[1835]社会に壊された人々へ 終

松村享 投稿日:2015/11/26 02:42

 松村享(まつむらきょう)です。今日は2015/11/26です。

 現在、世界では、大きな動きが起こっているようですね。私も現状分析をしたいんですが、いかんせん知識が足りません。世界の大きな見方、視点の置き方なら、歴史論文を書くことで得ました。あとは、現状の詳細な知識だ。

 『今日のぼやき』の会員ページの方に、私の論考を載せていただきました。『幻想国家としての古代アテナイ』という題名です。わざわざ地図など貼りつけていただきました。ありがとうございます。

 会員の方だけ読めます。有料制ということですね。会員ページは、一年間、副島先生の論考をはじめ、あらゆる論文を読み放題で、10000円です。ここを読んでいる皆さんも、会員になってくれればなあ、と思います。

 私からすれば、本を集めるだけで、一ヶ月10000円くらいは吹っ飛んじゃうんで、けっこう安いと思うんだけどなあ。一年で10000円。一ヶ月に換算すると、800円くらいですよー?ラーメン一杯くらいですよ!

 会員になってくれればなあ、と思います。文章を書くというのは、わりとカツカツの生活を余儀なくされるのです。それでもいいと思っているから、書いてるんですけどね。それでも、支援してくれると助かるなあ。必ず、対価に見合うだけの文章は書きます。

 ぼやきに載せていただいた『幻想国家としての古代アテナイ』の『幻想』とはですね、つまるところ、お金、マネーのことなのです。マネーというのは、マグカップとはちがう。コーヒー飲むだけのマグカップとは違って、なんにでも変身できます。マネーは、マグカップにもなれるし、時計にもなれる。車にもなれます。なんにでも変身可能です。

 マネーというのは、かたちのない幻想である。かたちないからこそ、なんにでも変身可能である。そして、人類史上初めての、マネー基軸の国家をつくりあげたのが、古代ギリシャのアテナイだった。だから、『幻想国家としての古代アテナイ』。

 だから、なんだか白く輝かしいものとしてイメージすることの多い古代アテナイですが、古代ギリシャ思想とか、民主政democracyとか、あれ全部、マネーに付随(ふずい)して生まれてきたものです。
 
 これは予想だが、マネーの訳語である『お金』という日本語の名詞は、本来の『money』のニュアンスを、伝えきれていないのではないかと、私は考えています。本来の『money』は、もっと、神聖なニュアンスがあるのではないか。
 
 現代日本人も、マネーを軸にした『社会』という人工物の中で暮らす以上、古代アテナイは、他人事ではない。そういう考えのもとに書きました。次は、エジプトかな。現代日本の矛盾を考えていたら、私は、不可避に、フィレンツェ・ルネサンスと同じ追求をすることとなりました。

 だから、マネーmoneyとか、社会societyとかいう単語は、おそらく神聖なニュアンスを持つんであって、ここの感覚を理解できないところに、日本人の限界があるというか、いつまでも猿マネ民族として扱われる部分があるというか。

 結局、「日本人は社会を理解できていないのに、社会を押しつけられている」という構図だ。私は独り身なのでよく外食をするが、たまに横柄な客を目撃することがある。なにやら大声のタメ口で店員に口をきいている。太った体でふんぞり返っている。私は、文化人類学者のマネをして、ずっとその横柄な客を観察し続けるのである。「金を払っているのだから、俺が偉いんだ」という感じである。

 だがよくよく考えてみれば、店と客との関係は、マネーにもとづく契約であり、マネーにもとづく以上、店と客は対等のはずだ。お金とは、すべて人間を平等にならすことに特徴がある。社会においては、売り手も買い手も、だれもかれもが平等なのだ。だから、店員もおかしい。ヘエコラする必要はない。

 マネーは、すべての人々を『平等』の立ち位置に再編成するのである。一万円には一万円のサービスを、十万円には十万円のサービスを提供する。そうやって、お互いにバランスをとっている。SNSI研究員・鴨川光氏が、常々書いているエクィリブリアムequlibuliamである。我々の時代のような、マネーにもとづく社会societyにおいては、貴族も平民も存在しない。みんな平等だ、ということになっている。これは、そのまま民主政democracyのことでもある。

 それを、この横柄な客はわかっていない。「上の者が下の者に金を払ってやる」という地域共同体に独特の感覚のままに行動している。こんな光景は、日本のどこでも、そこかしこに見られる現象だろう。だから「日本人は社会オンチである」といわれるのだ。

 太平洋戦争の際、1944年にニューヨークで、日本人の性格構造を分析するための太平洋問題調査会(Institute of Pacific Relations)略して、IPR会議がひらかれた。IPR会議は、もともとロックフェラー財団の資金提供で運営されていたものである。

 この会議に、日本人を徹底的に丸裸にしたルース・ベネディクトやジェフリー・ゴーラーも出席している。なんと、社会学の泰斗であるタルコット・パーソンズ(1902~1979)も出席した会議である。パーソンズは、私の師である副島隆彦氏の、そのまた師にあたる小室直樹氏に、社会学を教示した人物でもある。

 このIPR会議の様子が、『日本人の行動パターン』(ルース・ベネディクト著 福井七子訳 日本放送出版協会 1997年)の訳者解説で描かれてある。これは貴重な記録だ。p148で紹介されているジョン・マキという人物の発言が重要である。「日本人は『社会society』を理解できない」という趣旨の発言をしている。さきに私が描いた横柄な人物像を思い浮かべながら、次を読んでみてください。

(引用はじめ)

『日本人の行動パターン』p148(ルース・ベネディクト著 福井七子訳 日本放送出版協会 1997年)

 ジョン・マキは次のように説明する。「日本では身内とよそ者という考えは非常に重要です。西洋人は、日本人が非常に礼儀正しいと考えています。確かに身内の関係のなかではきちんと紹介され、礼儀正しく振る舞われますが、よそ者の状況にある場合、形式や丁寧さは完全に無視され、人間の感情を欠いた関係となるのです。

 社会的に丁重な言動という考え方は日本人にはありません。身内とよそ者という考えは、強い郷土愛に基づく地方主義に遡ることができます。外からやってくる人は、潜在的に敵やスパイと考えられていた十七、十八、十九世紀に由来します。

 家族は最小単位の身内で、友人、級友、同郷人、同国人という単位の身内へとその範囲は広がります。そしてよそ者はすべて劣っており、軽蔑の目で見られるのです。日本人は敗北した敵は、軽蔑をもって処遇されるべきだと思っています。」

(引用終わり)

 松村享です。

 日本人には『社会society』は、わからないのだ。だからみなさん、店やホテルでふんぞり返っている人間を見たときは、「ああ。この人は、社会オンチの土着民なのだ」と思って、マジマジと観察すればいい。文化人類学者をマネして見ればいい。

 同様に、清く正しい、笑顔マシーンのような営業マンもまた、『社会society』の輸入に失敗した人間である。社会という魔界の中では、とるべき手段、ふるまうべき行動がわからない。だから、笑顔マシーンというパターン化された類型が現れる。

 『社会society』とは、Godそのものなのだ。近代という妙な時代にあわせて、つまりは、マネーを基軸にせざるを得なかった時代にあわせて、キリスト教のGodは、『社会society』という姿へと変貌した。Godの生まれ変わりたる『社会society』の、アジアでの初輸入は、戦後日本において行われた。アメリカの戦後統治において、日本にキリスト教が輸入されたのだ。

 だがキリスト教など、もっといえばGodの一部となる喜びなど、日本人にはとうてい理解不可能である。喜びなんかない。むしろ魔界だ。Godなんぞ知るか。誰だそれは。我々は、東アジアの島国の、隔離されたおぼっちゃま民族である。ずっと国を閉じて生きてきた。だから、Godなんか知らない。Godの一部だからといって、自分を肯定することはできない。

 だから、笑顔のふりをするしかない。清く正しい笑顔マシーンになりきるしかない。その内面はズタズタに引き裂かれて、ネットに癒しを求めて、陽が昇れば再び笑顔マシーンだ。

 どうやら『社会人』というパターン化されたキャラクターが、現代日本には定着しているらしい。初めて街にでたおぼっちゃまが、いじめられないように、すれちがう人々の身のこなしから言葉づかいまで真似をしているのである。真似を集めて集めて、パターン化した。パターン化の極端な例が、とびきりの笑顔マシーンである。

 そして、ああ、もはや嘆息(たんそく)するしかないのだが、このパターン化の性質についても、文化人類学者・ジェフリー・ゴーラーは見抜いている。これも引用しよう。

(引用はじめ)

『日本人の性格構造とプロパガンダ』p64(ジェフリー・ゴーラー著 福井七子訳 ミネルヴァ書房 2011年)

日本人は理解や管理できない環境においては、不安を感じるということはすでに述べた。
そうした環境に備えて、予見できるすべての状況に適した、
もっとも巧妙で形式的な行動パターンが日本文化には発達している。

これらの行動パターンに従いさえすれば、
日本人には怖いものはなく、陽気で楽しくいられる。

しかし、これらの行動パターンに従うことは、
各個人に相当な自己抑制やさまざまな攻撃的な感情、
憂鬱な気持ち、血気盛んな感情といったすべてを捨て去ることが求められる。

一般的にどのような感情も表現することは誤っている。
痛みや喜び、うれしさや怒りなどの感情表現は許されず、
そうした感情は予想できないことなので、自らが先立って捨てることにより、
他人も同じように放棄するという保証が得られる。

(引用終わり)

 松村享です。

 ゴーラーは、すでに70年の昔に、笑顔マシーンの出現を見抜いている。社会人、笑顔マシーンに見られる日本人の、巧妙(こうみょう)かつ形式的な行動パターンの出現は、おぼっちゃまが外界から自分自身を守るためだったのだ。ゴーラーの言説からは、そう解釈できる。

 『社会society』という輸入物の中で不安な日本人は、だから、パターン化した形式的な学歴に強くこだわるのである。大学など、サイエンティストscientistになりたい人間だけが行けばいい。私の周りには、意味不明なままに大学に通っている、あるいは卒業した人間がたくさんいる。これは、とくに文系に顕著だ。自然科学natural scienceはまだしも、社会科学social scienceなど、日本人は理解していないからだ。

 大学でたいして何もしていない友人に「おまえは何のために大学に通ったのか」と問い詰めると、「いろんな人に出会えるから」とこたえが返ってくる。それはたしかに大事なことだ。人との出会いは大事である。だが出会いなら、自身が積極的に動いていれば、大学など無関係に発生するものであり、高い授業料を払ってまで自らを限定するその生き方は、私は納得できない。

 「いろんな人に出会える」というその回答は、強迫観念のもたらした不安の正当化であり、より大きくいえば、奴隷根性の正当化である。漠然とした未来への不安のために、自分自身を質に入れているのだ。そして約束されたはずの未来が、本当に訪れるのかどうかは、誰にもわからない。

 わからないはずのものを、約束の地のごとく思いこもうとする、つまり自分で自分を錯覚させるほど混乱していることに、現代日本人は気づくべきだ。日本人は、混乱しているのである。

 混乱して不安に陥った日本人は、パターン化した行動をとるのだと、すでにゴーラーに見抜かれている。だから日本人は、ハツカネズミとたいして変わらないのだ。学歴や就職への執念は、ハツカネズミとぜんぜん変わらないパターン化された精神構造である。

 私たちは、よけいな虚栄心など捨てて、自分を動物だと認識すべきなのだ。動物だと認識して初めて、精神構造の迷路をさまよう自分を発見する。あなたのその生き方は、あなたの自由意志が選びとったものではなく、『日本人という動物』に特有の行動パターンなのだ。

 だから、私のメールアドレスを盗んだあなた、あなたの精神構造は、とうの昔に、文化人類学者・ジェフリー・ゴーラーに見抜かれているのだし、私にも見抜かれている。あなたの行動は、社会に壊されて混乱した人間の、パターン化された行動なんだ。

 いいかい。社会に壊された人々に特有の行動パターンなんだ。動物となにも変わらない。動物でしかない自分と、幻想としての自分のはざまで、自分が何者なのかを、脳が焦げつくまで考えるべきだ。そして、覚悟を決めて行動すべきなんだ。あんたの行動からは、覚悟など、みじんも感じられない。

 だから、私になにか物申したいのなら、「自分は社会societyに壊された人間の一人で、複合体(コンプレックス)と化した精神構造の迷路をさまよっている最中だ」と、きちんと認識したうえで、堂々と来てください。松村享の電話番号は09044877280です。顔を伏せてうろちょろすんのは、もうやめようぜ。非通知の電話にも出ない。名を名乗ったうえで、いつでも電話してください。

 というか、どなたでも電話どうぞ。なんだか電話番号は非公開だというのが、現代の主流のようだが、電話番号なんて、昔はタウンページに載ってたじゃないか。いまはどうか知らないが。こんなもの公表すればいいのである。笑顔マシーンに馴れすぎて、本気でぶつかる事の美徳を忘れちまったか、現代人は。

 文章は、私という人間を半分も伝えない。私には、声があって、体があって、感情がある。はじめに現実がある。音や匂いや感覚がある。はじめにロゴスはないんだ。『はじめにロゴスあり』などと、人間を逆さまにつくりあげたのが、新約聖書のヨハネ福音書である。

 キリスト教の統治技術は、空と同じように、あまりに巨大で普遍で、あたりまえだと思ってしまう。だがその「あたりまえ」は、あたりまえでもなんでもない。人工物である。あなたのその生き方じたいが、人工物だ。

 別の生き方だってある。生きることは、そんなに堅苦しくはない。「社会societyから、はみだしたら罪人」だなんて、どこの誰に植えつけられた考えなんだ。あなたらは、一体いつからキリスト教徒になったのだ。

 手汚して、知恵絞って、なんとかかんとか生きてゆく。マネーだけでは、太刀打ちできない問題もある。どこの誰も教えてはくれない。私はつい先日、東京・八王子の大きな祭りで出店を開いた。私が店主だ。ど素人の祭り参加だ。ハプニングだらけだった。でも、それでよかった。

 隣の出店のおっちゃん達と仲良くなってだな、「こっちのものを買ってくれたから、今度は俺がむこうの酒を飲もう」だとか、土着日本特有のご近所づきあいが発生するんだぞ。社会societyもくそもあるか。甘ったれんじゃねえ。俺たちは、一度、野生に帰るべきなんだ。社会に壊された人々よ、キリスト教という清潔空間にいる自分を認識したならば、さっさとこっちへ来い。(終)

松村享拝

参考文献

○片岡徹哉著『さらば吉田茂 虚構なき戦後政治史』(文藝春秋 1992年)
○小室直樹著『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』(中公文庫 1991年)
○シュテーリッヒ・ハンス・ヨアヒム著 草薙正夫 堤彪 長井和雄 山田潤二 工藤喜作 神川正彦 草薙千雅子 共訳『世界の思想史(下)』(白水社 1978年)
○ジェフリー・ゴーラー著 福井七子訳『日本人の性格構造とプロパガンダ』(ミネルヴァ書房 2011年)
○副島隆彦著『堕ちよ!日本経済 アメリカの軛から脱するために』(祥伝社 2000年)
○SNSI副島国家戦略研究所『悪魔の用語辞典 これだけ知ればあなたも知識人』( kkベストセラーズ 2009年)
○フランク・マニュエル著『サン-シモンの新世界 下』森博訳 恒星社厚生閣 1975年
○ルース・ベネディクト著 福井七子訳『日本人の行動パターン』(日本放送出版協会 1997年)

ウェブサイト

○石井利明筆『【避暑地と権力者】日本の縮図、避暑地・軽井沢』(ウェブサイト『副島隆彦の学問道場・今日のぼやき会員ページ』)
○鴨川光筆『サイエンス=学問体系の全体像』(ウェブサイト副島隆彦の論文教室)