[1826]原子力の日の前日のこと

相田英男 投稿日:2015/10/25 18:39

相田です。明日10月26日は「原子力の日」です。原子力の論考の第4章がなんとかまとまりそうです。できれば原子力の日に間に合わせたかったのですが、もう少し見直そうと思います。それに少し関することで、最近菅直人がブログで述べたコメントについて、反論したいと思います。

ー引用始めー

2015年10月22日 08:57
菅直人
福島原発事故記念館が必要

(中略)
 もともと日本の原発を推進し、福島原発事故を引き起こした責任の多くは長年の自民党政権にあることは明らか。福島原発事故が発生したのは2009年9月に初めて民主党政権が生まれてわずか1年半後の2011年3月。事故を起こした福島原発をはじめ54基のすべての原発は自民党政権時代に建設されたもの。事故の原因となったほぼすべては自民党政権下で発生していることはその後の検証でも明らかになっている。

http://blogos.com/article/140506/

ー引用終わりー

菅直人よ、それは違う。

あなた達、民主党、共産党、その他の反原子力活動に携わる全ての人物達も、福島事故の責任を免れることはできないと、私は強く主張する。

さかのぼる事50年前、「原子力の日」の前日1963年10月25日(実は今日だった)に、当時の社会党、共産党の支援を受けていた原研労組の50名が、運転中の1万キロワット級原子炉JRR-3(通称国一炉)に、抜き打ちのストライキを強行した。この事件をきっかけに混乱に陥った原研の状況にかこつけて、自民党議員連中は、それまで積み重ねられた原子力政策の問題の責任を、原研理事長の菊池正士(きくちせいし)に全て押し付けて、辞任に追い込んだ。

この時、社会党の議員達も原研の組合員を守るために、菊池の管理責任を追及し、あたかも自民党と連携するが如く、菊池を追い込んで潰した。

菊池正士こそが、それまでの原子力政策の誤りを正直に指摘し、一方では、体制側に反発する労組をなだめながら、日本に正しい原子力技術が根付くように現場で尽力した、最後の人物であった。その希望の星を、自民、社会、共産党の議員達は結託して、共同謀議(コンスピラシー)のようなやり方で、50年前に残酷に抹殺した。

福島事故の悲劇はここから始まったのだと、私は強く主張する。
体制側も反体制派も同罪なのだ、と。

自民党や東電の責任を追求する者達は、50年前に立ち返って、菊池を潰した事実への責任をまずは問わなければならない。それをしない者達は偽善者だ。

菅直人よ、「そんな昔の事を今更持ち出すな」などと、誤魔化してはいけない。あなたは、この50年前の事実をよく知っているはずだ。少なくとも、よく知っている人物が近くにいるはずだ。なぜならば、原子力規制委員長に元原研労組執行委員長を務めていた田中俊一氏を起用したのは、他でもないあなただからだ。

原子力規制庁を作る際に、あなたは「10基も20基も再稼動するなんてあり得ないという、簡単に戻らない仕組みを民主党は残した」とコメントしたという。効果は絶大だった。お互いに信頼関係を築けない規制庁と電力会社は、もめにもめ続けて、再稼動はままならない状況だ。その間に中国はイギリスで7兆円で軽水炉を作るのを手始めに、世界中で原発を作り始めるだろう。そのうち、安全基準も中国主導で作られるのではないか。

私は別に、共産党や左翼を批判するつもりは全くない。日本人で、福島事故の責任を東電や自民党に追求できる資格のある者は、誰もいない、という事を主張するだけだ。少なくとも菊池の霊前で詫びを入れて、先人達が犯した過ちをはっきりと認めるまでは、他人の批判は許されない。ヨハネ福音書でキリストが述べたという「汝らの中で罪なき者から、この者(売春婦のこと)に石を放て」という、言葉の如く。

これまで愚直に技術を追求してきた原子力研究者、技術者達の、無言の努力を、「原子力ムラ」の一言で、貶めてはいけない。私は50年前の偽善を全て暴く。そして菊池の名誉を晴らす。若い人達が、原子力に後ろめたさを感じる事がないように。

P.S.
私は、自民党や東電や統一教会側の肩を持つつもりは、全くありません。原子力という技術の世界に思想を、右も左も、持ち込む事をやめて頂きたい、というのが本心です。

相田英男 拝