[2313]石井利明氏 『福沢諭吉 フリーメイソン論』 を読む

田中進二郎 投稿日:2018/05/03 23:07

最新刊 石井利明著『福沢諭吉 フリーメイソン論』を読む  投稿者 田中進二郎

電波社から石井利明さんの初めての単著となる『福沢諭吉 フリーメイソン論』が刊行されました。

 SNSI共同論文集『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』(2014年)、『明治を創った幕末の天才たちー蕃書調所の研究』(2016年 ともに成甲書房刊)で巻頭論文の執筆を務められた、石井さんの研究成果が世に出たことを、上記二冊の論文集の執筆陣の一人としてお喜び申し上げます。

 この本では、ほとんどの幕末・明治本の人物評伝で軽視されている、世界の歴史および世界的ネットワークとの関係の中で日本史を俯瞰(ふかん)するという歴史観が貫徹されております。18世紀啓蒙思想の全盛期から、20世紀終わりの帝国主義時代の始まりまでの、西洋近代の歴史的大事件の中心にいつもフリーメイソンという秘密結社があった。これを副島歴史学では、ルネサンス以来のイエズス会と死闘する知識人たちの思想運動ととらえる。
 
 副島先生の『 隠されたヨーロッパの血の歴史ールネサンスとは何だったのか 』では天才芸術家のミケランジェロを最高峰として、フィレンツェ・ルネサンスのネオ・プラトニズム運動がローマ教会に反逆して、最後には押しつぶされていった経緯が描かれていた。

 また『 ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ 』では、ニーチェ哲学の本質が反カトリックであり、ニーチェは、「キリスト教は邪教である 」と公然と言って闘ったのだ、と書かれている。ルネサンスから19世紀終わりまでの西洋の近代とは、カトリック教会イエズス会 VS フリーメイソン=ユニテリアン教会の対決に他ならなかった。このことが属国日本では、これまでほとんど知識として与えられてこなかったのである。

 石井利明氏の『福沢諭吉 フリーメイソン論』では、このフリーメイソン=ユニテリアン教会
こそが、アメリカ建国の実体であり、アメリカの初期の自由な市民はベンジャミン・フランクリンらフリーメイソンリーによって形作られた。そして福沢諭吉もこのフリーメイソン・ネットワークの助けを借りながら、明治日本を当時の覇権であるイギリス帝国から政治的・経済的に独立させようとした稀有な日本人知識人であったことが明らかにされている。

日本人とフリーメイソンとのつながりは、杉田玄白、桂川甫周、吉雄耕牛(よしお こうぎゅう)、といった18世紀後半の初期蘭学者たちにまでさかのぼることができる。彼らは長崎の出島にやってきたオランダ商館長たちから、医学をはじめとする西洋科学を学んだが、それは蘭学者たちに名声だけではなく、莫大な富ももたらした。

 「オランダ正月」という西洋式のパーティ(1794(寛政6)年、閏11月、新年祝賀。大槻玄沢邸で) に集った蘭学者の面々は、フリーメイソン式のパーティーを開いていた。江戸幕府も、蘭学者たちのもたらす技術や物産がとてつもない利益をもたらすことを知っていたから、密かに容認していた。

 薩摩藩も、蘭癖大名(キリシタン大名)として知られる藩主・島津重豪(しげひで)が、彼らのネットワークに入って、密貿易をして利益を上げた。そしてこれが80年ものちに薩長連合が武器を輸入する時の軍資金になった、というのは驚きだ(本書P170)。

 何故なら多くの歴史書では、島津重豪の蘭学趣味は藩財政を悪化させ、のちに家老・調所広郷(ずしょ・ひろさと)が大坂の大名貸しに150年賦(事実上の無期限返済)を通達して、薩摩藩の借金・三百万両を帳消しにしたとあるからだ。しかし、重豪が裏金を残していたとなると、幕末史も相当に変わってくるはずだ。

 全く同時期の18世紀後半、アメリカのフリーメイソン(=ユニテリアン)の商人たちが、イギリス帝国の植民地支配に対抗してイギリス船を襲撃して、独立の機運を高めていた。彼らは本国イギリスと戦うために、オランダ商人(かれらもフリーメイソンだ)と手を結んだ。そのようなアメリカ人財閥の一人として、ジョン・ハンコックが紹介されている。(本書P120)

 私、田中進二郎の知見(ちけん)では、このころの独立戦争直前のアメリカ人も、長崎に来ていたようだ。ボストンの近郊のセイラムという港湾の町から、日本の長崎の出島に来航して、秘密裏に貿易を行っていた。長崎に入港する前に、オランダの国旗を掲げて、それで長崎奉行たち役人の目をパスしていたらしい。

 このセイラムという町に生まれた人物として、アーネスト・フェノロサがいる。そのほか、エドワード・モースや「少年よ 大志を抱け」のクラーク博士などもこの地域の出身である。彼らはボストンの富裕層のボストン・ブラーミンの一員なのだ。 彼らは明治になって突然、来日したのではなくて、18世紀後半の田沼意次が老中だった時代から長崎のオランダ商館長と通じて、日本の情報を集めていたのだろう。

 だからオランダ商館はアメリカ人の密貿易を幕府に訴えなかった。ここにもフリーメイソン・ネットワークの力が大きく働いていたのである。

 著者の石井利明氏から聞いた話であるが、幕末の段階でボストンに日本人がなんと五千人も住んでいたそうである。にわかには信じ難い史実が本当はあるのだ。

 前野良沢(まえのりょうたく)や杉田玄白、中川淳庵(なかがわじゅんあん)ら 初期蘭学者による『解体新書』の刊行が 1774年で、その翌年がアメリカ独立戦争だ。世界史と日本史はここでつながっている。

 しかし、『解体新書』の翻訳事業のリーダーだった中津藩医の前野良沢だけが、このフリーメイソン人脈から外されてしまう。良沢が翻訳を密かに行っていた場所が、中津藩の江戸中屋敷(なかやしき)である。これが築地の鉄砲洲(てっぽうず)にあった。蘭癖(らんぺき)大名・奥平昌鹿(おくだいら まさか)の庇護のもとで、良沢は書物の翻訳に没頭した。

 その中には、幕府が禁止しているキリスト教に関する書物も含まれていた。また、良沢には尊王家としての側面もあって、それがフリーメイソン人脈から外された理由だ、と石井利明氏は指摘している(本書p44)

 優れた 歴史作家・吉村昭(よしむらあきら)著『彦九郎山河』(1995年刊 )には、前野良沢が尊王家の先駆的存在である高山彦九郎(たかやまひこくろう)を、築地の江戸中屋敷にかくまっていたことが記されている。細かい話になってしまうけれども、高山彦九郎は朝廷と薩摩藩を結びつけるために、九州にわたり薩摩藩を説得しようとした。

 この工作が失敗すると、彦九郎は自刃する(1792年)のだが、その直前に中津藩(大分県)にたどりついている。この時に彦九郎に宿となったのが、神官の渡辺重名の家である。

 この渡辺重名の孫が、福沢諭吉が十代のときの学友で、遠縁にもあたる渡辺重石丸(いかりまろ)である。 祖父・重名から三代にわたる神道家だった。そして尊王攘夷派だった。

 ペリー来航の後、中津藩全体が開国和親派と攘夷派に分裂していた。諭吉のまわりも師の一人・野本真城(のもとましろ)や渡辺重石丸ら尊王攘夷派がいた。しかし、諭吉は一切彼らのことを書き記さなかった。そして、十代の諭吉が書き残したものは全くない、という(本書P25)。なぜ諭吉は自分の中津藩時代について、語らなかったのか。

 前野良沢が翻訳をしていた中津藩奥平家の江戸中屋敷に、1858年に諭吉が蘭学塾を開いたのが、『解体新書』刊行から84年後のことである。この2年前の1856年に幕府は全国の洋学者たちを集めて、九段下に蕃書調所(ばんしょしらべしょ)を設立している。

 SNSI論文集『蕃書調所の研究』で明らかにされたように、ここは江戸幕府の中にある諜報機関(インテリジェンス)だった。ここには、大村益次郎や勝海舟といったエージェントがうようよいた。西周(にし・あまね)のようにのちにヨーロッパでフリーメイソンになったものもいる。築地の中屋敷にいた福沢諭吉は、この蕃書調所にたった一度しか訪れなかった。

 その理由について、諭吉は「蕃書調所まで歩いて通うのは遠かったから」ととぼけたことを言っている。築地から九段下までは現代人でも歩ける距離だ。

 本当は諭吉は蕃書調所の中で、日本をイギリス帝国の属国化する謀略が進んでいることをよく知っていたのだ。そこでこの機関に入ることを避けたのだ、と考えられる。

 諭吉と蕃書調所の関係と、前野良沢と、オランダ正月の初期蘭学者たちとの関係がよく似ている。前野良沢は尊王派だったので、フリーメイソンがめざす開国和親政策に反対だった。だから蘭学者ネットワークからはじき出され、名声からも遠ざけられ最後は孤独死した。

 諭吉も、イギリス帝国の日本属国化の走狗にはなりたくなかった。しかし、フリーメイソン人脈との関係は保ち続けた。そしてそれを日本の独立のために活用した。だから、自分が尊王派でもあったという中津藩時代の過去については、抹消せざるを得なかったのだろう。

 『福沢諭吉 フリーメイソン論』を読み、私田中進二郎は諭吉の真意をそのように解釈した。諭吉は、自分の先達者として前野良沢を深く尊敬していたのだろう。

 石井利明氏の『福沢諭吉 フリーメイソン論』はこのような歴史についての洞察にあふれた書物である。ただ一点、難点は誤字・脱字の類がとても多い。そうなった事情について、著者の石井さんは校正にかける時間が非常に少なかった、とおっしゃられている。

 そこで私田中進二郎は、誤字・脱字などの訂正箇所を徹底的に見つけて、それを石井さんにお送りした。だから、増刷の時にはパーフェクトになるだろうと、自負している。

学問道場の皆様におかれましては、この『福沢諭吉 フリーメイソン論』を是非とも購読していただきたい。皆様の力で増刷を実現しましょう。

田中進二郎拝        2018年5月3日