[1495]柿本人麻呂の正体を暴くⅧ

守谷健二 投稿日:2013/12/23 20:24

 鎮魂の旅を続ける人麻呂

 「吉備の津の采女の死(みまか)りし時、柿本朝臣人麻呂の作る歌(217~219)」の次に配置されるのが「讃岐の狭岑(さみね)の島に、石の中に死れる人を視て、柿本朝臣人麻呂の作れる歌(220~22)」である。  

  ***をちこちの島は多けど 名くはし狭岑の島の荒磯面(ありそも)に いほりて見れば
  波の音(と)の繁き浜辺を 敷きたへの枕になして 自伏(ころふ)す君が
  家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉鉾の道だに知らず
  おぼぼしく 待ちか恋ふらむ 愛(は)しき妻らは (220)

 必死に捜索したが、妻の遺骸さえ見つけ出せなかった人麻呂である。狭岑島の荒磯に横たわる死骸に、何処で果てたかしれない妻の面影が重なるのであった。「家知らば 行きて告げけむ 妻知らば 来も問はましを 玉鉾の道だに知らず おぼぼしく 待ちか恋ふらむ 愛(は)しき妻らは」
 ここでも死者の無念を思い、残された者への深い同情、強い共感を歌い上げている。故にこの歌も妻に捧げたレクイエムである。深く傷ついた人麻呂は、苦しく長い懺悔の旅を続けねばならなかった。
 この歌の直後に置かれているのが「柿本朝臣人麻呂、石見国に在りて臨死(みまか)らむとする時、自ら傷みて作る歌(223)」である。

  鴨山の 岩根し枕ける われをかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ

 人麻呂辞世歌として、あまりにも有名な一首である。あれ!と不思議に思った、死に臨んだ人麻呂が語り掛けている妹とは、いったい何者だろうか、と。
何故なら、この直前まで、失踪し、何処で果てたかしれない妻にレクエイムを捧げていた。その流れで考えれば、人麻呂が語り掛けているのは、あの世の妻と云う事ではないか。この世で生きている人麻呂が、あの世の妻に語り掛けている。
「鴨山の岩根を枕に旅を続けている私を、そうとも知らずに、今来るかと待ち続けているのでしょうね」と。
 それならば、次の「柿本朝臣人麻呂の死りし時、妻依羅娘子(よさみのおとめ)の作る歌二首」の妻とは、あの世の妻と云う事ではないか。あの世の妻の情(こころ)に擬(なずら)へて作る歌、と云う事だ。

  今日今日と わが待つ君は 石川の 貝に(或云、谷に)交りて ありといはずやも

  斎藤茂吉翁は、「石川の貝に」の注記にある(或は云う、谷に)とあるのを重視し、「貝」は「峡(かひ)」であるとして、石見国の山間部に人麻呂終焉の地を求めたのであった。
 しかし、この日本では「貝」と「谷」とくれば「女性を指す隠語」と決まっている。四周を海で囲まれた日本では「貝」は、縄文時代以来最も安定して手に入れることが出来る食糧であった。貝は、日本民族に親しい存在であった。つまり「石川の貝」とは、「石川の娘さん、石川郎女」と云う事だ。
 「今日来るか、今日来るか、と私が待っている貴方は、石川の郎女とよろしくやっている、と言うではありませんか」と云う事になる。
 長い苦悩の旅の末、人麻呂は石川郎女と出会い、その愛を得、結ばれていた、戸云う事ではないか。

  直(ただ)の逢ひは 逢かつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲はむ(225) 

 「直接お逢いすることは、到底出来ないでしょう。石川に炊事の煙りを立ち昇らせなさい、それを見ながらあなたのことをお偲びいたしましょう。」まるであの世の妻は、人麻呂を許し、新たな生活に祝福を与えているようではないか。
 皆さんはお気付きではないが、石川郎女とは『万葉集』の中心的ヒロインです。中心的ヒロインであるが、その素性は、秘密のベールで包まれ人麻呂同様謎めいている。ちなみに石川氏と言うのは、「壬申の乱」以前の蘇我氏だ。石川の郎女は、以前であれば「蘇我の娘さん」と云う事である。次回は石川郎女の正体を検証する。