[1426]日本書紀と天武の正統性の問題15
1415の続きです。
日本書紀の歴史は、壬申の乱が起点です。天武天皇を天智天皇の「実の弟(両親が同じ)」と規定したところが日本書紀の「原点」です。倭国の大皇弟・天武天皇を大和王朝の正統な後継者(天智の実弟)と挿入したことです。
「壬申の乱」は、明らかに王朝の乗っ取りでした。中国式に言えば、王家の姓が変わったことを意味する。正に革命と言うべき事件です。「革命は、是か非か」と言うのが中国思想の根源的命題一つです。臣下が主君を討つのが革命です。謀反です。忠義に反する行為です。本来赦される行為ではありません。しかし、主君が徳を失い、失政を重ね、民を苦しめるように為った場合のみ、最後の手段として、天は謀反を赦し革命を認める。と言うのが中国思想の命題です。
天智七年の時点で倭国は大和王朝の臣下に入っていました。大皇弟・大海人皇子は、天智天皇の臣下になっていた。当然大友皇子の臣下でもあったのです。
「壬申の乱」は、騙し討ちによる、一家臣(大海人皇子)の謀反です。お天道様に向い正々堂々と正義を主張できるような事件ではありませんでした。天武は何が何でも正統性を手に入れる必要があったのです。実際には天智よりも年上であったのに「実弟」と挿入した。「実弟」と挿入することで革命の概念を排除した。当然革命の無い歴史を作り上げなければならなかった。日本列島には開闢以来大和王朝しか存在しなかった、という歴史にならざるを得なかった。すべては、天武は、天智の「実弟」であるに始まっている。どこが頭か、どこが尻尾かよくわからないのである。
日本書紀・天武紀、朱鳥元(686)年正月二日に次の記事がある。
大極殿に御(おはしま)して、宴(とよあかり)を諸王卿に賜ふ。この日に、詔して曰はく、「朕、王卿に問ふに、無端事(あとなしこと)を以てす。よりて対(こた)へて申すに実を得ば、必ず賜ふこと有らむ。」とのたまふ。
この記事の「無端事(あとなしこと)」が古来理解不能であった。なぞなぞの事だろうとか、多聞博覧を試すための種々の問い掛けだろうなどと言われてきた。しかし、今私は、天武の歴史は「壬申の乱」に起点を持つことを明らかにした。そうならば「無端事」と言うのは、天武が作らせていた歴史そのものを指しているのではないか。日本書紀の編者の造語力には侮れぬものがある。