[1209]「アジア人同士戦わず」の思想の系譜を探る(1)

田中進二郎 投稿日:2013/02/11 06:28

「アジア人同士戦わず」の思想の系譜を探る(1)
田中進二郎です。今日は副島先生の「アジア人同士戦わず」という思想がどのような、背景をもっているのか、という点について考えたことを述べさせていただきます。

尖閣諸島での日中衝突は、水鉄砲の掛け合い、あるいは放水の段階を超えて、レーザーを放つという危険な「戦争ごっこ」を演じています。水遊びから、「危険な火遊び」になっていくかもしれません。日本国民は無謀な太平洋戦争に突っ込んでいった1930年代、40年代のときよりも、戦略・戦術(strategy,/tactics)のない戦争に導かれていくのでしょうか?

長井大輔さんが「クラウゼヴィッツとイルミナティ」について書いていましたが、クラウゼヴィッツの名言(「戦争論」)に「戦略の誤りは戦術によって取り返すことはできない」というのがあります。企業活動の場合、「戦略を転換する」ことは可能でしょうが、一国家の運命が左右される「戦争」は「間違えたから、方針転換、軌道修正します。」などとはできないものである。もし戦争が起こってしまったら、現在の「大政翼賛会」政治家たちはジャパン・ハンドラーズの連中たちに、「どうか、戦争の指揮をとってください」とでもいうつもりだろうか。安倍政権や「維新の会」、そして「菅-野田」民主党ラインにいる政治家たちは、太平洋戦争(べつに大東亜戦争でもいいが)からいったい何を学んできたのだろうか。

「戦略の失敗は戦術ではとりかえせない」という、クラウゼヴィッツの言葉であるが、
戦略というのは英語でstrategyだ。一方、戦術はtacticsだ。何が違うか。Strategyは単数形でtacticsは複数形だ。だから国家戦略というのは、練りに練って生まれたものでなくてはならない。その結果出来上がったひとつの重要戦略を是が非でも遂行するためにたくさんの戦術が要請される。一大目的のために手段が必要になるのだ。当然のことだ。小学生でもわかることだ。だが、日本史をさかのぼると、戦略とよべるものが戦前日本にもない。国体についての思想や、論文についてはあった。だが結果としては、世界の支配者たちのいいようにあやつられ、だまされたのが、太平洋戦争の歴史ではないのか。

まあ1941年12月8日の真珠湾攻撃の当初から、「八百長」戦争であったわけで、フランクリン・D・ルーズベルトはハワイのパールハーバーに、太平洋艦隊を囮(おとり)として攻撃させる戦術(作戦)を用いた。また日本軍は日本軍で、太平洋艦隊を「奇襲」攻撃した後、第二次攻撃の命令を待っている航空隊に、「攻撃は終了、帰って来い」という命令を出している。
そのころ、ルーズベルト大統領はパーティーで婦人たちに、「もうすぐ、日本が攻撃してくるころだ。ハハハ」と笑みをうかべていた。
そして、その後にあの有名な“Remember  Pearlhabour”の演説となるのである。
(参考 「真珠湾の真実」(ルーズベルト欺瞞の日々)ロバート・スティネット著 文芸春秋 ほか この本は副島先生も「必読だ。」と著書で書かれている。)

以下先生の近著「ぶり返す世界恐慌と軍事衝突」より引用します。
(p66・67より引用開始)
フランクリン・ルーズベルトとチャーチルとスターリンの連合国側の3人の合意事項で戦後の世界体制が決められた。ヤルタ=ポツダム体制という。ヤルタ協定を土台にして、日本に降伏を勧告した「ポツダム宣言」を日本政府は受諾した。そして今の日本がある。誰も否定できない。
 
(p73・74より引用つづき)
「尖閣は日本の領土だ、固有の領土だ。昔からそうだ。古い地図もある。」と、日本人は感情的になって主張する。だが、それは相手との交渉がなければ決められないことである。何らかの合意がなければだめである。相手の意思を十分に聞こうともせずに一方的に主張するのは、おかしいを通り越して見苦しい。(中略)

中国人たちが「日本人は国際社会のルールを知らない。歴史の勉強ができていない」と主張しているのは、おそらくこのことだと思う。私たちは相手の意見を聞くために、中国政府の高官や言論人を、テレビ、新聞社が招いて、自分の考えを十分に言わせるべきなのだ。 
それをまったくやらせようとしない。(中略)

日本政府(外務省)も、これだけの争いになってようやくハッと気づいたようだ。だから実効支配というコトバを、もう積極的には使わない。国際社会(世界)に向かって、「尖閣は実効支配していますから」では説明にならない。居直っているとしか思われない。みっともないったらありゃしない、である。野田首相は、よくもまあ国連総会(昨年9月26日)で「国際社会の法と正義に訴える」といえたものだ。「国際社会」とは何かが、わかっていない。国際社会とは「戦後の世界体制」のことであり、「ヤルタ=ポツダム体制」のことなのだ。

だから何としても話し合いをして、日本の主張と中国の主張を戦わせながら、折り合いをつけなければならない。何があっても話し合いで決着するべきだ。この海域の共同管理、共同開発で折り合うべきだ。アジア人同士で、まただまされて、戦争をすることになったらどうするのだ。「アジア人同士戦わず」は、長年の私の血の叫びだ。
(引用終わり)

田中進二郎です。「アジア人同士戦わず」というコトバはシンプルで力強いと、初めて目にしたときから私はそう思っていた。これは副島先生の信条でもあり、戦略でもあり、宣言でもあるだろう。これは左翼が唱える「何がなんでも反戦平和」という絵空事と同列に扱ってはならないことはいうまでもない。次のようにも書かれている。

  -人類(人間)は、70年から80年に一度、どんな国でも必ず戦争をしている。これは歴史の法則であって、この運命から私たちも逃れられない。このように諦観(達観)すべきである。「戦争だけはするな」と、ずっと書いてきている私の考えと違うではないか、といわれてもかまわない。そのように努力することと、現実は違うのだ。このことをわかることもまた人生だ。-(同上書 p127より引用)

ベトナム戦争の北ベトナム爆撃に抗議したベ平連(正式名称 ベトナムに平和を!市民連合)のスローガンとは違う。余談ですが最近、ユースタス・マリンズ著の「世界権力構造の秘密」(太田龍、天童竺丸訳 日本文芸社)に、「ベトナムのホー・チミン(ベトナムの革命家)もOSS(CIAの前身組織)の工作員に育成された」と書かれているのをみて衝撃をうけた。「ホーおじさんよ、お前もか!」と叫んで倒れそうになりましたが。
これが真実なら、副島先生が言う「ターミネーターと戦う、人類の生き残りの戦闘部隊のリーダーはターミネーター」ということになってしまいますね。
また、この本にはレーニンをスイスのチューリッヒから特別列車に乗せてロシアに帰国させて、ロシア革命を引き起こさせたのは誰か、資金は誰が出したのかについても言及がありました。

石堂清倫(いしどう きよとも 1904~2001年)が97歳の高齢でなくなられるまえに
グラムシ・シンポジウムというのがあった。アントニオ・グラムシ(イタリア共産党の創設者のひとり ベニト・ムッソリーニのライヴァルだった。)研究家や社会思想家が石堂さんを囲み、グラムシ思想について研究の発表をするという会で、確か、ロマーノ・ヴルピッタ氏が開会の辞を述べていた。ヴルピッタ氏というのは「ムッソリーニ」(中公叢書)の著者で、昨年の六月に「今日のぼやき」(1310 広報ぼやき)で吉田祐二さんが紹介されたの
でご記憶の方も多いだろう。また石堂さんはまさにロシア革命からソ連邦崩壊までの社会主義の世界をずっと生きてきたような、日本の左翼知識人の元祖である。

だがその会で、「私は世界を支配している大きな覇権というのがあるということを知らなかった。」と言ったらしい。(どういう文脈でいったのかはさだかではないのだが、人生を総括(そうかつ)してそういったのだろうと、私は解釈している。)

理想に燃えて、社会主義に飛び込んでいった、世界中の活動家たちは大きくだまされていたのであろう。マリンズの前掲書を読んでいるとジキル島に集まって、アメリカに「連銀」
(FED)をつくった金融勢力が、もう片方の手でレーニンにソ連邦を作らせたのだなあ、という大仕掛けが少しずつ見えてきました。感慨深いので、また明日以降に続きを書こうと思います。今度はだまされなかった知識人たち(アジア人同士戦わず、の系譜)です。
田中進二郎拝