[1794]天武天皇の正統性について

守谷健二 投稿日:2015/06/12 13:53

   天武天皇の正統性を否定している皇后(持統天皇)

 『懐風藻』は、天平勝宝三年(西暦751)に上梓されている。これは東大寺大仏の開眼供養の前年です。天武天皇の直系の子孫が皇位にあった王朝で上梓されている。
 その『懐風藻』葛野王伝は次のように記す。なお葛野王は、父が「壬申の乱」で滅ぼされた大友皇子(明治に追号された弘文天皇)、母は十市内親王で天武天皇と、万葉歌人で有名な額田王(ぬかたのおおきみ)の間に生まれています。葛野王こそが本来皇位を継ぐべきお方です。

『懐風藻』葛野王伝より(抄訳)
・・・持統十年七月、高市皇子(天武・持統朝の真の主宰者)が突然亡くなった。肝心な日嗣の事を何も決めていなかった。それで持統天皇は皇族並びに主な公卿を宮中に集め、日嗣に誰を立てるか諮問した。弓削皇子(天武の子)等が皇位に未練を示し、会議は紛糾した。そこで葛野王が進み出て、「我が国の法では、天位は、神代より子孫が相続すると決まっている。もし兄弟相続するようなことがあれば、そこから乱が生ずるのである。日嗣の人事は、天の心を聞けばおのずから決まっていよう。誰か異を唱える者があろう。」と述べた。
 葛野王の一言で日嗣は、皇太子であった草壁皇子の遺児・軽皇子に決まった。持統天皇は、葛野王の言を大いに喜び、正四位の位を与え、式部卿に任命した。

 守谷健二です。おかしいと思いませんか。天武天皇を『日本書紀』は、天智天皇の「同母の弟」と明記しています。
 しかし葛野王は、乱は兄弟相続に起こる、と言い、持統天皇もその意見に同調している。天武天皇は、持統天皇の夫です。夫の正統性を否定しているのです。『懐風藻』は、天平勝宝三年に上梓されて、禁書にも焚書にもされることなく現代に伝えられてきた書です。天武天皇直系の王朝の中で上梓されたのです。