[1219]福島本部活動日誌です113

吉見 おさむ 投稿日:2013/02/16 01:51

以下に、MLに投稿した内容を転載します。

(転載始め)

2012年12月24日~26日の日誌です。
(ほぼ福島関係有りませんが、書きます。こんなにも難産だったのは、初めてです。)

24日は、疲労で二人とも正午前まで寝てしまいました。

午後1時、外に昼食に行きました。


ここら辺でストラスブールの店の料理の事が、大体わかりました。
私には量が多く、決して安くはなく、塩気が足りない・・・というよりは日本の料理の方が塩分を使いすぎ、なのだと思います。
ドイツとの国境にあるからか、兎に角、量がありました。特に、肉とチーズやクリーム等の結構重いものが多かったです。
はっきり言って、ストラスブールの人、食べ過ぎです。(パリなんかは、また違って、美味しいけど少ないらしいですが・・・)
隣の席に、巨体の女の人が二人で、ずーっと食べていましたが、周りの人もこの人たちのような状態にいつかなるんじゃないかと心配してしまいます。
価格は、二人で7000円位でした。日本の観光地ならば、もう一寸低く抑えられる筈です。
(築地で寿司屋に行って、一人3500円位だと考えれば、適正かもしれませんが。)
誰かのサイトで、この10年のヨーロッパの物価上昇について言及している人がいましたが、私にとっては、最初のヨーロッパなので比較しようがありませんでした。何れにしても、お金が日本よりもずっとかかる印象でした。
(私が覚えているのは、1991年の深圳が、舗装道路が一本もなく、軽犯罪者を押し込んでいた牢屋の人が、賄賂として紙幣一枚を格子越しに押し付けようとするのを無視する光景です。
それと、深圳は1000円のチップで、普通の労働者の月収に相当していたことです。他のことは、日本の田舎との類推しか出来ないので、よくわかりません・・・。)
(Zさんによると、ヨーロッパだと、金がないと本当に人間扱いされないそうです。)
味付けは、マスタードやオリーブオイル、香草、香辛料、等でなされていて、塩控え目でした。
どこの店も化学調味料がほぼ無かったのが嬉しいです。(人によっては、パンチが足りないなんて言うんでしょうけど・・・こっちのほうが地味に美味しいと思います。)

食後、クリスマスミサまでストラスブールの街を歩きました。

中華料理の店と日本料理の店が並んでいました。
実際は台湾あたりの人のやっている店のようでした。

Zさんは自宅に帰った後、自分のブログに「日中友好」という文字と共に、同様の写真を上げていました。
(今は、Zさんの為に、紛争が起きて欲しくないものです。
例のゲームのセリフを借りれば
「せっかくここまで引っ張ったんだから、どうせなら、このまま綺麗な物語のまま突っ走って、完結させて欲しい」
ということです。)

入りはしなかったのですが、マルコ・ポーロというレストランがありました。

例のゲームのシナリオを書いた人の同人小説の中に、「丸子 望楼」という、「東方見 聞録」をインスパイ『ヤ』したキャラが出ていた事を思い出しました。

全く、丸子望楼氏のお陰で、黒と白の争いをする羽目になってしまい、挙句にストラスブール巡礼をする事になるとは・・・、とんでもなく酷い人です・・・。
(↑満面の、下卑た狂信者の顔で。なお、ネタがわかる人は余りいないと思いますので、どうか読み飛ばして下さい。)

ショッピングモールの中にトイザラスが入っていました。同じショッピングモールに、もう一店ゲーム関連の店がありました。
もちろんトイザラスには、ゲームソフトや玩具が置いてありました。

ベイブレードやWWEのフィギュアなど、色んなコンテンツがありました。
http://4.bp.blogspot.com/-Z2tPbsSRwe0/URwVk68z5mI/AAAAAAAACgI/qDcVPXH5NuI/s1600/P1110608.JPG
http://1.bp.blogspot.com/-3mVI_Du68dY/URwVk5NkMmI/AAAAAAAACgM/2ur3uJyT9RI/s1600/P1110607.JPG
http://4.bp.blogspot.com/-RUj0NI32snw/URwVkb5Q-jI/AAAAAAAACgE/JKJV-fYZ3eQ/s1600/P1110606.JPG
少なくとも、フランスの店の中では、綺麗に商品を陳列してありました。
秋葉原よりも、ずっとゆったりと商品が置いてあり、これはこれで良いことだと思います。
ただ、仕方ないことなのかもしれませんが、日本より、商品の価格が高いです・・・。
ひょっとしたら、こういった場所で任天堂等の企業は、美国や法国の企業と、知らず知らずのうちにソフトパワーによる文化的な国際間戦争を行っていたのかもしれない、・・・などと考えるのは大袈裟に過ぎるでしょうか・・・。
もしも、このトイザラスにあるゲームなどで楽しんだ人たちの中から、10年後くらいにps3とエロゲの古典の一つとして、私たちがやったゲームをプレイしてくれる人がいたら、そしてこの街が舞台として取り上げられたのだと知ってくれる人がいたら、まして、2012年だけで舞台探訪をした人間が最低でも6人いるのだと知ってくれたら、・・・そんな行き着き果てた狂いかけのファンの一人として、望外の悦びです。
Zさんと、二人で「絶対にありえない未来だけど、18禁ゲームが、もう少し人口に膾炙した世界があったらね・・・」なんて話していました。
きっと、裏で澱んだ輝きをしているのが、本当は良い事ではあると、頭では理解はしているのですが、・・・まあ、心情的なものです・・・。
18禁ゲームが、いい意味(?)で陽の目を見るのは、アニメ化、一般ゲームへの移植、漫画版アンソロジー発売、くらいしかないですので。
どちらかといえば、悪い意味で陽の目を見る事が多いです。177問題とか、沙織事件(別名、フェアリーテール・ジャスト事件)とか、レイプレイ問題とか・・・。
なお、例のゲームのライターさんの同人小説に出てくる丸子望楼氏という漢は、作品中で、○織事件を無意識のうちに裏から操り、ヒロインを京都の未成年の代わりに補導させた真の黒幕として、「時空のデーモン めもらるクーク ○織事件」に出てきますので、・・・興味のある奇特な方以外は読まれない方がいいと思います・・・・・・。
(↑ネタわかる人は余りいないと思いますので、どうか読み飛ばして下さい。)
http://www.suruga-ya.jp/database/ZHORO9596.html

大聖堂前の売店を回って、時間を30分だけ潰しました。


写真の印象よりはずっと人が多かったです。

午後5時から、大聖堂でのクリスマスミサの一回目に出ました。
やっぱりZさんが「ジャポネ?」と声をかけられていました。
ゲームの舞台になったからここに今いる事をZさんが伝えると、ものすっごく微妙な顔をしていました。
http://youtu.be/VAD4MxLmVuo
http://youtu.be/Myw2e2dfCj4
http://youtu.be/itSuogguFUI

午後6時半、一度ホテルに戻り、この後のミサに備えました。
帰り道にはいっぱいの日本人観光客がいました。
レストランがなかなかやっていなくて、難儀しているようでした。

・・・実はツイッターでリアルタイムで知って後悔したのですが、ゲームのパッケージに写っているレストランは、42ユーロでクリスマス限定の特別メニューを出していました。
しかも、日本からの2人のゲーム巡礼者の方々が、それを食べていました。完敗です・・・。

午後11時、大聖堂でのクリスマスミサの二回目の開場に並びました。ものすごい人でした。


後ろの方に着席しました。
30分後、コンサートから始まり、前の方を見ては
「あそこらへんにヒロインの一人の母親が・・・」

「ヒロインの怪我がなければ、主人公と2人のメインヒロインはどんな行動を取ったんだろう」
と考えていました。
やっぱり脳内でゲーム関連のことばかり考えて、まともにミサに出ていませんでした。
もしもフランス語がわかったら、一生懸命ミサの内容に騙されようと頑張ったのかもしれません。
http://youtu.be/VAD4MxLmVuo
http://youtu.be/JbcZaxMiKkc
http://youtu.be/838NJCacYJY
http://youtu.be/XL4UcocNV9E
http://youtu.be/5KxsuuB0g4c

ミサの後、Zさんが、ゲームの曲を大聖堂近くで流していました。

・・・もう私たちには、何も怖いものはないです・・・、殆どヤケクソですが。

ホテルに帰って、Zさんのとっておきのアイスワインで乾杯しました。
絶対にやっておくべきエロゲを、6本ほど教えて貰いました。
ちなみに、まだやってません・・・。秋葉原へは遠いですので・・・。

25日、泥酔に近かったので、正午過ぎまで起きられませんでした。

午後1時40分、ゲームのパッケージに「kohkas」とある看板は、レストランのものなのですが、そこに食べに行きました。


伝統的なアルザス料理の店らしく、やっぱり肉を食べることになりました。
この時、「ゲームのあの絵のレストラン」だと認識できれば、人参の皮のような廃棄物でも食べられる狂信者の状態でした。
が、そんな変な補正をせずとも、とても美味しい料理でした。
ただし、返す返すも、地味な料理でもあります。

食べ終わった後、幸運にも二階の席だったので、窓からゲームのパッケージ絵の所を写真に撮りました。
自分で言うのもなんですが、この時の私、目が逝ってたはずです。

もう一度、ストラスブールの街中を適当に歩きました。

ある教会では、クリスマスにミサがあるようで、その予行演習をやっていました。

ゲームの舞台探訪とは関係がないのですが、欧州評議会の建物を見に行きました。

ヨーロッパの過去について、変わった展示の仕方をしていました。
↓の写真の様に、柱に展示してあり、妙に感心しました。


Zさんはここに2回ほど通訳の手伝いで来た事があるそうです。
外交官特権は、手荷物検査等がチェック無しになるなど、相当に凄いものだ、と言っていました。
一部の展示に大変面白い「英語」が書いてあって、爆笑しました。
こういう表記ミスも、いっそそのままにしてしまった方が、ひょっとしたら大らかで良いのかもしれません。冗談でなくそう思います。

路面電車で中心部に戻った後、午後8時から10時まで、大聖堂近くのレストランで、ストラスブール最後の食事をとりました。


肉、エスカルゴのパスタ、サラダ、ポテト、と、孤独のグルメという漫画の言葉で言えば
「ソースの味って男の子だよな」
と言いたくなるような、ジャンク一歩手前に思える食事でした。
ただ、肉を控えめにすれば、塩分も抑えてあるし、意外と健康的な食事になるんじゃないか、とも思います。
ちなみに、ここでズブロッカ(40度のウォッカ)飲みました。
・・・明日帰る人間のやる行動ではないので、くれぐれも反面教師にして下さい。

酔っ払ったまま、ホテルに帰って、風呂入って寝ました。

26日、午前8時に起き、帰る準備をしました。
午前9時40分、ホテルをチェックアウトし、ストラスブール駅に路面電車で向かいました。
ストラスブール駅で、最後の写真撮影をしました。




ストラスブール駅のプラットフォームでZさんと別れました。

(これからパリに電車で行って、新年を過ごすそうです。
「これで地元の人に案内して貰えるから、これからは安心だよ」と冗談を言っていました。
後日、三ツ星のレストランやエッフェル塔の写真を、Zさんはネット上に上げていました。
ただ、パリ滞在中に、近くで強盗事件があったらしく、「ストラスブールとは違っておっかね~」と言って、予定を早く切り上げてドイツに戻ったそうです。)

アンツハイム空港駅で電車を降り、空港で搭乗手続きをしました。
正午から1時間の飛行時間で、スキポール空港に着きました。
行きとは違い、乗り換えの時間が1時間しかないので、空港内を急いで移動しました。
そのせいで、カートのようなものに轢かれかけました。

成田行きの搭乗手続きを済ませ、席について、やっと落ち着けました。

隣の席の女の人が、イギリス在住の音楽関係の方で、結構話し込みました。
なかなか優れた人で、3時間くらい話していました。
その後、6時間は浅い眠りのままになってしまいました。
行きも帰りも、KLMは良かったです。
何よりも、KLMのスタッフ自身が基本リラックスしているのが、私にはとても好ましく思えました。
(↑一般の日本人の感覚っぽくない感想だとすれば、それはストラスブールの空気に染まったせいです。)

着陸の少し前、福島第一原発と福島第二原発と思われる建物を、ぼんやり眺めてみました。
白河やいわきの位置から類推して、それっぽい建物が確かにありました。
なお、Google Earthの福島第一原発近辺は、2011年の3月12日や3月19日に画像が取得されており、今見直すと、当時の状況が偲ばれる写真が所々にあります。

日本時間27日午前10時、成田空港に到着しました。

ストラスブールに行ったというより、Zさんと一緒に聖地巡礼をした、という方が正確になってしまいました。
実は日本もそうなのでしょうが、偉い人達は、私のような人間とは、スタート地点から大きく違いました。
スマートフォン複数とnexus等のタブレットを最低限のものとして所持し、中、日、英、徳語(※繁体字で記載)が話せて、食事のマナーもちゃんとしていて、人間的にも優れていました。
そして何より、「ああ、16色のゲームは、ホントいいよね」とも言っていました(←これ以上なく酷いオッサンホイホイです)。
最低限の中国語だけはやっていったのですが
「中国語は難しいし、どんなに頑張っても、私の日本語くらいにしか上手くならないから、私が変な日本語話して誤解された方がまし」
と笑っていました。

彼らの様な価値観が近い人たちとさえ、どうやって繋がっていったらいいのかわからないまま、もうすぐ通貨の差による優位性も無くなり、日本の絶対優位は「変態(※繁体字で表記)」(http://japanese.joins.com/article/544/147544.html)くらいしか残らない状況がまもなく来るのだな、と思うと、焦りを通り越し、諦めの気持ちになりました。
(Zさんは、次のサイトを証拠に挙げていました。
http://blog.livedoor.jp/geek/archives/51381786.html )

日中間での、一般にサブカルチャーと言われるもの関係は、この十年以上の積み上げが、2012年9月の一週間で駄目になったそうです。
あの時丁度、清華大学のアニメ・ゲームサークルの前ボスが、ご自分のなさってる会社の関係で日本にいらしてたのですが、一日中泣いていたそうです。
https://twitter.com/briansakana/status/247732087342374912
どこかの経済誌の評論にあったように、日中の関係改善にはあと20年くらいかかるのかな、と思います。
2008年からの私の経験も、もう余りできることは残っていないのかなと思います。
例のゲームの表現を借りれば「・・・・・・・・・私の冒険はここまで」となるのでしょうか。私は気づくのが5年遅かったです。
後は、Zさんに酔っ払って言ったように
「コンテンツは面白ければどの国の創作だって構わない」
のであり、ほんの少しだけ表現の自由が許されるようになれば(←本当は、これが一番むずかしいんでしょうが・・・)、そして資金の手当が付くようになれば(←なぜ中小エロゲメーカーが延期を繰り返すかといえば、銀行からの融資をまずは取り付けなければいけないので、最初に無理にでも計画をOHPで発表しなければならないから、と聞きました)、中国やインドネシアのコンテンツが、日本に来てくれるようになるのかな、と思います。
それが10年後なのか20年後なのか100年後なのかは、またどうやった手段で来るのかは、私にはわかりませんが、それまで待つのみです。
そしてその時は、日本を追い越していって欲しいです。
一言で言えば「後は若い人に任せて・・・」となります。既に私は旧世代に属するんだなぁ、としみじみ思いました。
ほんの少しでも彼らに追いつきたいので、いつかは軒轅剣(※繁体字で表記)3(http://baike.baidu.com/view/6443716.htm?fromId=1947578)をやって、「小ピピン、ブッヒィィィィ」と叫びたいです。
(↑ここで、14年前の古いゲームを持ち出すのは、更なる感覚の隔絶をもたらすような気がします・・・。同ジャンルなら日本の、戦国ランスや恋姫無双をやった方がいいのかもです。)
嗚~呼、15年前に今で言うネトウヨだったはずの私は、何の因果か、こんなにまで、考えが変わってしまいました。

(転載終わり)