[3458]『物理学者が解き明かす邪馬台国の謎』の疑問点(続)

kona(会員番号2054) 投稿日:2022/08/14 12:07

konaです。下條先生、丁寧なご返信をありがとうございました。
私の説明が稚拙で誤解を生じたと思いますので、補足をした上で、下條説への疑問を追加で提示したいと思います。

(1)小林説による邪馬台国の比定について

下條先生は「奄美大島とすると狗奴国をどう説明するか疑問」であるとしています。しかし、それは小林説への誤解です。

小林説では、第一の邪馬台国を奄美大島としていますがそれは紀元前後の話です。魏志倭人伝では気候風土や邪馬台国への道程については紀元前後の倭人(南西諸国の倭人)についての伝承を記載したのだと思います。しかし、それは3世紀中頃の邪馬台国とは別物です。

魏志倭人伝の国々の関係の条では「北に奴国、南に狗奴国(熊本県菊池市)がある」とあるため、明らかに奄美大島ではありません。邪馬台国はその間の伊都国あたりとしており、奄美大島からは切り離しています。つまり狗奴国の比定については小林説は下條先生と見解が一致するはずです。

ただ、この南方の奄美大島に(第一の)邪馬台国が存在したとすれば、下條説では整合的な説明ができなくなります。第1の邪馬台国が奄美大島であれば、卑弥呼も奄美大島に存在したことになります。この卑弥呼は何者なの?という問題を避けて通れなくなります。

下條説では邪馬台国を「太宰府」と決め打ちしますが、それでは、魏志倭人伝の気候風土の説明は無視することになります。奄美大島と比定すれば、邪馬台国への道程も論理の飛躍を少なくして説明可能です。下條説での読み替え(20日を20里を読み替えるなど)は無理矢理の解釈のように思います。
なお、小林説では、邪馬台国は複数あり、卑弥呼も複数いるということになります。

(2)新羅本紀について

小林恵子によれば『三国史記』は一級の史料となります。

(引用はじめ・『海翔ける白鳥・ヤマトタケルの景行朝』p61)
12世紀成立の『三国史記』は、「新羅本紀」・「高句麗本紀」・「百済本紀」・「雑志」・「列伝」に別れている。『三国史記』は、中国の『三国志』・『晋書』はもとより『記紀』よりもはるか後年に完成したので、とかく軽視されがちである。それぞれの国に原史料(旧三国史記)があり、それをもとに編纂されたと考えられているが、そのせいか、私のみるところ、建国伝説や国王の血脈など、故意に隠蔽したり、捏造したりしている部分もあるが、それ以外は実に正確に当時の歴史事実を記録した一級の史書である。」(引用終わり)

邪馬台国当時の「日本列島の国際的位置を知るには、中国、朝鮮半島の史料と『記紀』の綿密な読み合わせが必要」(「江南~神武」p12)とするのが小林説における古代史アプローチ方法になります。下條先生はいかがでしょうか。

(3)金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)について

確かに下條説の通り、王室との縁戚関係があればこの鉄鏡を贈られることは自然です。しかし、その1点だけでは「間違いなく正しい」と首肯するのもできません。
私には評価判断するだけの知識はありません。ただ、果たして「魏王朝との縁戚関係」がなければ贈られないものなのでしょうか?
以上です。