[3399]『神やぶれたまはず』を再々読しました

はぐらめい 投稿日:2022/05/17 16:17

2014年1月9日の副島先生発言〈 [1514]安倍の靖国参拝問題が大きな火種に。日本は世界中を敵に回してはいけない。〉で紹介された昭和天皇御製「靖国の名に背きまつれる神々を思えばうれひの深くもあるか」に触発されてこう書いていた。(https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2014-01-10

   * * * * *

《昭和20年8月のある一瞬――ほんの一瞬――日本国民全員の命と天皇陛下の命とは、あひ並んでホロコースト(供犠)のたきぎの上に横たはっていたのである。》(長谷川三千子『神やぶれたまはず』p.282)

国民は、その一瞬が過ぎるやたきぎの上からたちまち降り立ち明日から生きてゆくための行動を開始した。薪の上に載った一瞬などその時だけの一瞬に過ぎない。そんな記憶は時間と共にどんどん遠ざかってゆくだけだ。そうしてあっという間に68年が過ぎてしまった。

しかし、国民にとっては「ほんの一瞬」であった 「この一瞬」は、昭和天皇にとってはその後の生を通して背負い続けなければならなかった「永遠の一瞬」だった。

いまあらためてあの一瞬からいままでの時の流れをふりかえるとき、あの一瞬が夢だったのか、はたまたあの一瞬を忘れて過ぎ去った68年の時の流れが夢だったのか。長谷川氏の「神やぶれたまはず」を読んだいま、私には過ぎ去った68年の方が夢だったのかと思えてしまう。

昭和天皇はその間、われわれにとってたちまち過ぎたあの一瞬を夢ではない現実として、たきぎの上から降り立つことのないまま昭和を生きて、平成の御代へとバトンを引き継がれていったのではなかったか。薪の上に在りつづけた昭和天皇のお姿こそが夢ではない現実ではなかったか。そのことを抉り出してみせてくれたのが、他ならぬ「神やぶれたまはず」であった。民よ、再び薪の上に戻れ。そこで「神人対晤」のかけがえのなさを知れ。確たる現実はそこからしか始まりようがない。さもなくば日本人の精神はとめどないメルトダウンに抗すべくもなし。あの一瞬に目を瞑っての日本再生は、かつて辿った道を遡る道に過ぎない。

   * * * * *

このたび、『神やぶれたまはず』を読んだ。再々読だ。三度目を読み終えての今の思いは、大すじ同じだ。ただ、「かつて辿った道を遡る道に過ぎない。」という言葉については、その意味するところは輻輳する。

あの敗北は、国民の意識においては、まさに「最終戦争」を戦い得ての敗北だった。そうであってはじめての「その一瞬」であった。仮に今、このまま西側陣営の一員として戦争に突っ込んでいくとして、その戦争は「使い走り戦争」以外の何ものでもない。《「通常の歴史が人間の意識に実現された結果に重点を置くとすれば、実現されなかつた内面を、実現された結果とおなじ比重において描くといふ方法」が「精神史」の方法》と桶谷秀昭氏が言ったというが(『神やぶれたまはず』282p)、語るに値する「内面」の持ち合わせなど皆無であり、それゆえ「精神史」など思うもおこがましい。跋扈するのは、利害打算のあさましさだけだ。

『神やぶれたまはず』第5章。伊東静雄、その日記の一節、《「十五日陛下の御放送を拝した直後。/太陽の光は少しもかはらず、透明に強く田と畑の面と木々とを照し、白い雲は静かに浮び、家々からは炊煙がのぼつてゐる。それなのに、戦は敗れたのだ。何の異変も自然におこらないのが信ぜられない。」》(101p)ここに至る日々を桶谷が語る。《「この最後の日々は、日本の歴史においてかつてなかつた異様な日々であつた。梅雨が明けると夏空はいやましに澄みわたり、匂ひ立つ草木のみどりが、人びとにけふのいのちの想ひをさらに透明にした。/マリアナ、硫黄島、沖縄の基地から連日やつてくるB29爆撃機の空襲は、大都市から中都市に範囲をひろげ、焦土廃墟の地域が急激に増えていつた。/家を焼かれ、肉親を失ひ、着のみ着のままで、食べるものも満足にない多くの日本人が、何を考へて生きてゐたかを、総体としていふことはむづかしい。/ただひとついへることは、平常時であれば人のくらしの意識を占める、さまざまの思ひわづらひ、利害の尺度によつてけふとあすのくらしの方針をたてる考へ方が捨てられたことである。何らかの人生観によって捨てられたのではなく、さういふ考へ方を抱いてゐても無駄だつたからである。/もちろん、人の生き方はさまざまであり、口に一億一心をとなへながら、疎開者から取って置きの衣類を巻きあげて闇米と交換する農民や、都市の焼跡の二束三文の土地をせつせつと買ひ占める投機者はいくらでもゐた。/しかしそんな欲望も、本土決戦が不可避で在るといふ思ひのまへには、実につまらない、あさはかなものにみえた。/あすのくらしの思ひにおいて多くの日本人が抱いてゐたのは、わづかばかりの白米、あづき、砂糖を大事にとつて置いて、いよいよとなつたらそれらを炊いて食べて、死なうといふことであつた。」》(112-113p)コロナ禍を引きずり、さらに深刻な食糧危機を迎えようとしているる今、この文章、むしろ親しく懐かしく思えてしまう。

昭和20年8月15日正午のあの一瞬に立ち還るところから始めねばならないのではないだろうか。

・『神やぶれたまはず』再々読(1)~(7)
 https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-05-12-1