[1795]中東のアラブ人たちの団結と独立を壊された歴史、そして今につながる。 それから 政治家・村上誠一郎の誠実な発言を載せる。

副島隆彦 投稿日:2015/06/17 12:10

副島隆彦です。  今日は、2015年6月17日です。 私は、今は、ずっと、「中国 と アラブ(イスラム教世界)とヨーロッパが、世界の中心を(北アメリカから)ユーラシア(=ユーロ・アジア)に移す」(仮題 長すぎるなあ) という本を書こうとして、あれこれ苦しみながら、調べています。

私は、この重たい掲示板に前回、「アラビアのロレンス」の話を書きました。 トーマス・エドワード・ロレンス Thomas Edward Lawrence という 素晴らしい、かつ苦難の生き方をしたイギリス人(1888-1935,46歳で死去)の伝記(バイオグラフィー)類を6 冊読んでいます。


「アラビアのロレンス」トーマス・エドワード・ロレンス

ロレンス自身が書いた、「砂漠の反乱」を含めた自伝、戦争記録である「知恵の7つの柱」しか知らなかったのだが、私が、この4月に、中東・アラブの調査旅行に行く前から、本を集めて読み始めていた。

その中の一冊の、「アラブが見たアラビアのロレンス」(スレイマン・ムーサ 著  牟田口義郎(むたぐちよしろう)訳、リブロLibro 刊、1991年、原書は、1962年刊) を、ずっともう5日間も読んでいる。600ページの大著だ。

牟田口義郎 は、まだ生きていた中野好夫(なかのよしお、日本の英文学界の泰斗 )と話してこの本を、立派な日本文に訳している。 中野好夫 が、まだ戦前である 1940年に、早くもロレンスのことを日本に書いて伝えた。

この本は、ロレンスへの公平な評価と、悪意の評価もしている。こんな熱中読み込みをしている人生時間の余裕は、今の自分にはないはずなのに。書かなければいけない原稿が、次々と押し寄せている。

この本にも、冷酷に書かれた、アラブ人の側から見た、当時の中東、アラブ人の世界が、イギリス、フランスによって、無惨に狡猾(こうかつ)に分割されてゆく様子が、よく描かれている。ソビエト・ロシアも中央アジアを奪いとった。ドイツとオスマントルコは、敗戦国として裁かれる立場だった。それが、1919年1月からのパリ講和会議(=ベルサイユ会議)だ。

ロレンスは、本気で、アラブ人たちのために、彼らの団結と独立のために全力で闘った。自分自身でアラブ人たちと共に、砂漠での戦争に参加して、ラクダに乗って何日も砂漠を進み、原住民の服装で泥だらけで、寒さに震えながら2年間、原住民のベドウィンの部隊と共に戦った。同じ粗食を食べて、それから、トルコ軍の軍用列車を破壊する攻撃を、十数回も行っている。他のイギリス人の派遣将校たちには出来ないことだ。

ロレンスは、自分自身でで線路の爆破の技術も覚えて、実際に10数回、爆破している。破片が飛び散って自分も軽い怪我をしている。そしてファイサルの軍事顧問 謙、通訳 謙、カイロにいた英軍のアレンビー将軍の配下にあって、連絡将校としてもずっとう動いた。それらのことが、このアラブ人の側から詳細に研究された本によっても分かる。

しかし、戦争が終わってからの、アラブの立場は、微妙になってゆく。いくらアラブ人の団結と、まとまっての独立を、パリ会議で、希求してみ、簡単には受け入れられない。 ヨーロッパの強欲人間、帝国主義者(インペリアリスト)たち と、怒鳴り合い、争って、ロレンスは、深く傷ついてゆく。

著者のスレイマン・ムーサは、戦勝国として有頂天の英(ロイド・ジョージ首相)、仏(クレマンソー大統領)の背後から、真の勝利者として、アメリカが世界帝国となって、ヌーと顔を出し、真の勝利者であったことまでを見ていない。ヨーロッパ人たちも分かっていない。自分たちは、歴史(世界史)の舞台の中で、大きくは騙(だま)されたのだ、ということを。


ロイド・ジョージ(David Lloyd George, 1863-1945)


ジョルジュ・クレマンソー(Georges Clemenceau, 1841-1929)

世界中の歴史学者たちは、今もなお、この大きな歴史の真実に気づいていない。誰も書いていない。だから、私、副島隆彦が、この極東の果ての地で、2015年という年に書いて公表しなければいけない。

ベルサイユ条約(1919年)によって出来た世界体制の、その数年後の1924年に、突如、リヤドから攻め込んできて、聖地メッカ(マッカ)を奪い取ったのが、 アブドルアジズ・イブン・サウド(サウジアラビア初代国王になった)だ。


アブドルアジズ・イブン・サウド( Abdulaziz bin Abdulrahman bin Faisal Al Saud, 1880-1953)と会談するアメリカのフランクリン・D・ルーズヴェルト大統領(この写真のルーズヴェルトは偽物[影武者]。この写真が撮影されたとされる1945年2月のヤルタ会談から2カ月後の4月にはルーズヴェルトは死んでいる。こんなに血色がよく元気な様子はおかしい。イブン・サイドの悪人顔もじっくり見て下さい)


サウジアラビア初代国王 の アブドゥルアズィーズ・イブン・サウド の 人相の悪さ

この 極悪人の、アラブ世界の強奪者の背後に、アメリカがいた(軍事援助と資金援助、その見返りが、今も世界最大のガワール油田の利権)ことを、誰も書かない。誰一人として書いてない。メッカ太守であったハーシム(=ハシュマイト)家の、全アラブの統合者としての、全アラブ人の、団結と独立を、全アラブの部族長たちの承認のもとに成し遂げた、2年間半の激しい独立戦争を戦い抜いた、その挙句のことだ。


イラク国王ファイサル一世(左)とイブン・サウド(1922年撮影)

このサウド王家の アブドラ(アブドッラーが正しい表記)国王と、日本の安倍晋三首相が、一昨年、訪れた首都リヤドで、話し込んでいる報道写真がある。両者の、顔が歪んだ、口元が引きつった感じで、顎(あご)がしゃくれた表情が、この二人が、暴力団系のワルい人間だ、ということを、報道写真がはっきりと写している。


アブドラ国王と安倍晋三首相

「 日本の首相よ。お前のところの核兵器の保有は、どうなっている」
安倍「アメリカが持たせてくれない。秘密で保有するための製造を続けている。すぐにアメリカにバレて、困ってるよ 」  アブドラ「 あの アメリカ野郎め。これほどにオレたちが巨額の資金を毎年、毎年、貢いでいるのになあ。 核兵器ひとつもたせない。だが、もうすぐわが国はパキスタンから買うからな 」 ・・・・

こういう秘密の会話を、二人でやっていることが、報道写真の両者の表情から如実に見て取れる。両方とも暴力的政治家だ。サウド家は、全アラブの民衆から嫌われている、ワッハーブ派(ワハービヤ)という まさしく暴力団的な王家だ。

それに比べて、アラブ人全てを代表し、誠実で、真面目だった ハーシム家の国王たち(アミール=エミール、国王級)は顔つくからして立派だ。ハーシム家の王(エミール、シェイク)たちは、その人格の高さに置いて、愚劣なサウド家のヤクザ者たちとは、比べものにならない。


アラブ独立運動の 指導者にしてアラブ人の王、ハーシム家のフセイン・イブン・アリー(Hussein bin Ali, 1854-1931) の立派な顔立ち  メッカを奪い取られた


ハーシム家のフセイン・イブン・アリーの三男ファイサル王子(後のイラク国王ファイサル一世)とロレンス(ファイサル王子の左肩の所に立っている)。1919年のパリ講和会議の時に撮影。

日本の安倍晋三も、その暴力団的な背景、奇矯な宗教団体を背景にしていることで、私たち日本国民からの尊敬はない。全くない。尊敬されない指導者は、指導者ではない。

世界は、今も、こういう恐ろしい暴力人間たちによって、支配、抑圧されている。その一番上に、アメリカによる支配がある。黒人のバラク・オバマ大統領 個人の 善意がいくら有っても、どうにもならないぐらい、世界は、こういう恐ろしい暴力人間たちによって、私たちの上から、彼らが覆(おお)い被(かぶ)さっている。

そこから生まれる重圧と抑圧の中で、私たちは生きている。毎日が暗く憂鬱な日々だ。 せめて、一人ひとりは、自分なりの気晴らしと健康法をと、実践しているのだろう。

私、副島隆彦も 毎日が憂鬱でならない。 日本国に迫りつつ有る、戦争の危機に、どのように対処し、先手、先手で、みんなに警告の予報を出そうか、ということで、毎日、苦しんでいる。日本の右翼がかった、「安倍ちゃんよー。もっと、チャンコロ、チョーセンジンを痛めつけてくれよ-」と、その生まれながらの卑(いや)しい風貌から発する、下品極まりない、唾棄すべき日本人たち (彼らは、ごく小規模の企業経営者層を中心に、500万人ぐらいいる)だ。

それに付和雷同(ふわらいどう)する、まともに働くことをしない(あるいは、失業、就活をしている)右翼、チンピ風の、人生経験の少ない若者たちがいる。彼らは、佐藤優(さとうまさる)氏が言うとおり、まじめに本を読む、ということをしない、「本なんか読んでも、なんの為にもならないぜ」

という、反知性(はんちせい)の人々だ。 彼ら右翼(本当の右翼・愛国者なら、アメリカによる日本支配の現状をこそ、批判しなければいけない) のことを、佐藤氏は、今度の私との対談本「崩れゆく世界 生き延びる知恵」(日本文芸社、2015年6月刊)で、

「安倍政権は、コンビニの前でウンコ座りをしている暴走族みたいな雰囲気ですよ」と言った(本書、P71)。


『崩れゆく世界 生き延びる知恵』

計画的に、着々と、どんどん、日本国民の真面目な戦争反対の意思が、奪い取られ、計画的に強引に謀略で実施された昨年末の選挙(12月16日)で、民主政治(デモクラシー)の制度そのものを打ち壊すような形で、本当に、ナチス・ドイツのやり方と、ほとんど同じで、日本は、どんどん戦争態勢に流れ込まされようとしている。

今の中東の、あの IS( アイ・エス、イスラム国)という、奇妙な集団の突如の出現(去年2014年6月10日に北イラクに出現)も、すべて極悪人どもによって計画されたものだ。こういう新たな戦争を、次々に謀略で作り出すことによって、同じアラブ人(アラビア人)どうしを、戦わせ、殺し合いをさせるのだ。

「アラブ人どうし戦わず。戦争だけはしてはいけない。アラブ人として団結しなければいけない」という、 大きな真実にハッと気付いて、大きな真実を、こうして公然と書いて、暴き立てるのは、私、副島隆彦だけではないか。この国に、他に誰がいるか。 この私よりも大きな枠組みに中の、世界基準の真実が言える者がいたら、私は、すぐにその人と話し合う。そして、どんどん団結してゆく。

私は、1915年の エーゲ海のダーダネルス海峡での、トルコのガリポリ戦争のことも不思議に思っている。 このあと、1年後に、トルコ軍は精鋭が、アラビア半島のメッカ、メジナの方に回ってきて、反乱を始めたアラブ人たちとの戦いに入ったのだ。

1915年のガリポリ戦争では、英と仏の両軍の 連合軍を相手に、トルコ軍の司令官だった、 ムスタファ・ケマルが、散々に打ち破って大勝した。そして、この軍人ムスタファ・ケマル・パシャ が、トルコ人の英雄として、のちにケマル・アタチュルクとなって世俗化(イスラム教を国家体制から捨てて)した新国家としてのトルコを作った。


ケマル・アタチュルク(Mustafa Kemal Atatürk , 1881?-1938)

この「青年トルコ党( Young Turks ヤング・タークス)」という名の秘密結社から出てきたケマル・アタチュルクの背後に何がいたのか。世界中の各国に作られた、「青年〇〇党」というのは、すべてアメリカが工作したものだ。今の「アラブの春」と全く同じだ。


青年トルコ党

1915年という オスマン・トルコ帝国がボロボロに崩れ去ろうとした時代に、どうして、どうして、イギリスとフランスの両大国の、大軍団の、大艦隊まで後ろに控えていたガリポリの戦いで、トルコ軍が勝ったのか。おかしいのだ。 だから、背後に、アメリカからの軍事物資と資金の援助があったのだ。 私は、今、その証拠を調べようとして歴史書を集めている。

FRB(米連邦準備制度理事会)が、米議会の大反対を押し切って謀略で作られた1912年の、その翌年の1913年から、世界の覇権(ヘジェモニー)は、イギリス帝国から、アメリカ帝国(ロックフェラー家。大統領たちも、この財閥が選ぶようになった)に移ったのだ。この理論は、私、副島隆彦が、20年前から唱え始めた「世界覇権の移転」の理論の、その証明作業の一環(いっかん)となる。

このケマル・アタチュルクは、1917年には、トルコ軍の第七軍の司令官として、パレスチナあたりで、アレンビー将軍(英国のアラブ派遣軍の総司令官)の英軍と対峙して、そして、1918年の10月1日の、アラブ軍のダマスカス(陥落)入城の前後に、急いで退却して、トルコ領内に撤収している。

トルコのケマル・アタチュルクの、脱イスラム教の世俗化(セキュラー)政策で、トルコは西欧化した国になったと、私たちは習った。しかし、私、副島隆彦は、鋭く注目して知っているが、今から、5年ぐらい前に、エルドアン首相(今は大統領)は、トルコ軍の将軍たち100名ぐらいを、捕まえて、裁判にかけて、「政府にクーデターをかけようとした」として投獄した。

だから、今も近代主義者で反イスラムのケマル・アタチュルク主義の、西側(ザ・ウエスト、G7体制)寄りのトルコ人たちは、今の エルドアンの公正発展党(AKP)と対立している。 私は、4年前に、イスタンブール(昔のコンスタンチノープル)のモスクにひとつで、本当に真面目で頭の良さそうな、立派な感じのトルコ人たちが、たくさん礼拝に来ている様子を見た。


レジェップ・タイイップ・エルドアン(Recep Tayyip Erdoğan, 1954-)

女の人たちは、誠実な感じで、きちんと黒いスカーフをつけていた。この人たちが、エルドアン政権を支えているのだな、と分かった。

どこの国にも、真面目で知的で、しっかりとした人たちがいる。その人たちの考えを自分で直接、聞いて回ることで、その国の真実が分かる。その国の国民が本当に望んでいることがなんなのか、が分かる。しかし、おそらく、どこの国でも、そういう人たちは、暴力団のような体質の愚劣な人間たちによって、押さえつけられているのだろう。

私、副島隆彦は、今日は、このあと以下に、一本の ネット記事を載せる。この記事は、自民党政治家で、愛媛県選出の、村上誠一郎(むらかみせいいちろう)という人の発言だ。

今の自民党政治家で、村上誠一郎ほどの誠実な人は、他にはいない。私は、彼の心底からの、自分の気持ちを絞りだすようにして、今の安倍政権を批判している真剣な姿に、頭がさがる。村上誠一郎を 日本の首相にすることが出来るような国だったら、私たち国民が、こんなに苦しい、貧しい思いをしなくて済むのだ。


村上誠一郎衆議院議員

私は、村上誠一郎と、15年ぐらい前に話している。彼は、私に向かって、「そうだよ。副島さんの発表のとおりだよ」と、私の肩を持ってくれた。それは、2000年ぐらいの、夏の自民党の派閥の研修会が、軽井沢のホテルであって、私が講師として呼ばれて、そこで講演した時のことだ。

村上誠一郎は、そこに居並ぶ同じ派閥の政治家(国会議員たち)に向かって、堂々と、こういう感じで言った。

「ほら、ここに 4人、大臣になっている人がいる。この人たちは(と、村上は、自分の派閥の幹部たちを、本当に自分の指で指さしながら、怖気づく感じもなく)もう、あとのことはどうでもいいんだよ。もう歳だから、このあとこの国がどんなに苦しいことになってゆくか、知ったことじゃないんだ。なあ、副島さん。俺たちは、これからが大変なんだよ。日本は本当に苦しいことになるよ」と、村上誠一郎は言ったのだ。

私は、「村上先生。本当に、そのとおりです」と答えた。

村上誠一郎は、昭和27年(1952年)生まれだから、私よりもひとつ上だ。東大の法学部を出ている秀才で、お父さんの後を継いで、30代の若くから政治家だ。もう当選12回ぐらいの重鎮だ。 それなのに、制度改革の大臣を、ちょろっと一回やった切りで、ほとんど内閣に入っていない。

これほどの度量と、力量があって、政治家としても地元愛媛の人気もあって、それでも、ずっと、自民党内で冷や飯を食い続けた。そしてもう63歳だ。 きっと生き方下手な人なのだ。泥臭い現実政治(リアル・ポリティックス)をずっと生きてきたのだから、もっと脂(あぶら)ぎった鬼の顔になるなり、恐ろしい悪人(あくにん)面(づら)の顔つきになるなりしたはずなのに、そういう感じがない。

太ってはいる。二階俊博(にかいとしひろ)も太ってトドのようだ。 こういう正直で、国民思いのすばらしい政治家を、私たちは持っているのだ。 私が、先週、講演会で言った神奈川県横須賀から出ていた、田川誠一(たがわせいいち)も素晴らしい保守政治家だった。このような人格者の政治家たちこそは、私たちの日本国の宝物(たからもの)だ。


二階俊博衆議院議員(1939年‐、76歳)


田川誠一元衆議院議員(1918‐2009年)

村上誠一郎は、登壇して行った自分の発言の中で 日本にファシズムが近づいている、今度の安保法制で、アメリカの言いなりで、自衛隊は、世界の裏側まで連れてゆかれる、とはっきり言っている。私、副島隆彦も同感である。

私は、死ぬまでの間には、一回は、村上誠一郎に会いに行く。そして思う存分、話をしたい。

(転載貼り付け始め)

●「 「あまりに傲慢(ごうまん)」 自民・村上議員が「安保法制反対集会」で自民党執行部を批判(全文)」

2015年6月10日 弁護士ドットコム

http://www.bengo4.com/other/1146/1287/n_3220/

自民党の村上誠一郎(むらかみせいいちろう)衆院議員が6月10日、日弁連が主催した安保法制に反対する集会に出席し、自民党の執行部を「あまりに傲慢(ごうまん)」と批判した。


講演中の村上代議士

会場 には弁護士や野党議員ら190人が参加し、それぞれ安保法制に批判的な意見を述べていたが、集会の途中で、与党・自民党に所属する村上議員が姿を見せ、マイクを握ると大きなどよめきが起きた。

村上議員は6月9日の自民党総務会で、安保法制について「党議拘束を外(はず)すべきだ」と発言したところ、執行部の一人から「最高裁判決(砂川判決)を読ん だことがあるのか」と問われたという。そこで村上議員が「あなただけですよ、砂川判決が(集団的自衛権の)根拠だと言っているのは」と反論する と、「学者は、最高裁判決までおかしいというヤカラだから、話を聞く必要がない」と言われてしまったのだという。

村上議員はこうしたやり取りに激怒したとして、「学者がそろって違憲(いけん)だと言っているのに、自民党がそれを無視することは、あまりにも傲慢ではない か」と、強い口調で自らの所属する自民党を批判した。

「民主主義の危機にある」 集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更について、村上議員は「このことで突破口を開けば、たとえば主権在民や基本的人権に至るまで、時の政 府の恣意によって、実は憲法を曲げることができてしまう。たいへん民主主義の危機にあるということです」と警鐘を鳴らした。

そのうえで、「本当にこういうことを、党内でひとりで言うことは結構しんどいんです。ですから先生方、みなさん方も本当にこの問題の重要性にお気 づきであるわけですから、一人でも多くのみなさん方にその問題点を伝えていただきたい」と、集まった弁護士・国会議員、市民らに呼びかけていた。

● 村上誠一郎議員の発言全文は次の通り

ただいまご紹介にあずかりました村上誠一郎であります。

実は私は、そこにいらっしゃる山岸(良太・日弁連副会長)先生と、大学の同級生、同じクラスでした。

まさか、43年後に、こういう集会に出るとは、夢にも想像していませんでした。

正直申し上げます。私も自民党員です。本来ならば、こういう集会は、実はご遠慮申し上げようと思っていたんです。

だけど昨日の総務会で執行部とやりあって、これはもう困ったなあと。やはり本当のことを国民のみなさん方に知っていただくことが大事だと。

特に私は、柳澤先生(※集会で講演した元内閣官房副長官補の柳澤協二氏)に申し訳なく思っているんですが、昔の政治家は、柳澤さんのようなきちっとした議論をみんな聞く耳を持っていました。ところが昨今、やはりこれもマスコミの人に反省してほしいんですが、小選挙区になって、公認と比例 と、人事まで党幹部に握られてしまって、なかなか昔のように自分の考えていることが言いにくくなってしまいました。

もっと反省してほしいのは、特定秘密保護法のとき。28年前には(※1985年に国会提出されたいわゆる『スパイ防止法案』について)、大島(理 森 おおしま・ただもり)さんや谷垣 禎一(たにがき・さだかず)さんまでが「おかしい」と言って廃案にしたんです。ところが(2013年の特定秘密保護法については)、いちばん被害を受 けるというか、当事者であるマスコミの人たちが、最後の総務会で私が指摘するまで、誰も指摘しなくなった。

それからもう一つ、バッジを付けている先生方に反省してほしいのは、去年の公務員法の改正ですよ。私は最後まで反対した。なぜならば、600人の 人事を全部官邸に持っていった。こうなれば官僚諸君は、もう正論も本音も言わなくなるよ。私は最後まで総務会で抵抗したんですが、これも官邸の意 向ということで通ってしまった。案の定、それから、公務員は正論も本音も言わなくなりました。

もっと重要なのは、そのように外堀を埋められるために、今回の安保法制について、本来いちばんモノをいわなきゃいけない国会議員が、口を閉ざした ままになっている。

●6月9日の自民党総務会で

今回、まず昨日のことから申し上げますと、私が申し上げたのは、このような問題は、国会議員の政治的良心・使命に関わる問題であるから、党議拘束 を外すべきだと。

そしたらですね。ハッキリ言いますよ。あなたたちの先輩の、ある代議士が「お前は最高裁判決を読んだことがあるのか」と言ってきた。砂川判決を。

だから私は言った。「あなただけですよ、砂川判決が根拠だと言っているのは」。

そしたら何て言ったと思いますか?

「学者は、最高裁判決までおかしいというヤカラだから、話を聞く必要がない」と言ったんですよ。

それで、私は激怒したんです。3人のオーソリーな学者が違憲だと言っていることに対して、自民党がそれを無視するということは、あまりにも傲 慢ではないか。

●安保条約の時を思い出して

まさにこのような重要な問題を、本当に国民の皆さん方が、お一人お一人本当に理解なさっているのかと。

みなさん、思い出してください。

いまから55年前の、日米安保条約のときには、この国会の周りに十重二十重とみなさんが集まって、全国民、全マスコミ、全学者で喧々がくがくと議論しておりました。

いま、どうでしょうか。ハッキリ申し上げましょう。2年前に、私が「この問題は実は民主主義の根幹に関わる問題である」と。こんなことを天下の自 民党がやっていいのかと言ったときは、マスコミは無視したものでした。

私がどうしても、ここへ来てお話したくなったのは、今いちばん問題なのが「ダブル先生」ですよ。ダブル先生って分かりますか? 議員バッジと弁護士のバッジを付けている、その先生たちです。責任、大きいんですよ。

結論を言うと、議論して、つくづくおかしいと思うのは、弁護士の資格を持っているものですから、自分の言っていることが正しいんだと。他の学者さんや、他の普通の国会議員が言っていることは、とるに足らないんだ。そういうような、いまの状況であります。特に、執行部に、3人の先生がおります。言わないでも分かっていると思います。

結論は、もう簡単です。今日お集まりのみなさん方は、そうそうたるみなさんです。それぞれの国会議員や、多くのマスコミの方を知っていると思います。
我々が財政の危機を言っても、この憲法の危機を言っても、残念ながら門前の小僧でしかありません。説得力がありません。(弁護士の)先生方 が、お一人お一人の国会議員や、国民や、マスコミのみなさん方に説明していただきたい。

●「自民党は、いつからこんなに惻隠(そくいん)の情のない党になってしまったのか」

なぜ私が、あえてこのような場所に来たか。2つあるんですよ。

ひとつは、前から申し上げているように、もし憲法に書いていないことを、内閣の一部局である法制局が解釈で変えることができたら・・・。まあ、自 民党のある方(副島隆彦注記。麻生太郎のこと)が「ナチス憲法のマネをしろ」と言ったんですが、もちろんナチス憲法(というもの)はありません。戦前のドイツで、議会において、全権委任法を通して、民主的なワイマール憲法を葬り去ったという、一番悪しき例があるんです。

すなわち、このことで突破口を開けば、たとえば主権在民や基本的人権に至るまで、時の政府の恣意によって、実は憲法を曲げることができてしまう。 たいへん、民主主義の危機にあるということです。

それから、もう1点。来年から18歳の人たちが有権者になります。私は、次の世代が気の毒です。

このままでいけば、財政がおかしくなる、金融がおかしくなる、社会保障もおかしくなる。

そのうえ、地球の裏側まで(自衛隊が)行くことになる。

自民党は、いつからこんなに惻隠(そくいん)の情のない党になってしまったのか。

●「当たり前のことが、当たり前でなくなるときが一番あぶない」

実は私の父は、増原惠吉(ますはらけいきち、当時の防衛庁長官)さんと、吉田(茂、当時の首相)さんに頼まれて、警察予備隊(けいさつよびたい)を立ち上げた男です。一次防も二次防もやりました。

父が死ぬまで言っていたのは、防衛予算は少なくて済むなら少ないほうが良い。もう1点は、自衛隊の諸君の身の安全について、万全に期すべきだと 言って死にました。

私は、父の言ったことが自分の政治命題だと考えております。

この民主主義を守ることと、そしてまた、次の世代のために・・・。私は、みなさん方のお力を、なにとぞ、一人でも多くのみなさん方に、この問題が どこにあるのか(伝えていただきたい)。

特に、私は最後に、あえて言います。

私がいちばんいま危機を感じているのは、民主主義の危機、すなわちファシズムの危機であります。

私が大学のときに、ある先生が言っていました。「当たり前のことが、当たり前でなくなるときが一番あぶない」。

結論はどういうことかと言いますと、もしこういうことで突破されれば、次の世代は、アメリカの要求を断ることもできません。歯止めもありません。 そういう中で、こういうような非常に不完全な法制というものを、短期間で180度転換するようなことを、軽々としていいものだろうか。

最後に、もう本当にお願いします。弁護士の先生方。我々では説得する力がありません。自民党には、まともな大学で憲法を学んだ人が数います。そう いう人たちひとり一人に説得していただきたい。

そして、一番重要なのは、国民の皆さん方に、この法案ならびにいままでの手法が、どこに大きな間違いがあるかということを、やはり一人でも多くの みなさん方に伝えていただきたい。以上であります。

●「国民が絶対自分のこととして考えなければいけないこと」

不肖・村上誠一郎が、ただでさえやせ細った身体で(副島隆彦注記。ここは、村上の自虐のジョーク)、国会に来て必死にお願いをしたのは、(自分の大学の)後輩である(福島)瑞穂(ふくしまみずほ、社民党前党首)先生が、体重では負けないだろうからというんですが・・・。本当にこういうことを、党内でひとりで言うことは結構しんどいんです。

ですから、先生方、みなさん方も、本当にこの問題の重要性にお気づきであるわけですから、一人でも多くのみなさん方に、その問題点を伝えていただ いて、国民お一人お一人が、自分が現憲法とどのように立ち向かうのかということを、ご理解いただけることを、切に切にお願い申し上げまして、簡単 ではございますが・・・。今日は応援演説ではないんですよ。

言っておきますけど、これは絶対ね、国民が、自分のこととして考えなければいけないことです。そしてまた、自分自身のこととして判断すべきことで あって、一部の国会議員で決められることではないということです。よろしくお願いします。 (了)

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝