[1161] 総選挙の結果(自民党の大勝、民主党の大敗)を受けて。私たちはこのあともしぶとく持久戦(じきゅうせん)です。 

副島隆彦 投稿日:2012/12/17 11:09

副島隆彦です。 今日は、2012年12月17日(月)です。

 昨日の衆議院議員選挙の投票結果が、今朝5時には確定した。結果は以下の通りだ。

(転載貼り付け始め)

〇 「 衆院選:全議席が確定 自公で325議席 民主は57議席 」
毎日新聞 2012年12月17日 05時22分 

 第46回衆院選は17日未明、各党の獲得議席数が確定した。自民党は小選挙区237、比例代表57の計294議席を獲得。民主党は小選挙区27、比例30の計57議席、日本維新の会は小選挙区14、比例40の計54議席、公明党が小選挙区9、比例22の計31議席、みんなの党が小選挙区4、比例14の計18議席、日本未来の党が小選挙区2、比例7の計9議席となった。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。このように 日本全国で自民党の勝利だった。294議席ということは、前回の 2009年8月末の 民主党躍進、大勝利の時民主党が307議席も取っているから、それが完全に逆転したことを示している。野田佳彦は、敗北を受けて、ただちに代表を辞任した。 

 というよりも、自分がアメリカの指図と命令で、急に解散・総選挙に踏み切ったことで、自分が、アメリカの操(あやつ)られ人間であることを自認している。予定通りとはいえ、こんな惨(みじ)めな役回りまでさせられることを、野田佳彦は、やれやれ終わったよ、という顔で全身で表していた。

 民主党は57議席にまで転落した。あとは、小沢一郎が育てたけれども、小沢一郎から離れた、岡田克也と細野剛志たちが、大幅に減ってしまった民主党として生き残りの仕事をして行かなければ済まない。 ここには、前原誠司や長島昭久(ながしまあきひさ)という、アメリカの軍事凶暴派のネオコンに育てられた者たちが残っているので、党内で、この50代の若手たちが、議論と抗争を繰り返すだろう。 

 全くもって古臭い顔をした 安倍晋三の政権が出来る。2007年9月に、官僚「オール霞が関」に苛(いじ)められて、首相命令に彼らがサボタージュで叛(そむ)いたので、大腸カタル(下痢)で政権を放り投げた安倍晋三が、また、やるのだという。

 大きな力が外国から掛かっているから、こういうことになるのだ。 それと、韓国発祥のおかしな宗教団体の力が、自民党の中にまでジワジワと再浸透していて、その流れの軍事凶暴路線に乗っている。これは日本を危険な、戦争の道に引きづりこむ動きだ。

 日本の政治は、全く変わることなく、「昔ながらの自民党政治」に戻ってしまった。

 これでは、公明党という宗教政党が31議席取って、合わせて324議席で、480議席の総数の3分の2を越すから、どんな法律でも(参議院の反対があっても)通すことが出来る、となったとしても、公明党自身が、党是である「憲法改正反対」の立場を維持する限り、連立政権はごたつく。

 その分を、54議席取った維新の会が、入れ替わって、補完することになる。ここでのゴタゴタが次の日本の政治の中心だ。 維新の会は、「統治機構(とうちきこう)の改革」というオブラートに包んでいるが、これは憲法改正のために自分たちは存在する、ということの表明だ。 

 私たちが、初めは支持した(鳩山由紀夫政権の8か月だけ)民主党政権の、その後の、党内での、アメリカと官僚たち「オール霞ヶ関」の言うことを聞くか、聞かないで、政治体制の改革(官僚主導政治の廃止)をするかで、揉め続けて、それでこの 3年3か月が過ぎた。 

 日本全国の 経営者、資産家、生活者、職業人たちは、この民主党のゴタゴタの分裂劇に、嫌気(いやけ)して、それで、自民党294議席という、旧態依然の政治に戻してしまった。 これも、国民(有権者)の投票総数の30%で、60%の自民党議員が当選する、という仕組みで出来ている数字だ。私たちの学問道場は、知識人、読者人の集団であって、国民政治に責任を持つ集団ではない。だから、私たちは、自分たちの主張を貫いて、今後もこの国の先を先を読んで、「日本国民よ、気を付けなさい。用心しなさい。私たちは危険な方向に連れて行かれようとしているのだ」 と、書き続ける。

 小沢一郎という優れた国民政治家が、亀井静香と共に、当選して何とか生き残った。小沢一郎を、4年前から、刑事犯罪者に仕立てようとして、警察・検察・法務省・最高裁判所の「法の番人」たち、公務員たちが自ら犯罪者集団となって、小沢一郎に卑劣な攻撃を仕掛けた。これは明らかにアメリカの指図、命令に基づくものだった。それで、私たち国民が待望した2009年からの“小沢革命”は、手ひどい打撃を、毎回、毎回、何度も、何度も、謀略裁判という形で受けた。

 あれほどの激しい政治弾圧を受けると、さすがの国民政治家・小沢一郎でも、身動きが取れなくなった。先生の田中角栄(たなかかくえい)が味わったのと、まったく同じ十字砲火の、非道な圧力だった。 それでも小沢一郎は、我慢に我慢を続けて、三権分立(さんけんぶんりゅう)の憲法体制に反する発言をしなかった。私は、終始一貫した小沢一郎の国民指導者としての生き方の、すばらしさを称賛してきた。今もこの考えに変わりはない。

 若い人を育てる、若い人に次の時代を託す、という生き方こそは、ある程度の年齢になった人間が、優れた人物ならしなければいけないことだ。小沢一郎は、多くの若い政治家を育てた。彼らの多くは、やがて小沢一郎を裏切って、「小沢と一緒に動くと、ロクなことはないぞ。こっちに来い、こっちに来い」と誘われて、そして離れて行った。小沢一郎は、彼らひとりひとりの行動と決断を許している。

私は、亀井静香(かめいしずか)の選挙中の以下の演説に、鋭く注目する。
以下の記事の 終わりの 亀井静香の 発言が、極めて重要だ。

(転載貼り付け始め)

副島隆彦注記始め)
 

亀井氏との確執を振り返り感無量の佐藤公治氏(2012.12.13高橋清隆撮影)

2012年 12月 14日  高橋清隆 の文

 日本未来の党の亀井静香元金融相を、かつてライバルだった佐藤公治(さとうこうじ)参院議員が応援している。13日夜、広島県尾道市内で開かれた決起集会に登場し、「同志として戦えることを光栄、誇りに思う」と約2000人の参加者に支持を呼びかけた。(略)

 (亀井静香の演説での発言)

  さらに、公約破りの民主党や小泉改革で国を疲弊させた自公政権に触れ、「 わたしは(亀井静香は、警視庁時代に)捜査2課長を務めたが、こんな大がかりな詐欺を見たことない。年金や福祉に回すお金がないから消費増税と言うが、アメリカに200兆円もくれて国民のために使ってない。ブッシュとの約束だけ守っている」と3党の属国ぶりを批判した。」 
 
(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 この 亀井静香の発言が、やはりものすごく重要だ。しかし、ほとんどの日本人は、この事実 「年金や福祉に回すお金がないから消費増税と言うが、アメリカに200兆円もくれて国民のために使ってない」 を知らないし、知っている人々は、無視する。 アメリカによる 日本を守ってくれている用心棒代だよ、払わないと済まないんだよ、と 誰か、正直に 言ってみてくれ。石原慎太郎でもいいから。 石原と亀井は、10年昔は、互いに「慎ちゃん、カメちゃん」と呼び合う同志だった。

小沢一郎は、石原慎太郎と互いに同格で、嫌いあっているが、それでも大物政治家どうしだから、日本国民のためと、それから共通の信念である「官僚、役人たちが、思うように政治の実権を持って動かしているのをどうにかする」で、「第三極」の 政党を作ろうと、交渉をしていた。その間に入って、小林興起(こばやしこうき)議員が、苦労した。名古屋の王様である 河村たかし市長も何とかまとめようと努力した。しかし、この話はまとまらず、それで、 自民党の圧勝、ということになった。

 自民党が大勝したと言っても、安倍晋三は、半年もしないで、また大腸カタルで病状が出て退陣するだろう。そのあとは、石破茂(いしばしける)だ。石破は、1993年という、今から20年前に、小沢一郎が、新生党(やがて新進党)を作って、「自民党大分裂」を実行して、細川護煕(ほそかわもりひろ)政権を作った時に、すこし遅れて自民党を脱党して小沢一郎と合流している。その後、再び、反改革の嵐が吹き荒れたときに、すごすごと自民党に戻った。

 復活した栃木県の“政治家失楽園”の船田元(ふなだはじめ。私は彼に似ているそうだ)も、小沢一郎と共に動いた政治家だ。私は、古い政治を壊して、官僚主導政治を辞めさせて、アメリカとも堂々と対等に交渉しようとして、新しい政治を作ろうとする政治家を、ずっと応援してきた。 

 地元の利権と、業界団体と、商工業者への補助金の投げ渡しばっかりをやって、裏のお金ばっかりで、政治をやっている。今もやっている。それが日本の政治だ。 最後の最後は、自民党も維新の会も、公明党(創価学会)の、各選挙区にある 2から3万票の票を、自分に回してもらうための工作に走る。 そういう ブローカー選挙、バーター選挙を、平気でやった。

 それが、生臭い本当の政治だ。 数億円のお金も必ず動く。 公明党は、自分たちの力で、その自民党政治家を受からせた、という暗黙の実績を誇示するから、以後、その政治家は、びくびくするようになり、その公明党の3万票に対して卑屈な人間になる。 この 宗教政党の存在のワルさを、私たちは、何とかしなければいけない。 自民党自身が、そのことを死ぬほどよくわかっている。

 ところが、今は、この古い宗教政党(公明党)ではなく、もっと新しい、奇妙な宗教政党 と 宗教団体 の勢力が、どんどん伸びていて、官僚や、外交官や、裁判官たちまでが、どんどん 「古い方から 新しい、より凶暴な方に」信者となって、乗り移っている。 私は、日本の言論人として、このことを一番、心配している。勉強秀才に過ぎなかった官僚(上級公務員)たちは、いとも簡単に、こういう宗教団体に、先輩の誘いに乗って入信してゆく。

 民主党の若手の議員の秘書になって、多くが潜り込んできていたので、私は、この事実に対してずっと強い警戒心を抱いてきた。私でも、この件については、あまり多くは書けない。

 警察は、「ビラを配った罪」「個人の家に選挙ビラを勝手に投函した罪」というものまで選挙違反として、摘発する、という、官僚政治の末端の岡っ引きたちとして、政治家(議員)の全てを痛めつけて、脅す。しかし、もっと大きなところでの票の売り買いのところには、警察は顔を出さない。 

 そして6大テレビ・5大新聞(そして、その背後の 電通)はすべて、アメリカの意向を受けて、日本国民を情報で洗脳し続ける。私、副島隆彦は、この事態を、「日本国民は、目を潰(つぶ)された羊の群れだ」と表現している。 国民の指導者たちである政治家を、石原慎太郎のように、アメリカの言いなりになるように動かされるから、日本は、いよいよ危険な方向に連れられ行きつつある、と考えている。「その先には、危険な崖が待ち受けている」と  私は冷静に考えている。

 選挙の話題が終わったら、このあとは、すぐに、今の大不景気のままで、次に、またしても、中国との軍事衝突の危険を扇動(せんどう)するメディアの報道が続くだろう。 これが、これからも数年間ずっと続く。① 地震(自然災害)の恐怖で脅されて、その次に② 金融恐慌がやってきて大不況が続き、そして③ 戦争に危険が迫る。 私は、この80周年の周期で必ず、襲い掛かってくる歴史の法則を示して、すべてを冷酷に見ている。このことを、私の近著の『ぶり返す世界恐慌と 軍事衝突 』(祥伝社、2012年11月初刊)と、『個人備蓄の時代』( 光文社刊、2012年10月)の2冊で書いた。

 維新の会の石原慎太郎と橋下徹は、54議席を取ったが、自民党の大勝の前に、苦虫を噛み潰している。石原は、自分が悲願として掲げる「憲法改正」の動きが自民党に規制されることがいやなのだ。息子二人は自民党だが、安倍政権では反主流だ。小泉純一郎の息子も党内で大事にされない。自民党の派閥政治の争いがすぐに復活するだろう。

 原子力発電所(原発)は、停止してあるものをある程度、動かすしかなのだ。今の電力を、自然(再生)エネルギーで賄うことはできない。最新鋭の新式の火力発電所( 輸入する天然ガス、原油、そして石炭が燃料)をどんどん作るとしても、今の原発も新しい物は、使うしかない。 原発から出る核廃棄物の処理が大変だ、危険極まりない、と皆、考えている。

 しかし、私、副島隆彦は弟子たちと、2011年3月12日の原発事故の直後から福島の現地に行って、自分の体であれこれ調査し、自分の頭で考えて、大きな真実を知ってしまった。 それらを、私たちは誠実にずっとこの 学問道場で、報告した。

 私たち学問道場は、「原発の危険をあまりに言い過ぎてはいけない。福島で漏れた放射能は、全部でもほんの微量であった。だから、作業員も、地元に子供たちも、誰も、放射能のせいで発病した者はいない。これから先も誰も発病しない」 と真実を、書き続けた。

 それなのに、40万人ぐらいのここの私たちのサイトを見に来てくれた人たち以外には、私たち学問道場の主張は、聞いてもらえなかった。それで、「放射能コワイ、コワイの大合唱になった」 それが、「脱・原発」の国民的な大合唱になってしまった。 彼らは、福島の現地に行くこともせず、福島の原発近くで全員、元気で生きている事実も自分で確認することもなく、コワイ、コワイを今も言っている。 同じ日本国民なのに、どうして、皆で、大きな事実を確認しあうということをしないのか。

 私、副島隆彦の判断では、セシウムが今も大量に漏れ出ている、というのは虚偽だ。本当の専門家である 日本全国の放射線医学者(代表、長瀧重信=ながたきしげのぶ= 山下俊一=やましたしゅんいち=)、放射線物理学研究者たちの圧倒的な多数が、『この微量放射能では人体に被害は出ない』という専門家たちの声に、少しは耳を傾けてください。

 それから、福島の現地の 住民たちと共に生きてください。現地に行って、現地を見て、現地の人たちと話をしてください、と私たちは、訴えた。 私、副島隆彦は、何かあったら、現地に行って現実を自分の目で見る。たとえ 大砲や銃弾が飛び交う現場であっても、私は、行ける限り現場に行く。本物の知識人ならそうすべきだ。そしてそこで死ぬなら死んでいい。何を恐れることがあろうか。 

 私の熱心な読者のひとりは、日立製作所(日立が、東芝や三菱重工よりも 3倍大きな本当の重電会社だ)の原発製造技術者だ。彼から、ずっと教えてもらって、「日立が、これからも、責任を持って世界中に原発を作って売って回るんですよ」と憮然として語っていた。

 核廃棄物の処理は危険で出来ない、「トイレのないマンションだ」と多くの、深い知恵のない人たちが言うが、放射能自体が、それほど人体に危険なものではない、と私は、分かったので、「4シーベルト以上の放射能を一瞬で浴びた人は230日後に全身が焼けただれて死ぬ。しかし、1シーベルトぐらいなら何も起きない。元気のままだ。いや、もっと元気になる(ホルミシス効果)」と いう大きな真実を私は知ってしまった。

 このことを、私たちの学問道場で、ずっと詳細に報告した。このあと弟子たち12人と書いた『放射能のタブー』(KKベストセラーズ刊、2011年11月)で、さらに正確に丁寧に、大きな事実をたくさん書いた。それなのに、私たちの学問道場の会員の外側には、この 私たちの主張は、少しも届かなかった。そのことが、残念でならない。

 原子力エネルギーとか放射能の危険と恐怖を、過度に、ことさらに言うことは、それが業界・業者たちと政治・行政にとってお金になるからだ。原発を管理することと、廃棄物処理に必要以上に、多くの費用を掛けるように仕向けるように、この方向に向かって、すべてが動いてしまった。あの優秀なはずのドイツ国民でさえ、このような、扇動と洗脳に乗ってしまっている。 

 私、副島隆彦は、今も進行している事態が、残念でならない。すべてが大きく仕組まれているのだ。政治は洗脳であり、報道・メディアも洗脳であり、国民教育も洗脳であり、ナチュラル・サイエンスの成果でさえが洗脳の手段として捻じ曲げられてしまう。
 
 だから、女性に特に多かった、「原発をすぐに止めて」のヒステリー症状に、日本全国が引き連られた。これで未来の党(嘉田由紀子代表、滋賀県知事)は、女性の反原発の感情的な恐怖感に乗りかかって、この「反(脱、卒)原発」を今度の選挙の焦点にしたことは間違いであった。 小沢一郎までが、女性と社会的な弱者たちに向かう政治家を目指してしまったので、この反原発の政策に(本心は別としても)安易に乗ってしまったことが、私は残念だ。 

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「 衆院選:未来の党、小沢一郎氏 生き残り戦略は誤算に 」

毎日新聞 2012年12月17日 

 「日本未来の党」に合流して生き残りを図った小沢一郎元民主党代表の戦略は誤算に終わった。未来で小選挙区を勝ち残ったのは、強固な選挙基盤を誇る小沢氏(岩手4区)と亀井静香氏(広島6区)の2人のみ。嘉田由紀子代表(滋賀県知事)の清新なイメージで「小沢チルドレン」らの生き残りを図った戦略は「小沢隠し」とみなされ、完全に裏目に出る結果となった。

 「小沢王国」とされた岩手県内4選挙区でも、小沢氏とたもとをわかち民主党に残留した階猛氏(岩手1区)、黄川田徹氏(岩手3区)は逆風の中で勝ち残った。小沢氏は最終盤に岩手県に入り、異例のてこ入れをしたものの、未来候補は落選し、地元でも小沢氏離れを印象づけた。【中島和哉】

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 私は、小沢一郎が、世界政治の大きなうねりの中で、これからも命ある限り、何度でも捲土重来を期して、そして、若い人間たちをさらに育てながら、持久戦(じきゅうせん)を続けてほしい。しぶとく闘い続ける持久戦の戦略こそは、日本国民を決定的な危険と敗北から救出する道だ。

 原発推進であるはずの、あの石原慎太郎でさえ、「原発を止(や)められるならやめたがいい」と言った。私は、この男は、以下のように正直に言うのかと思っていた。「原発をどんどん動かせばいいんだよ。そこで出来るプルトニウム(イエロー・ケイキ)で、日本の独自の技術で核兵器をさっさと作って持ってしまえばいいんだ。日本が、中国みたいな、あんな国に馬鹿にされたままではいけない」と 正直に言うべきなのだ。
 
 それなのに、石原慎太郎は、小沢一郎が満身創痍(まんしんそうい)になって闘い続けた「官僚主導政治を打ち倒す」を、今の時期になって、石原慎太郎が、「中央の官僚たちが政治の実権を握っている。彼らの力はものすごく大きいものだ。これを政治家たちが取り戻さなければいけない」と、今度の選挙の間に言い続けた。 自分が、アメリカの忠実な手先に成り下がっているのに、官僚たちに対してだけは闘いを挑んで、そして勝てる、という戦略だ。

 私、副島隆彦は、日本国にとっての大物政治家である 石原慎太郎や 橋下徹 たちと対等に、議論をさせてもらえる立場もチャンスも与えられない。しかし知識人、言論人としての土俵(どひょう)で彼らと言論戦をする機会があるなら、やってみたい。日本国のこれから向かう方向について、彼らと 何(なに)臆(おく)することなく干戈(かんか)を交えてみたい。「アジア人どうし戦わず。戦争だけはしてはいけない」という、私が作った“大手”をかけるコトバを彼らに投げつけてみたい。

 このようにして私たちが支持し、期待した 小沢一郎の政治勢力(今回は200万人だった。私は、2000年の自由党の時に小沢一郎ひとりで 600万票を集めたあの時の小沢一郎を支持する勢力を今も日本国民の中の私たちの味方勢力だと思っている)の大きな退潮という結果に私たちは、今度の選挙で直面した。

 このあと政治の話題は、急激に消えて、私たちひとりひとりは、この大不況をどのように生き延びるかの苦労と苦難が待っている。私のコトバでは、「目を潰(つぶ)された哀れな羊の群れ」である日本(人)が、このあと連れて行かれる危険な崖から落とされることなく、迫り来る軍事衝突、軍事国家化、そして戦争という 大きな危険からぎりぎりのところで脱出できる方策を、私は自分の知能の限りを盡(つく)して、この先も必死で考え続けます。 副島隆彦拝