[1743]天武天皇の正統性について

守谷健二 投稿日:2015/01/26 14:33

 天武天皇の正統性の喪失

 現代の日本人は、何の躊躇いもなく「壬申の乱」と呼んでいる。「乱」と言うのは「世を乱す、秩序を破ること」で負の行為、悪事である。
 日本の最初の正史である『日本書紀』は、わずか一ヶ月に過ぎない大海人皇子(天武天皇)の決起に始まるこの内戦(壬申の乱)にわざわざ一巻を立て天武天皇の正統性を高らかに主張し、天武軍の兵士たちを顕彰している。『日本書紀』を聖典とする立場からは、天武の決起を「乱」と云う事は許されないはずである。しかし、我々は何の躊躇いもなく「壬申の乱」と呼んでいる。
 文献に最初に「壬申の乱」の文字が現れるのは、天平宝字三年(西暦751年)に上梓された『懐風藻』の大友皇子伝にである。天平三年と言うのは東大寺大仏開眼供養の在った年の前年である。
 大友皇子は「壬申の年の乱に遇い天命を遂げず」と明記する。『懐風藻』は、天武天皇の正統性を真っ向から否定している。つまり『日本書紀』の歴史は「偽り」であると言っているのだ。天武の行為を「壬申の乱」と呼ぶことは、これ以降定着し現代に受け継がれている。
 前にも書いたが、奈良時代末期天武の血は、皇位から強制的に排除され、天武の血の混じらない後胤(光仁天皇)が擁立され、その皇子桓武天皇によって平安時代が開かれている。奈良王朝と平安王朝は、違う王朝である。平安の王朝には「偽りの歴史(日本書紀)」を正す環境が整っていたはずだ。「偽り」を正すべきであった。しかし、「偽りの歴史」と承知しながら『日本書紀』をそのまま受け継いだのである。
 ご承知のように、中国の政治思想の根幹にあるのは「革命(天道)は、是か非か」との問い掛けである。何故なら、革命は、臣下が主君を討つ行為である。秩序の根本理念である「忠」に反する行為である。どうして臣下が主君を討つことが許されるのか。この問い掛けに、儒教は「徳」で答えた。徳を失った君主は、王権を失っても仕方ないと。孟子は、徳を失った王は討ち滅ぶすべきだ、と革命を積極的に評価した。
 一方天武の創った『日本書紀』の歴史は、革命の概念を完全に除去したものであった。権力者(王朝)が最も忌み嫌うのは「革命」である。平安の王朝は『日本書紀』の歴史はインチキであると承知しながら受け継いだのである。
 何たる怠慢、精神的荒廃、堕落、こんなことで歴史に対する尊敬など生まれるはずがない。日本では歴史などどうでもいい国になったのである。