[2384]北方領土は、「2島さえ帰ってこない」が、はっきりした。安倍政権は責任を取れ。

副島隆彦 投稿日:2019/01/23 17:22

副島隆彦です。 今日は、2019年1月23日(水)です。

 まず、一つ下の ↓ 「2383番」の
 「DVD発売 2018年12月2日開催の定例会の模様を収録しましたDVD『世界「帝国」衰亡史~世界の歴史は覇権国・属国理論でやはり見抜ける』が発売になりました 」 をお読み下さい。

これは、今日のぼやき で、詳しく宣伝しています、私たちの 講演のDVDを買って見て下さい。

それでは本題。

 日ロ(安倍首相とプーチン大統領)の北方領土交渉( 1月22日、モスクワで)大詰まりを迎えた。これで、成果が出る、と、みんな(関心のある日本人は)思ったら、そうではなかった。また先延ばし、だそうだ。一体いつまで先に延ばす気か。

 ついにはっきりした事実は、「2島さえ帰ってこない」という事実が、冷酷に日本国民に突き付けられた。「4島どころか2島さえも帰ってこない」となった。

 これは、この先もずっとこうだ、と 予測するに十分だ。これで安倍政権は、外交で大失敗した、と、判定を受けるべきだ。だが、安倍晋三は、そのあと、昭恵と共に、そそくさとモスクワからスイス(ダヴォス会議に出席)に逃げた。初めからこうなると知っていたのだ。安部晋三は、日本で激しい質問と、批判の嵐が起きることを、心底、厭(いや)がっている。


副島隆彦の解説。 安倍は、昭恵や、閣僚たちと共に、1月22日に、モスクワ(クレムリン宮殿)で、プーチンから バカ扱い されたあと、悔しいから、スイスのダヴォスに行った。会議に出席するふりをして、安部が演説しても、どこの国にも相手にされない。だから、自分たちだけでスキーでもして、遊んでいるのだろう。「骨休み、だ」と。世界から見たら、惨め極まりない、自分たちの哀れな姿なのだと気づいてる。だが、居直るしかない。この程度の国(くに)であり、国民なのだ、と。

  随行の、各社の政治部の記者たちも知らん顔をする。というよりも、自分たち自身が、官房機密費貰(もら)いで、腐敗して、汚れたエリート新聞記者、テレビ局記者たちだから、ソーリとご一緒に遊んでいる。だから真実を報道する者が、ひとり(一社)もいない。 これが、真実の日本の指導者と取り巻きたちの姿だ。 副島隆彦の解説終わり。

(転載貼り付け始め)

〇「 日露首脳、平和条約前進で一致 領土「解決は可能」」

2019年1/23(水) 1:05配信  産経新聞

 【モスクワ=小川真由美】安倍晋三首相は22日午後(日本時間同日夜)、ロシアのプーチン大統領とモスクワのクレムリン(大統領府)で会談した。平和条約締結後に歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すと明記した

1956(昭和31)年の日ソ共同宣言を基礎とした平和条約締結交渉をめぐり、2月に予定される日露外相会談などで交渉を前進させることを確認した。

 両首脳は会談後、共同記者発表に臨み、首相は北方領土問題を含む平和条約締結交渉について「じっくりと時間をかけ胸襟を開いて話し合った」と強調。「解決は容易ではないが、やり遂げなければならない。

 両国民が相互に受け入れ可能な解決のためリーダーシップを発揮する決意を確認した」と述べた。プーチン氏も「会談は非常に建設的だった」と述べ、平和条約については「締結を目指す」と明言。領土問題などについて「解決は可能だ」と強調した。

 首相とプーチン氏の会談は通算25回目。共同宣言を基礎にした交渉加速で合意した昨年11月以来、初の本格的な首脳会談となり、約3時間に及んだ。河野太郎外相とラブロフ露外相らも同席した。

 今月14日の外相会談では北方領土をめぐる日露双方の歴史認識の溝の大きさが鮮明になったが、首相はプーチン氏との信頼関係をてこに日露両国民が受け入れ可能な一致点を見いだし、6月に大阪で開かれる20カ国・地域(G20)首脳会議までの大枠合意に向けて弾みをつけたい考えだ。

 会談では、双方の法的立場を害さない形での北方四島での共同経済活動や、元島民の空路墓参など人道措置について具体化を急ぐことで一致した。エネルギーや医療など8項目の対露経済協力プランや防衛当局間の連携強化も確認した。

〇 「 北方領土問題「進展すると思わない」72・9% 産経・FNN合同世論調査 」

2019.1.21 11:52  産経新聞 

 産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)は19、20両日、合同世論調査を実施した。日露平和条約締結交渉の最大の懸案である北方領土問題について「進展すると思わない」の回答が 72・9%に達し、「進展すると思う」は20・4%にとどまった。22日に日露首脳会談が予定される中、交渉で四島返還が見通せないとの考えが反映しているとみられる。

 北方領土問題で目指すべき合意については「歯舞(はぼまい)と色丹(しこたん)の2島を先に返還し、国後(くなしり)と択捉(えとろふ)の2島は引き続き協議」とする2島先行返還が43・5%で最も多く、「四島一括返還」が32・9%で続いた。「歯舞と色丹の2島だけの返還でよい」は10・1%、「四島返還は求めない」は7・3%だった。

( 転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。このように、安倍晋三を熱烈に支持している産経新聞の読者たちは、世論調査で、事前に、「領土問題の交渉は、進展しない」と分かっていた、となっている。それを、安倍の大失敗の判明の直前(1月21日)にこうして載せている。 

安部晋三は、自分が責任を取らなければならない、ということを自覚しない男だ。
とんでもないプラグマティストで、自分が政権を維持できさえすれば、どんなウソでも、居直りでのする、という、恐るべき恥知らずの男だ。元々、そういう人間なのだ。脳に欠陥がある。

 本当は、「ロシアは2島さえも返す気が無い」と満天下にはっきりした。この事態が、はっきりしたので、これは日本政府の外交の基本政策の政策変更になる。政府の政策決定は、閣議(かくぎ。キャビネット)決定で為される。従来の大方針の政策変更は、内閣総辞職である。安倍政権は退陣しなければいけない。

 これが、“ 憲政の常道(けんせいのじょうどう)” だ。この内閣総辞職 が起きないと、今度は、国家体制 が狂ってきておかしなことになる。責任を取る所在がなくなる。8年前の2011年の「3.11」の福島第1原発の爆発事故のあと、東電の幹部たちで、だれ1人、自殺する者がいなかった。
あのとき、たった1人でいいから、厳しく責任を感じて、自裁(じさい)してくれる者がいたら、この国は救われていた。国民、特に若い国民に精神の荒廃が生まれない。

 日本政府は、あれほど、長年、小学校、中学校の教科書にも載せ、「北方領土の返還を実現しよう」、「北方領土を思う」、「北方領土を忘れない」と、ずっと60年以上(1958年の岸信介・反共政権の時から) 国民に教育し宣伝して、「北方4島を返せ」を日本政府の外交の基本政策にしてきた。

 それが、ロシア外務省(ラブロフ外相)が、「これまで日本と領土問題を議論したことは、ない 」と宣言してしまったのだ。 「返せ、返せ」、「不法占拠している北方4島を日本に返還せよ」と、私たち(日本人)としては、言い続けました、と言うだけのことになる。もう、不法占拠 という コトバさえ、消えてなくなった。使える日本人がいなくなりつつある。 さらには、ラブロフ外相は、「北方領土(ノーザンテリトリー)」という、国際法上、有りもしないコトバを、日本は、間違って使うな」とまで言った。 「日本は、WWⅡ(第2次大戦)後の世界体制を認めない、唯一の国だ」と。

 だから、このような大きな政策変更は、内閣(政権)の大失敗であるから、総辞職するべきことだ。 それを、やらない。やる気がない。それを日本国内から、「安倍政権は、総辞職せよ。内閣は倒れるべきだ」という声が、これから沸き起こるべきだ。

私は、この 1月8日に、ここの重たい掲示板「2379」番 に、日ロ交渉の領土問題について、以下のように書いた。

(転載貼り付け始め)
 
「・・・・これは、まだテレビ、新聞に 公(おおやけ)にならない。安倍政権は、「2島の先行(せんこう)返還でいい。残りの2島は、このあとも協議が続く」というウソ を国民各層の中に、今、必死でまき散らして、「日本人は2島(歯舞、色丹島)だけで我慢しよう。

 それで平和条約。そして、サハリン(樺太)からの、原油・天然ガスの輸入を始める」という決断で動いている。 

サハリンから、宗谷岬まで海底パイプラインを敷設して日本に持ってくる。プーチンの最大の狙いは、日本に天然ガスを買わせて、シベリア開発の資金を手に入れることだ。
 
 さあ、安倍晋三たちは、 これから日本国民を、どうやって、宥(なだ)めて、騙(だま)くらかして押さえ込んで、このまま、「2島だけで我慢する」で、押し切れるか。だが、強固な安倍支持層の中の右翼たちが、黙っていないだろう。安倍政権はひっくり返るのではないか 」 

(転載貼り付け終わり)

と、私は書いた。 そうしたら、今度の1月22日の首脳会談(3時間話した。このうち45分間は、ププーチンは遅れて来た。じっと待ち惚(ぼう)けしていた安倍たちをバカにしているのだ )で、「4島どころか、2島も帰ってこない。そもそもロシア側に日本との領土問題は、存在しない」ということが、明らかになった。

だが、「ロシアは、4島どころか、2島も返さない。これまで、そのような領土問題の話を、日本側としたことがない。ロシアは日本に全く言質(げんち)を与えていない」という視点で、冷酷に日ロ交渉を、専門家として、ずっと書いて来た人たちがいる。

 最近、私の目に留まった範囲で、岩下明裕(いわした・あきひろ)九州大教教と、それと黒井文太郎(くろいぶんたろう)という雑誌記者の 文章が優れていた。 「ロシアは、日本と領土問題を、これまで外交交渉の場でしたことはない」というのである。驚くべきことだ。

それでは、日本側の、日本国民に大量に流された、「北方領土が帰ってくる」という、希望的な観測や、分析や意見の数々は何だったのか。日本人が、勝手に自分たちだけで、舞い上がっていただけだ、ということになる。

 日ロ首脳会談(安倍プーチンでもう25回目だ)の北方領土の議題で、「これこれの事項が確認、合意されました」というのは、真実は、「日本側は、これこれを 議題に提出しました。が、ロシア側は議題にも上げませんでした」ということだ。こっちが真実だ。 このウソを積み上げてきた、日本政府に追従(ついじゅう、ついしょう)するメディアの責任も大きい。大きな真実がついに、日ロ交渉の専門家たちによって、露呈してしまった。

 こうなると、意固地になって、「4島一括返還 が無い限り、ロシアとの外交交渉はしない」と言い続けた人たちが、正しい、ということになる。総じて、いわゆる反(はん)ロシアの、反共右翼(はんきょううよく)たちの立場、態度だ。 彼らは、これを、これからも言い続けるだろう。 愚か者たちである。

なぜなら、4島のうちの、大きな国後(くなしり)択捉(えとろふ)島は、1951年9月8日の、サンフランシスコ講和条約(=平和条約=戦争終結条約) で、49カ国と結んだときに、日本政府は、放棄したからだ。ただし、ソビエトとチェコとか、3カ国は、これに、署名はしなかった。だから、「サンフランシスコ条約の締結の相手国は、46カ国とだ、ロシアとは無い」と 鬼の首をとったように、1956年になると、急に、言い出した。

 この時、アメリカの手先どもが、アメリカ国務省(CIAの極東向けの反共右翼たち)が教唆、扇動して、
末次一郎(すえつぐいちろう)という、陸軍中野学校の最後の卒業生の、アメリカCAIの手先として、「極めて柔軟に」動き続けた男たちによって、「歯舞、色丹だけ返して貰えば、それで、ロシアとも、講和条約を結ぼう」と、大勢(たいせい、おおかた)で、決まっていた、日本政府と国民の意思が、ひっくり返された。

この 末次一郎というアメリカ手先の、裏側からの実働部隊が、「4島一括の返還でなければ、ソビエトとは平和交渉をしない」という、反共政策を、グイグイと推し進めた。 この末次一郎(すえつぐいちろう。2001年に死去)が、日ロ交渉を妨害し続けた。立派な外交官である、東郷和彦(とうごうかずひこ。人間に歪みがなく立派な外相東郷茂徳=とうごうしげのり=の息子 )と鈴木宗男と佐藤優の 「まず歯舞、色丹の2島返還で、平和条約を結ぼう」の「2島先行返還論」の正しい唱道者たちの、寝首を搔(か)いたのだ。

 東郷和彦・外務省欧亜(おうあ)局長は、自分への攻撃が掛かってきた、と 感じた、その前年の2001年に、欧亜局長の椅子から、咄嗟に飛び上がって、重要な大物外交官や大使級が、政治亡命(ポリティカル・アサイラム asylum )するかのように、確か、イギリスに逃げた。優れた判断だった。このあと、東郷和彦は、佐藤優氏の裁判の時に帰って来て、「彼は、職を汚すような、おかしな事は何もしていない」と、佐藤優を弁護した。賞賛すべき優れた行動だった。

 私、副島隆彦は、2002年(もう17年前だ)の鈴木宗男と佐藤優の逮捕、政治弾圧の 様子を、テレビで見ながら、「ああ、自分の味方だと思い込んでいた、末次一郎に、この人たちは、嵌(は)められた。哀れなものだな」と独り言を言っていた。この視点は、自分が書いた政治評論集「日本の秘密」(1999年、弓立社刊)の私、副島隆彦のものだ。

 この「日本の秘密」は、2010年に、PHP研究所から、復刊された。 私のこの本の視点は、孫崎享(まごさきうける)氏に影響を与え、引き継がれた。今からでも、関心のある者は、読んでください。

 ようやく、2018年(去年)の11月14日の、シンガポールでの首脳会議で、「1956年10月の日ソ共同宣言(5月河野一郎が漁業交渉と合わせて鳩山首相の意を受けて交渉して来た)を基礎として交渉を加速させる」と、明言された。

 このことを、この1月14日に、モスクワで、ラブロフ外相が、日本の河野太郎外相との共同会見をひとりでやった。日本側が断ったからだ。 河野太郎が、ここまでだらしない、とは。プーチンに対しても、深々と頭を下げるだけで、何も言えないのだ。おじいさんの立派だった河野一郎が泣いているぞ。残炎だ。だから記者会見は、ラブロフが1人で、「日本との領土問題はこれまでも存在しない。今が、出発点だ」と答えた。

 このとき、ラブロフ外相に、共同通信の立派そうな日本人の記者が、ロシア語で、「それは、日本への最後通告(さいごつうこく。ultimatum アルティメイタム 。交渉決裂)ではないか」と記者会見(プレスコー)の会場から質問した。

 それに対して、ラブロフは、「いや、これは、交渉の出発点だ」と、答えた。極めて印象的な光景だった。50年もたった、今頃になって、「出発点だ」だと。 私は、これを、RTV(エル・テエ・ベ。ロシア国営テレビ)の報道で見た。強く印象に残った。

 どうやら、今に至る、安倍晋三の、プーチンへの擦(す)り寄りの 内容は例の2年前の、2016年の12月15日の、山口県長州、長門(ながと)の大谷(おおたに?)荘での会談で、「2島プラスα(あるふぁ。これは海域、海面の共同利用のこと)」でいい」と「2島先行(せんこう)返還」に舵を切ったらしい。読売新聞が、そのようにスクープで報じていた。

 それから、2018年9月のウラジオストックの「東方(イースターン)経済フィーラム」で、踏み込んで、「2島だけ返して欲しい。その前提として4島の主権がロシアにある、と認める」と、プーチンに言質(げんち)を取られたらしい。「4島が、クリル諸島=千島列島の一部であり、1955年に、日本政府が、日本の敗戦時に、ソビエトによって占領された事態を受けて、千島列島をソビエト(ロシア)n領土だと認めた事実に戻る」ということだ。 

 あのとき、ワルのアメリカ国務長官の、ジョン・フォスター・ダレス( マッカーサーを、”謀反の疑いのある将軍(リベル・ジェネラル)”として失脚させた男。アチソン国務長官と共に、サンフランシスコ条約をお膳立てした男 )が、「日本が、そんなにソビエトに弱腰なら、沖縄の施政権(軍事占領状態)を日本に帰さないぞ」と、8月に脅した。ダレスは、日本とロシアにくさびを打ち込んで、何が何でも、仲良くさせない、という大方針で動いた男だ。 だから、1957年中に、このダレスの意思を受けた日本の反共勢力が、急に態度を変えて、「4島は、日本の固有の領土だ」と、急に言い出した。「千島・南樺太交換条約に戻れ。千島列島は、日本のものだ」と、むちゃくちゃなことを言い出した。

ついには、「ソビエトは、サンフランシスコ条約を批准してない。だから、ソビエトは、千島列島(クリル諸島)の領有権を主張できない」と、国際社会で通用しないことを言い出した。これが、日本の反共右翼たちの主張だ。 ロシア側が、「歯舞・色丹は、国後・択捉とちがって、クリル諸島に入らないから、日本に返してもいい」と、1956年に言ったのに、それを、ぶち壊しにして、「国後、択捉も、返せ、返せ」と、馬鹿たちが騒ぎ続けた。今もそうだろう。

 それでも、鳩山一郎と河野一郎はめげなかった。アメリカの妨害をものともせず、日本国民に圧倒的に愛された愛国者の政治家である 鳩山一郎は、1956年の10月に、モスクワで、日ソ共同宣言(国交回復)を結んだ。ここで、「平和条約を結び次第、歯舞群島、色丹島の返還で決着する」と取り決めた。

 この鳩山首相の、1956年10月19日の日ソ共同声明(国交回復)は、盟友である河野一郎が、そのまえの 5月9日に、漁業交渉で、モスクワで、ソビエトと真剣に交渉してきた成果を引き継ぐものだ。鳩山一郎の、全方位外交(ぜんほういがいこう)という、「日本は戦争の反省の上に、以後、日本は全ての外国と仲良くする」とする大方針だ。今、考えても正しい考えだ。

 ところが、この日本の優れた、ふたりの愛国者の政治家を、以後、アメリカは、強く疑い、反米の意図のある日本の指導者と認定した。

 このすぐあと、1957年末に、鳩山政権は鳩山一郎の病気で退陣したが、その志(こころざし)を高く継いだのが、優れた経済政策家の石橋湛山(いしばしたんざん)だ。ところが、石橋湛山は、翌年正月に首相になったのに、急に発病して(おかしな発病だった)、たったの1か月で退陣した。石橋湛山も、温厚で、国民思いの、人格者の 立派な政治家だった。 石橋湛山も、鳩山一郎と同じく、「ソ連、中国とも、戦争状態を早く終わらせて、早く仲良くしたい」と、すぐに動き出した日本の指導者だ。アメリカは、これが気に入らなかった。

 このあと、アメリカは、岸信介(きしのぶすけ)という、すさまじい反共の信念の、アメリカの言う通りに動く、戦争犯罪人(ウォー・クリミナル)を、日本の首相にした。その孫が、安倍晋三だ。アメリカ帝国は、こういう穢(きたな)いことをする。 本当にする!

日本の戦後の政治史の真実を私が、自力で探り当てた、拙著「日本の秘密」に書いた 最後の1行は、「鳩山一郎の無念が、私に伝わる」だ。

 日本の外務省は、昨年の11月まで、もう何年も、安倍政権(官邸)が、勝手にやることが、不愉快で、自分たちが、完全に無視されている、と分かっていて、ずっとサボタージュを決め込んでいた。官僚たちは、外務省だけでなく、どこも、早く安倍政権が終わって欲しいと思っている。特に財務省がそうだ。ところが、このあと、外務省は、年末から態度を変えて、安倍政権と一体となって、「2島だけでいい」で動いた。

 秋葉・・・という男が、安倍のお気に入りで、こいつが、外務事務次官になったので、こういうことになった。今、外務省は、しまった、これは、自分たちの大失敗だ、官邸と一緒になって、外交のド素人たちとと動くべきではなかった、と、気づいて、呆然となり、ヒドく落ち込んでいる。このあとは、もう従来のような、「ダメッジ・コントロールで、逃げ切る」ことは出来ない。

 安倍晋三は、自分の足下から、自分を突き上げてくる、「4島一括返還でなければ、絶対にダメだ」の、右翼言論人たちと、反共右翼たちからの、自分への攻撃が怖い。 「正論」やら、「WILL」やらで、安倍晋三への総批判が起きるだろう。 だが、この勢力に対しても、すでに、安倍政権は手を回しているのだろう。

 次に、日本の素朴に愛国的な国民が、騒ぎ出すことが怖い。この中には、反(はん)自民党であるリベラル派の人々も含まれる。 「北方領土は、一つも帰ってこないんだって。がっかりだ」 という、多数派の、穏健(おんけん)だが、いざというときには、国論(こくろん)を動かす、保守的な大衆が、熱いマグマの層のようになって、やがて吹き上げるだろう。

「ロシアとの外交交渉で、北方領土が帰ってくる、と、ずっと、あんなに政府は、公表していたのに、全く成果がない」と、分かったら、この層が、動き出す。

 「2島さえも帰ってこない」が、これほどに満天下に、バレてしまったのに、何食わぬ顔をして、 「次は、6月の 大阪での G20(主要20カ国首脳会議)で、プーチンと協議して、交渉は前進する」と、言われても、もう、国民は信じない。漠然としているが、大きな意味での、愛国的な大衆が、もう我慢しない。彼らをこれ以上、騙(だま)すことはできない。
だから、安倍政権は倒れる。  (終わり)

副島隆彦拝 

( 以下に資料として、他の新聞記事を載せておく)

「 首相、北方領土問題の進展示せず 事実上2島に絞り交渉 」
2019年 1/22(火) 20:53配信

 ロシアのプーチン大統領(右)との共同記者発表を終え、握手を交わす安倍晋三首相=2019年1月22日、モスクワのクレムリン、岩下毅撮影

 安倍晋三首相は22日、ロシアのプーチン大統領とモスクワで会談した。1956年の日ソ共同宣言で日本に引き渡すと明記した歯舞(はぼまい)群島と色丹(しこたん)島の事実上2島に絞って返還交渉を進める方針で臨んだが、会談後の両首脳による共同記者発表では交渉の具体的な進展は示せなかった。

 会談は約3時間。終了後の共同記者発表でプーチン氏は「双方が受け入れ可能な解決策を見いだすための条件を形成するため、今後も長く綿密な作業が必要だと強調したい」と述べた。「その課題は長期的で多方面にわたる価値の高い日ロ関係の発展だ」とも指摘した。

 首相は「平和条約の問題をじっくり話し合った」と語った。だが、領土問題に関する具体的な内容は明らかにせず、「交渉をさらに前進させるよう指示した」と述べるにとどまった。

 首相とプーチン氏は昨年11月の会談で、日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速させることで合意した。日本政府の基本方針は「北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」というものだが、首相や河野太郎外相は昨年11月の首脳会談以降、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)2島の扱いや4島返還をベースにした過去の合意文書の踏襲について明言を避けている。

 日本が日ソ共同宣言に言及がない国後、択捉を含む4島返還を交渉で持ち出せばロシアが反発するのは避けられないためで、交渉は実質的に歯舞、色丹2島を対象とする考えだ。

 一方で国内向けには「方針は変わっていない」との説明を続ける構えだ。国後、択捉を含む4島返還を断念した格好になれば、元島民や首相を支持する保守層からも厳しい批判を受けかねないためだ。

 首相としては返還を求める対象を事実上2島に絞り、プーチン氏との個人的な信頼関係をもとに交渉の加速化を目指している。しかし、先週始まった日ロ外相による平和条約締結交渉でも北方領土に関する歴史認識などをめぐって対立が鮮明になったばかり。

 1月22日の会談でも具体的な成果を示せなかった。今後、首相の狙い通りに進められるか不透明だ。(モスクワ=竹下由佳、小野甲太郎、石橋亮介) 朝日新聞社

〇「 方領土問題そもそも解説 70年余もつれた懸案を整理 」

竹下由佳 喜田尚 2019年1月22日 朝日新聞

 択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)群島の4島からなる北方領土は、第2次世界大戦で日本が敗れた1945年にソ連に占領された。

 引き継いだロシアとの領土交渉は解決に至らず、日ロ両国の間に平和条約はない。打開をめざす安倍晋三首相とプーチン大統領との22日の首脳会談を前に、問題点を整理する。

歴史経緯:旧ソ連、1945年9月5日までかけて占領

 江戸時代末期から明治期の日露戦争に至るまでの50年間、両国が結んだ日露通好条約、樺太千島交換条約、ポーツマス条約の三つの国際条約によって、千島・樺太の領有権は揺れ動いた。しかし、北方四島は一貫して日本領だった。

 転機は第2次世界大戦だ。日本は米英両国との開戦前にドイツ、イタリアと三国同盟を結び、ソ連との間では中立条約を結んだ。日本の敗色が濃厚となっていた1945年2月、ソ連のスターリンは米英両首脳とのヤルタ会談で、対日参戦の見返りに千島列島をソ連領とする協定(密約)を結んだ。

 ソ連は、日ソ中立条約の不延長を日本に通告したうえで、条約の期限が切れる前の同年8月9日に参戦。日本がポツダム宣言を受諾した14日以降も侵攻を続けた。日本が降伏文書に署名した9月2日を過ぎても攻撃は止まらず、同5日までに北方四島を占領した。

 ソ連はヤルタ協定を根拠に、第2次大戦の結果、「合法的」に編入したと主張する。しかし日本はヤルタ協定には参加しておらず、ソ連が中立条約を無視して参戦したうえ、日本の降伏後にも侵攻を続けた結果による北方領土の占拠は「法的根拠がない」との立場をとってきた。

(副島隆彦割り込み、注記。この辺の、朝日新聞の 書き方に、私は、異論がある。世界基準から見たら、世界では通用しない、おかしな書き方だ。そのうち解説します。)

 1951年に日本は米国などとサンフランシスコ講和条約に署名し、独立を回復。千島・南樺太を放棄した。当初、外務省は千島列島に択捉と国後が含まれるとの解釈を示した。55年からの国交正常化交渉ではソ連が条件次第での歯舞、色丹の引き渡し案を示し、日本政府にも容認論があった。

 だが、55年に誕生した自民党は「4島返還」を主張。さらに東西冷戦でソ連と対立する米国が、歯舞・色丹2島引き渡しで日ソ間が妥結した場合は、当時施政権を持っていた沖縄を返さないとして圧力をかけてきた。

 このため日本政府は「千島列島」に択捉と国後は含まれないとし、4島返還を求める立場に転換。一方でソ連との間では56年に国交を回復し、「平和条約締結後に歯舞群島と色丹島を引き渡す」と明記した日ソ共同宣言に初代自民党総裁の鳩山一郎首相が署名した。
 その後、交渉は停滞。ソ連は60年の日米安保条約改定に反発。ソ連崩壊後もロシアと幾度か合意を交わしたものの、北方領土には計1万8千人のロシア人が住み、軍も駐留する「ロシア化」が進んでいる。

北方領土をめぐる出来事

日本の立場:「4島返還」封印? 反発受け方針転換か
 安倍首相は2012年12月の政権復帰後、プーチン大統領と首脳会談を重ね、領土交渉の打開を探ってきた。事態が動いたのは昨年11月、シンガポールでの会談。56年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速させることで合意した。

 56年宣言には、歯舞、色丹の2島を引き渡すと明記する一方、国後、択捉を含む「4島」には触れていない。首相は会談直後の記者団への説明で4島の帰属については言及しなかった。国内的には「北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」(93年の東京宣言)との従来方針は堅持しなければならない一方で、「4島」を持ち出せばロシア側の反発は避けられないためだ。この合意は、「2島先行返還」を軸とした交渉への方針転換を意味した。

「2島先行」、首相周辺で検討本格化 ロシア世論は反発

北方領土問題の事態が大きく動いた2018年11月のシンガポール会談。折り合える道はあるのか。会談のポイントをまとめました。

 その後、首相や外相は国会答弁などで、「4島返還」を求める立場を踏まえた東京宣言や2001年のイルクーツク声明を踏襲するかどうかについて明言を避けている。北方領土がロシアによる「不法占拠」という表現も避け続けている。

 「2島先行」には、4島の帰属を確認し、まず歯舞、色丹2島を返還、残る国後、択捉の2島は返還へ協議継続という意味があった。しかし交渉の実態は、4島の帰属確認や残る2島の取り扱いがあいまいで、事実上「2島のみ」に対象を絞らざるを得なくなっている。もはや「2島先行」とも言えない状況にある。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝