[3319]60年前の若者たちはどのように考え/行動したのかを理解する

六城雅敦 投稿日:2021/12/31 12:52

激動日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972 池上彰 佐藤優 講談社現代新書 2021/12

会員の六城です。2ヶ月前に”真説日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960”の感想 を投稿しました。
我々が正しく左翼を理解しないかぎり政権交代の気運など盛り上がるはずがない

その続編”激動日本左翼史”の紹介です。書評と呼べるものではなく、あくまでも簡単な感想文としてお読みください。

自分は現在の社会集団としての日本に対しては悲観するほどではないですが、虚無的な感覚を持っています。

『人間を幸福にしない日本というシステム』と同じ現状認識

30年近く前のカレル・ヴァン・ウォルフレン の書名そのもの。そして平成から令和となった今では、その度合いがさらに酷くなっていると感じています。

なぜこんな不条理に民衆は怒らないのだろうかと不思議でなりません

それの回答として、本書では六〇年代の過激派の功罪として、政治的関心までも危険であると社会がみなしたことにある。いわゆる総ノンポリ化です。

同時代(1968年)にパリで起きた左翼勢力による五月革命は現在までもフランスの政治スタンスに影響を与え続けているのに対して、日本の新左翼運動は完全な裏目となってしまった。
そしてこの状況は日本の為政者にとって、とても具合の良い結果となっている。

頭の良い奴は既に爆発して発狂するか引篭もっているんだろうなあと同情します。
自分は頭の回転が良くないから、なんとか精神が保っているだけなんだと思います。

まあ歴史において平民が幸福であった国や期間なんてのも、過去一度もないのですが。
それにしてもなんか全土に覆う生ぬるいボヤ~とした、怒りが”漂白”された今の日本の現状が大嫌いです。

安倍晋三(と麻生太郎)の虚言漬け内閣による陰湿な隠蔽、国家統計の偽装と悪事とこれだけあり、それに続く公明党の元財務副大臣のリベート事件と政治に対する怒りが渦巻いてしかりな状況にあるにも、です。
60年前なら暴動が起きてますよ、絶対に。

副島隆彦先生の怒りのエネルギーの原点は高校時代に体験した新左翼運動です。

本書では従来のマルクス・レーニン主義を標榜する左翼思想から、戦後にスターリンと訣別しトロツキーの世界革命論を掲げて、自壊していく新左翼の時間経過が対談形式で解説されています。

また本来であれば武力革命を率先するべき共産党においても、武力闘争を放棄したことで各ブント(独:同盟)や赤軍派が飛び出していきます。

重要なことはなぜ若者たちが、次々に武力も肯定した新左翼運動に加わっていったと言うことです。

大学生は小ブルジョアジー(プチブル)と共産党は白眼視していた

かけ算も怪しいのが大学生になれる現代において想像しがたいのですが、大学への進学率は1割程度で裕福な家庭しか行けなかったからです。

その学生たちもやがて労働者側になるという発想が当時の共産党にはなかった。
資本家ではなくても知識や才能で必死に喰っている人たち(学者や芸能人)もブルジョアとして非難の対象としたのです。

だから大学生たちが抱える「ノブレス・オブリージュ」(高貴な者が宿命的に負う義務)のエネルギーがすべて新左翼運動へと集まっていたのです。

うん、なんとなくわかる。

世間知らずなのに、義憤に駆られるというのは若さの特権です。
でもそれ自体が「仁義なき戦い」そのもののような内部抗争を生み出していくということまでは想像できなかったのです。

それでも大学生の若い熱気はやがて全学連という組織として具現化して、労働者に代わって六〇年安保闘争で表舞台に立っていきます。

六〇年安保闘争は反米運動なのか、アンチ岸という反ブルジョア運動なのか?

池上と佐藤両氏が指摘しているのは、反安保運動も左翼内では所属によって糾弾相手がアメリカなのか国内の資本家と手先の岸内閣なのかと標的が異なっていたということ。

そして驚くことに共産党は対米従属を是としていたことです。(安保改正を進めた岸内閣だけを悪とした)
アメリカの力により天皇制を打倒してから民衆蜂起でアメリカを出し抜こうという戦略です。
この共産党の唱える二段階革命論は六〇年安保で急展開し、とつぜんナショナリズムを前面に出し始め、反米愛国主義に切り替わります。

(抜粋はじめ p75)
■共産党が「対米従属論」に固執したワケ

池上 なるほど。ところで共産党の対米従属論に話を戻すと、六〇年代といえば日本の資本主義は確かにまだまだ未成熟な部分がありましたし、その時代状況で「日本はアメリカの従属国であり、日本政府はアメリカの傀儡政権なのだ」と聞かされて納得してしまう人は共産党支持者でなくても一定程度はいたでしょう。正直なことを言えば、私自身も若い頃にそう思っていた面があったような気がします。
ですから私も学生時代に非共産党員の友人と、「日本は対米従属の半植民地国家なのか、それともアメリカの意向とは無関係に日本政府は対外進出を企てているのか」について論争したことがあります。
でも翻って、六〇年代とくらべてずっと経済的に発展した現在の日本が果たして米国に従属しているだけの国なのかどうかを考えると、これはなかなか難しいですね。
つまり従属国でないのであれば、日本は今日に至るまでのどこかの段階で独り立ちした帝国主義国になっていなければいけないはずですが、果たして今の日本がそういう国なのかというと、そうと見えるめんもあればそうではない面もある。この問題は現在においても曖昧で答えを出しにくい問題のように思えます。

佐藤 そうですね。ただ、帝国主義国だからといって完全に自立するとは限らないのも事実です。たとえば現在のドイツはアメリカの核の傘の下に入っている完全には自立していない国のひとつですが、ドイツがアメリカと組んでいるのは別にアメリカの属国だからではなく、単にドイツの政治エリートと資本家にとってそのほうが経済合理的だからです。しかし対米従属という見方に囚われると、そうした大国の傘に入りたがる(相対的)小国の主体的意思は見えなくなってしまいます。
またこの属国論は、陰謀論と結びつきやすいのも問題です。日本がひどい目に遭うのはすべてアメリカの陰謀であり、しかもそのアメリカを陰で動かしているのはユダヤ系のネットワークやフリーメイソンのような秘密結社である、といった妄想と実に容易に結びついてしまう。

池上 田中角栄がロッキード事件で潰されたのはエネルギー政策に関して対米自立を唱えたからだ、という説が未だにそれなりの数の人に信じられているくらいですからね。対米従属論に囚われると、「アメリカに逆らった総理大臣は潰される」といった、根拠のない話が独り歩きしてしまうのはたしかにそのとおりかもしれません。

佐藤 そしてこの対米従属論がなにより問題なのは、日本国内の権力者を論理的にアメリカの一方的な被害者にしてしまうことです。つまり、日本の政治家や財界がアメリカという巨大な悪の帝国の意のままに動いているという世界観で世の中を見始めると、今度は日本の政権の不作為や資本家の悪行まで「アメリカのせい」となってしまい、日本の権力の事実上の免責になってしまう。

池上 アメリカというものすごく強大な悪の帝国が上からコントロールしている以上、日本の政治家などは所詮何もできないのだというエクスキューズになりやすいというわけですね。

佐藤 アメリカとくっつくことで甘い汁を吸っている人以外は、誰であろうと被害者という構図に共産党の見方ではなっていまうわけです。
私が思うに、六〇年代の日本共産党が対米従属に固執したのは、おそらく外国の共産党の意向に振り回されてきた彼ら自身の意識の裏返しでもあったのでしょう。
(抜粋おわり)

共産党が「六一年綱領」で反米愛国主義へと転換すると、社会党も(資本主義から)社会主義への転換(革命)という方向性をはっきり打ち出していきます。
ところが64年の春闘ではゼネストを訴える社会党と、資本家の挑発に乗るなと反ストの立場をとる共産党とみごとに左派が二つに割れてしまいました。(この経緯で宮本顕治が誤りを認め書記長を辞任しています)

前著でも三池闘争をはじめとした労働争議が尻つぼみになっていったことは解説されています。

結局、社会主義を理想とする共産党は社会党やその他左派政党とくらべて、組織の維持拡大のみに特化するあきらかに異質な政党であったわけです。

■全学連から全共闘の時代

全学連が六〇年代の安保以降は分裂によって徐々に勢力が下火となり、代わりに出現したのがベトナム反戦運動を契機に発生した全共闘(全学共闘会議)です。
分裂した派閥をふたたび集約するための代表者会議であったのが、反ベトナム戦運動や東大安田講堂占拠などの学園紛争の主役になっていきます。

興味深いことに、このような状況下でも共産党は学生のゲバルトを「ニセ左翼暴力集団の挑発行為」として非難に終始しています。

1968年(昭和43年:前年にアポロ月面着陸)の頃が全共闘の盛り上がりのピークです。それは大学の大衆化が進み、ノブレス・オブリージュの気概もなく、就職予備校化していったことです。

また全共闘も内ゲバで自滅に向かい、共産党は新左翼=ニセ左翼暴力集団として、けっして歩み寄ることがなかった。

テリー伊藤の斜視が投石が当たったからであることは有名な話ですが、当時は共青同や中核、革マルらの機関紙も神田神保町((東京の書店街)のみならず個人書店でも購入することができたそうです。

だから左翼活動家は基本的に文筆力があり、作家や出版になっていった人も多い。そしてカリスマも多く政界にも輩出していったことは事実です。

私にとって身近なのは太田龍(1930-2008)で元日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)委員長です。
革命家からユダヤ陰謀論を展開したオカルトの教祖様です。

ただし70年代からはご存知のように論調が行き詰るに従い、よど号ハイジャックやあさま山荘、テルアビブのテロと過激な行動へと飛躍していくことになります。

自分が30年前の頃は、まだゲバ文字が躍る立て看板が学食などにあったり、マルクス経済が主流の帝大系ではジグザグデモの練習をさせられただのと、名残らしきものはありました。
それに、両親からは学生運動と統一教会(原理研)にだけは絶対関わってはならないと言われてました。

当時の若者たちもそろそろ後期高齢者を迎えるようになり、駿河台周辺、早稲田や慶応を歩いてみても、かつての学生運動の残渣はほとんど見かけません。

しかしながら、幼稚ながらも『革命』を目指したそれぞれの論理は、今に生きる我々にも”教養”として知っておくべきことなのではないでしょうか。