[1868]天武天皇の正統性について

守谷健二 投稿日:2016/02/26 14:04

柿本人麿の悲劇(その4)

  うつそみと 思ひし妹が 灰にてませば (生きていると信じている妻が、この灰だと言うのだもの)

 前回は『万葉集』第二巻〔213〕“或る本の歌に曰く”の歌を検討しました。人麿の妻は、ただ単に死んだのではなかった、秋の山に覚悟の失踪を遂げたのだ。
 人麿は、妻の窮状を十分認識していた。それなのに世間の目が恐ろしいと、手を差し伸べて援けずにいた。ほとぼりが覚めれば、また逢えるようになるさと、のんきに構えていた。

  さねかづら 後もあはむと 大船の 思ひたのみて〔207〕

 そんな中、突然失踪したのである。
 三首の長歌は、それぞれ反歌を持っている。今回は〔210〕の歌に附けられている反歌を検討したい。

  去年(こぞ)見てし 秋の月夜(つくよ)は 照らせれど 相見し妹は いや年さかる〔211〕

 《訳》去年見た月は、今も変わらず照っているが、いっしょにこの月を見た妻は、遠く去って行って年が変わってしまった。

  衾道(ふすまじ)を 引出(ひきで)の山に 妹を置きて 山路を行けば 生けりともなし〔212〕

 《訳》衾道を 引出の山に(土地の名か、形状を言っているのか不明)妻を置いて、山路を歩いているが、もう妻は生きていないかもしれない。

 この〔212〕の歌の解釈は難しいのです。最後の「生けりともなし」原書では「生跡毛無」です。「生けり」と読むのは「とも」を接続助詞と見るからです。接続助詞「とも」は、終止形に接続します。
 「生けり」は、「生き」と「あり」の合成語ですから「生きている」と云う意味になります。故に、「生けりともなし」は、「生きているとも思えない」と云う意味になります。
 
 これに対して「生けるともなし」と主張する学者もいます。「生ける」は、連体形ですから「ともなし」の「と」は、体言(名詞)だと言うのです。利心(とごころ)“確かな心”を「と」だけで表しているのだと言います。この多立場で訳しますと、

  引手の山に妻の屍を置いて山路を帰ると、生きた心地もしない。

 私が目にした注釈書全ては、このように解釈しています。しかし「と」だけで、当時の人々は「利心(とごころ)」だと理解できたのでしょうか。また原書の「跡」は、上代特殊仮名遣の研究から「ト乙類」の音を表す「万葉仮名」であることが明らかで、助詞「と」は、全て「ト乙類の万葉仮名」で書かれています。
 それに対し名詞である「利心」の「と」は、「甲類の万葉仮名」で書かれています。『上代特殊仮名遣い』は、橋本進吉博士が発見し、体系付けた学説で、万葉集の時代の大和言葉は、母音を八個持っていたことを明らかにした画期的な研究です。この研究の成果で『万葉集』『古事記』『日本書紀』は、初めて正確に読むことが出来るようになりました。
 その『上代特殊仮名遣い』の立場からは、「生きけるともなし」とは読めないのです。「生けりともなし」と読まなければならないのです。
 つまり、「生きているとも思われない」と。
 しかし、全ての注釈書は「生きた心地もしない」と、『上代特殊仮名遣い』が明らかにした万葉仮名の用法に違反して解釈しているのです。もうお判りでしょう、これも題詞「柿本朝臣人麿、妻死りし後、泣血哀慟して作る歌二首」に囚われて、人麻呂の妻は、死んでしまっているのだ、と決め付けていることからくる誤りと云わなければならないのです。
 人麿の妻は、秋の山に覚悟の失踪を遂げた。妻は窮地に堕ちていた。人麿は、妻の窮状を十分に分っていた。それなのに手をこまねいて見放していた。人麿は、妻を見殺しにした。必死に捜索したが、屍(しかばね)にすら巡り合うことが出来なかった。