[1802]天武天皇の正統性について

守谷健二 投稿日:2015/07/24 13:01

   額田王(ぬかたのおおきみ)と大海人皇子(天武)1800の続き

 あかねさす紫野行きしめ野行き 野守は見ずや君が袖振る〔20〕

 紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに吾恋ひめやも〔21〕

 上記の二首は、天智7年(西暦668)五月五日の宮中あげての御狩りの際に額田王と大海人皇子の間で交わされた歌である。昭和を代表する歌人斎藤茂吉翁を筆頭に多くの歌人、学者たちが万葉集随一の歌と激賞しているあまりにも有名な二首である。彼らがこの二首をどの様に理解しているのか、斎藤茂吉の『万葉秀歌』より引用する。

 「お慕わしいあなたが紫草の群生する蒲生の御料地ををあちこちとお歩きになって、私に御袖を振り遊ばすのを、野守に見られはしないでしょうか。それが不安でございます。」〔20〕

 「紫の色の匂うように美しい妹が、もし憎いのなら、もはや他人の妻であるおまえに、かほど迄恋する筈がないではないか。そういう危ないことをするのも、おまえが可愛いからである。」〔21〕

 他の歌人たち、学者たちの見解も斎藤茂吉ほど大げさではないが同様な見解である。しかし、私はこれらの見解に疑問を抱かずにおれない。まず〔20〕の歌である、「野守は見ずや」の「ずや」は、否定の「ず」と反語の「や」の合成である。「や」という言葉は、弓矢の「や」と同じく、相手にぶっつける意味を持つ。つまり、質問、問い質す役割を持つ。質問とは、自分に確信を持つことを相手にぶっつけることだ。同じ反語でも疑問の役割を持つ「か」とは異なる。故に「ずや」は、強い表現だ。それを踏まえて私の解釈を乗せる。

「あかねさす紫野行きしめ野行き、野守が見ていますよ、あなたが袖を振っているのを」

 詰問口調、諌めているのではないか「あまり軽はずみなことをなさいますな」と。この天智7年というのは、天智天皇が正式に即位した年である。倭国が消滅し、倭国の大皇弟(大海人皇子)が近畿大和王朝・天智天皇の臣下となった年だ。
 
 もっと理解に苦しむのが〔21〕の見解である。「吾恋めやも」は、「私は恋するだろうか、いや恋などしない」という恋を否定している。それが真逆の「恋し続けている」という解釈になっている。「人妻ゆゑに恋めやも」は「今は人妻だから、恋などするはずがない」という意味になるはずだ。
 しかし、そう解すると、「紫草にほへる妹を憎くあらば」とのつながりが不自然となる。「憎くあらば」は「憎いのなら、今はもう人妻であるのに恋などするはずがない」と。余計なお世話みたいな歌になる。
 この歌の解釈に私は長い間悩んできた。どうして斎藤茂吉翁のような解釈になるのか、どうしても納得がゆかなかった。苦し紛れに考えたのが、「紫草のにほへる妹を」の「を」目的格の助詞ではなく、間投詞と見てはどうか、というものです。ほとんどの歌人、学者たちは、この「を」目的格の助詞として解釈しています。
 「を」は、まず感動詞として出発したと云います。今でも意外なことに遭遇した時「を!」と発します。そこから返事の「を」、承知した、確認した意味が発生し、そこから間投詞の「を」確認、強調の役割です。目的格の助詞となったのは、語順の違う漢文を読み下すため、動詞の目的語に必ず「ヲ」と記したため定着し広まった、といいます。もともと日本語には目的格の助詞はなかった。飯食う。酒飲む。のように。
 そこで〔21〕の「妹を」の「を」を、間投詞と採れば、「むらさきのにほへる妹」を強調していることになります。「むらさきのにほへる妹、その妹が、憎くあらば(迷惑に思っているのなら)、もう人の妻なのだから、恋などいたしません」と。
 額田王に諌められた元夫の大海人皇子が言い訳、弁解している歌ではないのか。みんなは、大恋愛歌のように解釈しているが、この二首の歌は、相聞(恋)歌の部に置かれてはいない。雑歌の部に置かれているのだ。『万葉集』の編者は、恋の歌とは認識していなかったのである。
 反論質問もとむ。