[1761]時計から見るイスラーム思想史②定時法と不定時法、及びキリスト教『ヨハネ福音書について』

松村享 投稿日:2015/03/13 03:14

松村享(まつむらきょう)です。
今日は、2015/03/13です。
『時計から見るイスラーム思想史』と題して、投稿させていただいております。

前回は序文でした。

今回は2回目の投稿です。
時間についての説明と、キリスト教『ヨハネ福音書』について、投稿します。

○定時法と不定時法、及びキリスト教『ヨハネ福音書』について

 ここで『定時法』と『不定時法』について説明する。

 参照テキストは
『時計の社会史』(角山栄著 中公新書 1984年 )と
『中世の産業革命』(ジャン・ギャンペル著 岩波書店 1978年)の二つである。

 『時間』は永遠であり、Godに属するものだった。だから伝統的に『不定時法』で、時を測っていた。
 
 『不定時法』とは、なにか。
  陽の出ている時間を、12で割るのだ。だが陽の出ている時間は、季節によって、あるいは地域によって異なる。
 それを12で割るのだから、1時間の長さが、季節によって、地域によってバラバラだ。
30分だったり80分だったりする。

 農業が基盤の社会であれば、太陽光が重要なわけだから『不定時法』の方が都合が良い。陽の光はGodの恩寵、というのが、生活の実感である。恩寵にあわせて生活していた、ということだ。

 別に農業でなくとも、普通に生活していれば、むしろこちらの方が、人間の自然には適合しているかもしれない。
 
 たとえば、私が高校生の頃、毎朝行われる0時限目の授業は、強制参加だった。冬場など、まにあうためには暗いうちに家を出なければならない。

 私は『こんなの自然に反している』と考えていた。考えていた、というより、性にあわなかった。嫌だったのだ。それで、だいたい遅刻して登校した。陽のあたる道を、もはや時間など気にせず歩くのが、好きだった。朝焼けの空や、2月の少女の白い吐息など、私は詩を練りながら一人、ぶらぶら歩いていた。

 皆が定時法にしたがって授業に参加しているところ、私は不定時法の観念で、ぶらぶらしていたのだ。
 だから、定時法とは、1日を厳密に24で分けることである。

 季節が変わろうが、陽が出てようがいまいが、6時40分は、6時40分である。
『陽の光はGodの恩寵』などと悠長なことを言っていれば、電車に乗り遅れてしまう。

 目の前の『陽のあたっている現実』ではなく、その裏に隠された自然の法則を学びとり、生活に利用する。これは『抽象する』ということだ。

 『抽象』して自然の法則を、見つけ出す。現実ではなく、抽象を生活に利用する。
 これが、定時法である。

 地球の自転(定時法)など、私は『現実』として見たことはない。ただ『抽象』された数字、時計の数字として、知っているだけである。

 目の前の現実よりも、頭脳活動たる『抽象』を優先する態度が、キリスト教には初めからある。

 目の前の現実よりも、抽象する人間の能力、これがGodと密接につながっているのだ、現実や肉体は汚らしい、原罪にまみれている、抽象とか精神とかが重要だ、という思想伝統が、キリスト教には最初から埋めこまれている。
 
 新約4つの福音書の1つ、ヨハネ福音書は『はじめにロゴスあり』から始まる。この宣言は、キリスト教圏=ヨーロッパを理解するうえで、非常に重要である。『はじめに現実がある』とは、決していわないのである。

 ウェブページ『イエスの実像:聖書とキリスト教と宗教』の、臨夜海馬(イザヤ・トド)という方によれば、ヨハネ福音書は4つの福音書のうち、いちばん最後に書かれたものであり、先行する3つの福音書と比べ、神学理論が高度であることに特徴がある、とのことだ。

 どうやら、ユダヤが覇権国ローマに滅ぼされた後(ユダヤ戦争 西暦66年~74年)、寄り集まった異端のユダヤ人共同体が、ヨハネ福音書の原点らしい。

 そしてフリードリヒ・ニーチェ(1844~1900)が、このヨハネ福音書に激しい攻撃を仕掛けている。なお、ニーチェにいわせれば、キリスト教もユダヤ教も同じものである。

引用はじめーーーーー『道徳の系譜』p56~57(ニーチェ著 岩波書店 1940年)

ユダヤ人はローマに対して何を感じたか。
諸君はそれを殆ど無数の兆候から察知することができる。

しかしそれには『ヨハネの黙示録』を、あの本心に復讐を蔵するあらゆる書き誌された爆発のうちで最も乱脈な爆発をもう一度思い返してみるだけで十分であろう。

(なお諸君は、ほかならぬこの憎悪の書の標題に愛の使徒の名を冠し、
あの惚れ込んで夢中になった福音をこの使徒に帰したキリスト教的本能の持つ論理の深慮遠謀を見縊(くび)ってはならないー。

いかに多くの文献的贋造がこの目的のために必要とされたにしても、そのうちにはなお一片の真理が潜んでいるのだからだ。)

ーーーーー引用終わり

 読みづらい翻訳ではあるが、まとめると、抽象の優位を強調する『はじめにロゴスあり』は、弱者(ユダヤ)による強者(ローマ)への対抗手段である、ということだろう。

 だからユダヤ人は、学問をなにより大事にしてきた。頭を使わないと、すぐに周辺民族に殺されそうになるのが、ユダヤ人の歴史である。

 この思想伝統に帰っていったのが、近代のキリスト教・プロテスタントだというのが、重要な理解だ。

 ニーチェと同じく、ヴェルナー・ゾンバルト(1863~1941)もまた、プロテスタントとユダヤ教は同じものだと主張した。近代において生まれたプロテスタントは、腐敗極まりないカトリックに反旗を翻し『はじめにロゴスあり』に帰っていったのだ。その延長上が我々の21世紀といえる。

 『はじめにロゴスあり』の行き着いた最果てが『ratio:合理』である。
 このようなユーラシア大陸の、生存を賭けた切実さをわからなければ、近代ヨーロッパ人の思考が、我々にはわからない。だが、この切実さほど、我々日本人にとって、わかりづらいものもない。『ratio:合理』も、ただの言葉、知識として通り過ぎてゆく。『ratio:合理』とは、生存を賭けた者の切実さであり、恐ろしさである。

 そしてイスラームにおいて、天才数学者アル・フワーリズミー(780?~845?)が、この思想伝統を受け継いでゆく。(続)

松村享拝