[2504]現代における「比叡山の僧兵たち」

藤川健二 投稿日:2020/03/22 18:42

コロナウィルス対策で、大阪-兵庫間の往来自粛要請を発表した、吉村大阪府知事。
厚労省からはオモテに出さないとされた、厚労省から府への”大阪府・兵庫県における緊急対策の提案(案)”という文書を、ツイッターで公開している。

奇妙なのは、その文書内容。”必要な対策の方向性”で、”段階1”と”段階2”がおかしい。
タイトルは(案)として、文言を微妙な表現にしているが、こういう事は政治判断に属する。事務方が、政治判断につき、府の長に口出しするとは、どういう事か?

<引用開始>

-感染拡大リスクの高い(3要素を満たす)施設の使用自粛、集会の自粛の呼びかける
大阪府・兵庫県内外の不要不急な往来の自粛を呼びかける。

<引用終了>

憲法で国民が国家に対し、「お前らが守れ」と命令した、”集会の自由”と”移動の自由”。
国の官僚機構が府に対し、国民の自由の制限に関し、口出しするとはどういうことか?

”積極的介入”は、今、海外で起こっているように、自衛隊や警察を取り締まりに使うのか?

事務員たちがドサクサに紛れ、府の政治に(案)として文書を通達し、「こうやれ」と命令を出すとは、何様のつもりか?

一事が万事。霞ヶ関は地方に対し、こういう事はずっとやって来たのではないか?

原因は、憲法第15条で保障した公務員に対する選挙権。これに反し国家公務員法が、選挙で選ばれていない、受験とコネでなった”官吏”に、公務員の肩書を与えたから。
法律が、官吏の組織に対し、自分らが本来の公務員(代議士)と同等権限があると、勘違いさせてしまっている。
どうせ御用学者の、ご都合解釈があるだろうが、そんなものはどうでもいい。文言ママ、抵触しているのは事実である。

官僚機構の権限が強いのは「米国様がそう決めたから」か?そういう論調は聞き飽きた。それだけが真実ではないだろう。かつてオランダが大英帝国の政治権力を実質的に乗っ取ったように、米国や国際機関にカネの力を使わなかっただろうか?コッソリ自分らのためにカネの力を利用し、実際は、国民が思いもよらない場所で、影響力を持っているのではないか?

私は学生時代、受験勉強を「なんでこんな役に立たない暗記をしなければならないのか」と思っていたが(実際やらなかったが)、暗記野郎のどこが偉いのか?
肩書やコネがある事の何が偉いのか?要らぬおせっかいで国家の資産運用で派手に失敗したくせに、合理的、論理的根拠は何か?そんな物は自然界に存在しない。

戦前生まれの文豪、三島由紀夫は、戦後体制の中、”自衛隊の憲法第9条への抵触”、ホンネとタテマエで言行一致出来ぬ政治が国民のモラルを蝕んでゆくのを、「反吐が出る」程に嫌い、憲法改正を唱え、自決した。
が、時代は変わってしまった。ミシマが結論を出してしまった。方法が逆転した。憲法は変えれない。
そして戦後が昔となりつつある今、憲法ではなく、法律全般が問題である。特に国家公務員法。官吏は官吏としなければいけない。
法律が、本来純粋に事務員でしかない官吏に、予定外の権限があると空想させ、国家全体のモラルを蝕んだ。

国家が国民からの借金まみれになった今。財政が破綻すれば、自決しなければならないのは官僚機構と、これまであれこれ勝手に国家の意思決定に介入したOB達だろ。
適法手続の選挙で選べないのだから、1円たりとも国の最高権威、主権者である国民様に責任を負わせるなど、お門違いである。
マスコミ通じコンプライアンスを唱える連中が、根源的なところでコンプライアンスがなってないのである。マッチポンプで上っ面文言をなぞった、他人都合のコンプライアンスなど、あほらしい。

今の日本は、憲法による自由民主主義国家の中に、自分らの出世と稼ぎのために書く法律で官僚が統治する別の、共産主義国家が、パンパンに膨れ上がって存在するようなものである。

”国家の中の別の国家”といえば、平安時代の最高権力、白河法皇にすら、「意のままにならぬもの」と言わしめた、”比叡山の僧兵たち”を想起させる。
比叡山の僧兵といえば、信長による焼き討ち。小室直樹さんの「信長 近代日本の曙と資本主義の精神」(ビジネス社刊)再刊版で、次のようにある。

再刊行に臨んで-政治家・織田信長が生きた時代背景
比叡山の焼き討ちはなぜ行われたのか
<引用開始>

其れまでの世の中を改革し、全く新しい世の中を作ろうと、その為に先ず必要なことは、現在の世を支配している不都合で間違った考え方の全てを拒絶することであった。
彼の時代以前において、教義なき仏教や戒律なき仏教を支配していたのは、何と此の、比叡山の坊主どもが唱える説であったのだ。
是れに反対できる者などは、有り様がなかった。
最も極端な説として、煩悩をその儘、肯定する説すら認行するほどであった。
こんなことであったから、厳重な戒律を誇るはずの仏教すら限りなく堕落していく可能性が残されていた。是れでは何のための仏教なのか分からなくなってしまう。
是れを見て、信長は忽ち、解決法を思い立った。
解決方法と言っても、全く彼らしい方法であった。
「何でもいいから、何もかにも焼いてしまえ、焼き払ってしまえ」
果然、結果は信長の言うような通りになった。
中世の日本においては、ヨーロッパの中世期に於けるカトリックと同じように、仏教が国家の代用品であったと言って良い。
生まれると、寺院に行って届け、初めて生まれたことにして貰える。
元服(成人式)も同様である。結婚も、果ては死亡した際も全く同様である。
信長の目的が日本の統一にあるならば、日本の中に、もう一つの国が出来てしまっているのではどう仕様もない。
彼の志は「天下布武」、日本の統一にあったので、社会秩序回復のために先ず行ったことは、「戒律なき名ばかりの宗教」という、仮面を被って腐敗した、もう一つの国の根絶にあった。

<引用終了>

今、日本に必要なのは、アポローン、信長である。