[1177]格差について今何が問われているのか

福田 博之 投稿日:2013/01/04 16:41

格差は必要だ。
競争が経済発展に有効だからだ。
しかし、格差の固定化は良くない。
努力しても無駄だという事になるからだ。
格差が拡大しすぎるのは良くない。
貧乏人が医者に診てもらえない世の中、
ホームレスがあちこちに見られる世の中、
治安や衛生を考えて、住みやすい世の中ではなくなるからだ。 

格差の是正は共産体制への移行を意味しない。
資本主義と自由主義の限界を補うだけだ。
中道・中庸、あまり極端すぎない政策の選択が望ましい。
We are the 99%運動は階級闘争である。
そういった意味では共産党員が離党して、
格差是正的なことをうたう党にすれば、
新たな第三極になりうるのではないか。 

今回の米国財政の崖回避法案の、
ブッシュ減税恒久化と富裕層への課税で落ち着いた事など、
採用された政策をみる事は、今後日本が米国の後を追い、
格差の拡大と固定化が進むとした場合の、
支持されやすい政策として参考になる。

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE90101T20130102?pageNumber=1&virtualBrandChannel=0  

私が政府に望む税金に対する考え方は以下の通り。 
①勝手に人の金を奪わない 
②余計な事はしない 
③ひとりで解決しない事には、みんながそれぞれ出せるお金をだしあって使う。

①②と③の両立は矛盾や各人考え方の違いを生じるとしても、
中道・中庸の考えで、妥協が必要な事もあると思う。

努力してどうにもならない事がある現実、
最初から与えられた条件が違う現実がある。
私はロックフェラー家に生まれたわけではない。
私は大学教授が専属の家庭教師であったわけではない。

格差の問題意識とは、
単に比較上位になりたいという人間の欲の問題なのであろうか。
わたしは自家用ジェットの購入を検討しているわけではない。
私はお隣さんよりも高い車に乗りたいわけではない。
私は友人よりも美味しいものを食べたいと言っているわけではない。

私が危惧するのは、現状の格差ではなく、
進行している格差の拡大と固定化である。
所得格差により、子供に与える教育格差が広がる。
現に学校教育以外の習い事をさせている親は多い。
努力したら報われるかもしれないが、努力の後押しと、
努力する場の確保で、既に差がつく。
学校教育は落ちこぼれをつくらない事を旗印に、
格差を固定化しているのではないか。
努力するものには努力できる機会が必要だ。
同じように努力しても、雇用機会が時代によって異なれば、
報われ方も異なる。
中途採用でキャリアアップを目指しやすい風土なのだろうか。
システムに組み込まれた社会人が、
再度教育を受け格差から抜け出す事が可能なのだろうか。
毎日の日当でその日その日の食べ物を確保する生活で、
機会が得られるのだろうか。
そうならないように、小さな頃から勉強すればよいと言っても、
教育格差の問題で、最初から機会の土俵が異なる場合もあるのではないか。 

そこで、教育は習いごとなどが不要となるぐらい出来るだけ機会は平等にし、
競争は激しくし、飛び級制度などで努力したもの、
能力のあるものは公正に格差がつく仕組みを目指すべきだ。
社会人でも教育を受けやすい機会をさらに増やすべきだ。 

そして、それでも機会の平等は得られない、不十分となるだろう。
努力しても不慮の事故などで望ましい結果にならない事もあるだろう。
それを救済する制度は必要だ。
社会保障や国民皆保険は問題を抱えていて不十分だとしても、
日本が世界に誇るべき制度だ。
TPPの推進などで保険に入れない人が、
たくさん発生するような国になる様な事態は防ぎたい。 

格差の問題は、なんでもかんでも平等という事ではなく、
機会の確保と救済の問題である。