[3547]『古事記』と『日本書紀』の関係

守谷健二 投稿日:2023/05/10 11:52

今回は『古事記』と『日本書紀』の関係を書きます。

『古事記』は序文に、和銅五年(712)二十八日撰上の序文を持ちます。
いっぽう『日本書紀』は、養老四年(720)に撰上されました。(続日本紀)
『古事記』の方が『日本書紀』より六年前に成立していたのですが、『古事記』の方が『日本書紀』よりコンパクトであるが故に、『古事記』は『日本書紀』を見て書かれたものである、『日本書紀』の方が先に成立しており『古事記』序にある和銅五年は偽りであり、『古事記』の書かれたのは平安時代初期であると言う『古事記』偽書説なるものがしばしば登場するのです。

ここで私は断言します、『古事記偽書説』なるものは誤りであることを。『古事記偽書説』を唱える方々には共通する二つの欠落があります。
 一つは、万葉仮名(奈良時代の文献『万葉集』『古事記』『日本書紀』などの表記に用いられた漢字)に対する理解が欠けていることです。
 歌謡などの音を表すのに借用した漢字に対する理解の欠如です。明治の末期、橋本進吉博士は、全ての万葉仮名の分析から「上代特殊仮名遣い」と呼ばれるものを発見しました。七世紀から八世紀にかけての大和地方では八母音を区別して使われていたことを明らかにしたのです。(万葉集の東歌、防人歌にはこの区別はない)
例えば、上(カミ)と神(カミ)の(ミ)は異なる発音であったことを明らかにしました。両者の(ミ)は、異なる漢字で書かれており混同する事はない厳密性を持っています。
この「上代特殊仮名遣い」は、八世紀後半に崩れ、平安時代になると消滅します。この仮名遣いの有無が、文献が平安時代以前のものか、以後のものかのリトマス試験紙になります。
日本語学者は、『古事記』の方が『日本書紀』より古い語法で書かれていることを明らかにしています。

『古事記偽書説』を唱える人のもう一つの欠落は、『旧唐書』に対する無知です。日本では『唐書』と言えば『新唐書』を指し『旧唐書』は長らく隠蔽されてきました。『旧唐書』が再度日の目を見たのは第二次世界大戦の後です。
中国では『旧唐書』の方が信頼性が高く、『新唐書』はダメな史書と烙印が押されています。日本でも『旧唐書』を無視続けることが出来なくなったのです。それでも今も『旧唐書』の倭国伝と日本国伝の併記は、『旧唐書』編者のみっともない勘違いよる誤りである、と主張しています。

『旧唐書』は、七世紀半ばまで「倭国伝」(663年の白村江の戦まで)で作り、「日本国伝」が始められるのは、大宝三年(703年)の粟田真人の遣唐使記事からです。粟田真人等の使命は明確でした。天武天皇の命令で編纂した『日本書紀』(日本国の由来・歴史)を唐朝に説明し、承認して貰う事です。

つまり大宝三年まで天武の王朝(天武天皇を祖とする)を正統化する歴史は、一応完成していたのです。(これを今、原日本書紀と呼ぶ)
『原日本書紀』の歴史では唐朝を納得させることが出来なかった、天武の王朝の正統性を認めさせることが出来なかった。故に『原日本書紀』を修正する必要があったのです。
『古事記』は、『原日本書紀』のコンパクト版です、『原日本書紀』を修正する際の指示(命令)書です。

『旧唐書』日本国伝より

 日本国は倭国の別種なり。その国日の辺にあるを以て、故に日本を以て名となす。あるいは云う、倭国自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本となすと。あるいは云う、日本旧小国、倭国の地を併せたりと。その人、入朝する者、多く自ら矜大、実を以て応えず。故に中国是を疑う。・・・・