[2957]天智天皇が日本統一王朝の初代天皇である
泉涌寺について
この寺は、天皇家の菩提寺である。明治維新以後、天皇家は神道一辺倒になったが、江戸時代の天皇皇后の葬儀(明治天皇の父・孝明天皇まで)は、すべて泉涌寺が執り行った。
御陵(墓)もこの寺域にある。ただ明治の廃仏毀釈で御陵は明治政府に取り上げられ宮内省の管理に移された。
また御所に有った仏教関係の事物(御位牌、念持仏、仏間など)全ては、この寺に移され祭られている。
その仏教関係の事物で特に注意を引くのが御位牌である。御位牌は、天智天皇に始まり、光仁天皇に続き、桓武、平城、嵯峨天皇・・・孝明天皇を経て昭和天皇まで欠けることなく連続して存続している。
特筆すべきことは、天智天皇から光仁天皇までの間の天武系八代(天武、持統、文武、元明、元正、聖武、孝謙、淳仁、称徳天皇)と呼ばれている天皇の御位牌が欠落していることである。(称徳天皇は孝謙天皇の重祚)
光仁天皇は、天武天皇の血を全く引かない天智天皇の曾孫であった。時の権力者であった藤原氏が、皇位から天武の血を排除するために擁立したのが光仁天皇である。これ以後天武の血が皇位に復活することはなかった。
これは何を物語るのだろう。明治以前の天皇家は、自らの開祖を天智天皇と自覚していたこと、それと天武八代と呼ばれている天皇は、別家系の天皇と認め皇居内に祭っていなかった、と言うことではないか。
泉涌寺は、今でも天皇家にとって大事な寺である、平成天皇の譲位の行事、令和天皇の即位の行事は、この寺を訪れ、御陵(月輪御陵)に御報告して完了している。
明治以前の天皇家は、自らの王朝は天智天皇に始まると自覚していたのである。それ以前には日本統一王朝は成立していなかったのだから。