[2628]ユニテリアンとカルヴァン派

宮林謙吉(会員番号7327番) 投稿日:2020/09/06 00:45

 「本当は恐ろしいアメリカの思想と歴史」に、同じプロテスタントでもユニテリアンとカルヴァン派は違っていて、その二者の間に対立・闘争があるのだ、と説明されています。

ユニテリアン:神の唯一性(三位一体の否定)、キリストは人間だと考える、摂理や法則の重視
カルヴァン派:ユダヤ思想への回帰、お金もうけ(強欲)の正当化、世俗的

とまとめることができるとのことです。
 なるほど、確かに、欧米では理学や工学の研究者や技術者はユニテリアンだろうなあ、と思います。上下関係を作らず、人種や身分による差別をしない思想です。

 だからこそ、仁科芳雄(にしなよしお)は、ニールス・ボーアのもとでオスカル・クラインとの共同研究を「クライン・仁科の公式(自由電子と光の散乱を記述するもの)」としてまとめることができた。さらに、帰国してから理研(りけん)で、「上下のへだてなしで、相当に無遠慮なディスカッションが行われる」(「科学者の楽園」を作った男 宮田親平著より抜粋」)
コロキウムを主催し、湯川・朝永を含めた後進を啓発できたのでしょう。

 ユニテリアンとカルヴァン派の肌合いの悪さは、1980年代後半から1990年代前半のバブル経済時代に、理学部や工学部の大学生で、メーカー勤めや研究者、いわゆる理系の人生を選択した者たちだったら想像がつくのではないかと思います。

 私の祖父が戦前の高等工業学校、父が国立大学の工学部を卒業して、どちらもメーカー勤めをした家に生まれて理学部の学生になった若者でした。だから、私は、法学部や経済学部を卒業して銀行や証券会社に就職して高給をもらって羽ぶりがよい人たちは、自身では何ら新しい製品や概念を作ったり提案したりすることもなく、おカネ(原資)と紙切れ(株など有価証券)を右から左から動かすだけでカネを作ったと言って威張っている、しかし、それはいかがなものか、という違和感を覚えていたことを思い出します。

 バブルに踊った銀行マンや証券マンの生き方は、多分、カルヴァン派のユダヤ思想=金儲け思想=強欲思想が体現された一つの形だったでしょう。一方、カネもうけも必要だが、それに傾倒するあまり、自然の法則や摂理(プロヴィデンス)の探求が曲げられるようであれば、本末転倒だ、と考えるユニテリアンの流れをくむ理系の人生を選択した者たちがいた。私が、知らず知らずのうちに受けた薫陶により、経済価値偏重のカルヴァン派的な生き方に違和感を覚えたのは、必然のことだったのでしょう。

 宗教改革の勃発と、その後のプロテスタントの様々な分派は、単に歴史の一コマではなく、しばしば、本人は無自覚なのですが、現代まで個人の感じ方や考え方に影を落としているということになります。