのだろう。 3.11(2011年の大地震、原発事故)で示された、原発事故の直儀に、現地にただちに行ったあの行動力(と放射能に関する勉強 )の源は何なんだろう。 国内でも世界中の出来事でも、その裏を取る情報把握が、どうしてあんなにできるんだろう。これだけの業績を生み出す時間の管理はどうやってできるのだろう、等々と。

どれ一つとっても遥か彼方の次元の能力の持ち主天才だ。だから、自分の力ではとてもイメージできないと諦める。副島思想というか論考は普通人にとっては決して容易に理解できるものでないことはわかっている。しかしアウトプットされたものがあるのだから、凡人の自分でも時間をかけて学んでいけばよいのだと、自分に言い聞かせている。

如何に副島先生の頭脳が柔軟で、ずば抜けているかの極(ごく)身近な例を挙げてみたいと思います。昨年でしたか、先生がギリシャ神話の全体像を書いた。

私も高校の頃からギリシャ神話の世界に少し入って読んでいた。ギリシャ神話をかじった人なら容易にイメージできると思うが、とにかく神々の関係が入り組んでいて複雑怪奇ともいえる。その神々の関係が絶えず頭を混乱させて、全体像は掴めなかった。ところが、先生の寄稿ではものの見事にそれらの関係性がまとめられている。

数え上げればきりのないほどの数の神々、少なくとも200~300 柱はいるといわれている神々の相互の関係性を、そのうちの重要なものを凝縮してまとめていた。若い時期のまだ柔軟さが残っている時でさえまとめられず理解中断せざるを得なかった自分と比べ考えると、驚くべきことだ。そのうえ神話の説明を続けるときでも、それらの主要な神々の名前と相互の関係性がポンポン出て来る。この頭脳の凄さに対しては、もう凄いの一言以外言葉が見つからなかった。この頭脳で、他の分野のこともどんどん研究解明するようだ。

副島本・論稿で一つ最近少しだけ気になることがある。まず大きな流れで全体像を掴(つか)むという点では問題はないのだが、時折、文章が流れの中で、いきなり飛ぶ。といいますか、車に例えると滑らかな道を走っているのだが、急に段差とかにあたりポコンと跳ね上げられるような感覚で、文章と文章の間に大きなギャップを感じることがある。すると途中の論理の説明が省かれ「えっ?? 何でかな?」と思う。

無論、結論的に矛盾をきたすものではない。 副島先生としては頭の中できちんとロジックは整理されている。そんなことは当たり前のこととして文を続けられているが、横の知識も不足している自分には少しわかりづらいということがある。読んでいるときに、一人芝居の如く「えっ、なんでそうくるんですか?」と思うとき、いや待てよ、質問でもすれば「お前は馬鹿じゃないの、他の基礎を学んでから出直せ」とでも叱られそうだ(苦笑)。だからなと自分を抑えまる。

閑話休題(かんわきゅうだい。それはさておき)。 「副島総合学」との最初の出会いの初期の2冊に関することを話したが、そこから約30年の歳月が流れた。この間、私にとって衝撃の大きかった本に関して簡単な感想めいたものは、次の機会に投稿する。先生が学問道場に寄稿された論稿に関してはまだできない。個人的には暫(しばら)く時間がとりにくい時期になるので、投稿するのはかなり先になると思う。

自分が齢(よわい)を重ねる毎(ごと)に、理解力・記憶も加速度的に鈍っていくのも実感としてわかってきた。副島隆彦先生がいくら常人とは違う彼方の次元の能力者であっても、脳も含めた肉体的な老化は不可避でしょう。そういうことも考えると副島総合学が、どういう形で次世代に継承されていくかという問題になる。知の巨人、不世出(ふせしゅつ)の天才と呼ばれるに値する先生の思想・業績を、相当な知識のある人たちでも一人の人が継承していくのは難しいことだと私は思う。

であらば、幅の広い領域分野を複数人でそれぞれを役割担当し、それらを総合的に coordinateすれば、一人でなく複数で継承できていけるのではと考える。普通であれば、一人の天才的頭脳が成した業績は、残っていればそれなりに後世でも評価をされ役立ち、価値は生き続けるので、特段の人による継承がなくともよい場合も多いのだろう。

だが、副島政治学は普遍的な政治学としての論考にとどまらない。現状の世界(国内外を問わず)の政治問題へも踏み込み問題提起と目指すべき方向性を示唆すべく、そのためのSNSI研究所も主宰している。したがって、時代の流れに並行して必要と思われるそれぞれの時点での副島政治学アプローチがなされそして国民に発信していくことがこの組織のミッションであろうと思うから、継承の必要性があると私は考える。

それには現SNSI研究員たちや学問道場の関係者また会員で将来そういう役割を担っていこうとする意欲を持った若手人材の参加が望まれる。 現在の研究員の人員や組織構成も知らないし、学問道場の会員のデモグラフィーも知る由もないが、SNSI研究所と学問道場の認知度の向上度合はどんな感じとなっているのか。

副島隆彦ブランドの認知度は相当高まってはいると思う。だが、SNSIは未だメディアやSNSでも露出・喧伝は少な過ぎる。現在、SNSでも真実暴露や体制批判は検閲され、A/C取り消しされる世の中になっている。副島先生は元祖・真実暴き言論人としてマークされているからなのでしょう。

でもSNSIの方々や学問道場会員がそれぞれにこの道場サークル内にとどまることなく、外に向かって副島総合学について発信・喧伝していけば、今は若い世代も意識が高まっている人が増えているから、認知度も上がり学ぶ意欲のある人たちがより多く集まってくると私は思う。何か良い方法を模索したいものだ。今回はこれで失礼します。   浅川雅彦