[1225]第4回投稿(私の基本戦略[序文])の投稿遅延について

岡末雄(会員番号6720) 投稿日:2013/03/04 12:41

会員番号6720の岡 末雄です。
[1214]第3回目投稿で「私の基本戦略―日本人民が日本国民となり、真に自由であることを追求していくために」の序文の投稿を予告しておりましたが、3週間余を経過した現在でも脱稿に至っておりません。私が長年在籍した地方公務員の世界でも、事案によりましては許されざる咎です。ましてや、多士済々の学問道場の会員の皆様の心中におかれましては。
 今回は3つのやんぬるかなの言い訳をもって、会員の皆様に対する「私の基本戦略」序文投稿遅延の弁明といたしたいと思います。

言い訳その1
 平成22年3月末日をもって福岡県職員を定年退職し、公的年金満額支給の65歳を限りとする再任用職員(一兵卒)の職にありましたが、故あって2年2か月を残し、この2月8日辞表を叩き付けました。(叩き付けると言っても、もはや若造ではありませんから徐に丁重に職を辞しました。驚いた管理職の上役は、当然のごとく上役預かりとされましたが、一日たりとも出勤する気はありません。故ありの退職ですから。
 翌2月9日から晴れて“毎日が日曜日”の身分となり、昨年3月10日発表の維新八策に対抗すべく、「私の基本戦略」(当然ながら維新八策を多くにおいて拒否するものです。)として、事に触れ折に触れて考察して来た提言を、「重たい掲示板」に投稿することを決意し、満を持して2月13日に第1回目を投稿した次第です。
 辞表提出とその余勢を駆って投稿を開始したものの、ハッと虚空を見上げると、己には妻と身体障害者の娘と孫娘を食べさせて行く義務があることに再びハッと気付きました。急遽再就職口を探した結果、私でも務まりそうな職がありましたので、早速応募したところ、選考試験に論文(作文)がありました。合否はともかく論文で人後に落ちては沽券に拘わると思い、受験勉強を開始しました。
 これが、投稿遅延の第1の言い訳です。

言い訳その2
 投稿する以上、何かepochmakingな発表をして注目を浴びることが得策と考えていたところ、次の重大事に気付きました。すなはち、2015年が終戦70年、2045年が終戦100年!
よって、「私の基本戦略」の発射台は2015年8月15日、設定目標年を2045年末と決めました。投稿遅れを棚に上げて、急がずともよいとする私の勝手な言い訳ではあります。

言い訳その3
 2月13日に、初めての投稿・第2回目投稿・第3回目投稿をしたところ、ある会員の方から2月15日に返信メールを頂きました。その方とは、現在も(現在と言ってもまだ2週間余ですが)間断なくメール交換をさせて頂いております。その方のメール内容に幾度となく眼を通していると、私の中に重大なかつ思いもよらなかった心境の変化というよりも心境の激変が生じました。[1211]初めての投稿で触れて置きましたが、天上天下唯我独尊・天の邪鬼を自他共に認めてきた私に、次のような疑問が湧いて来たのです。「序文に限らず現在考えている戦略23策について、原稿を提示し忌憚のない意見を貰って、意見調整・修正加筆のうえで投稿すべきではないか!」と。
己の信念に自信あり、余人の意見聴くに足らずと実践してきた私には、まさに驚天動地の心境でした。その方の承諾を得ましたので、今後、かかる重要な検討作業が加わります
 投稿遅延の3っ目にして決定的な理由(言い訳)です。

 未だ全容を明らかにしていませんが、「私の基本戦略」は、苦悩・苦悶・苦闘して来た60年余の私の信念・信条の集大成となるものです。
 副島先生の著書「The road to hell is paved with good intentions」との出会い以後、先生の山よりも高く海よりも深い造詣に接し、多くを学ばせて頂いたことが、その根底に有ることは論を待ちません。
同時に、素晴らしい博学多識の方の協力を得て、揺るぎない戦略に仕上がることを確信しています。
 因みに、「私の基本戦略」は、昨年7月5日付け日本経済新聞電子版にあった「維新八策」改訂案(衆議員選挙用にと、あちらからこちらからと政策を切り取ってきて、まるで山羊の小便のようにダラダラダラと総花的に美辞麗句を並べたもの・・維新の会支持者の方、ごめんなさい。)とは、ひと味違うスッキリしたものとなるでしょう。

 平成25年3月4日 早朝東雲の時刻  岡末雄 拝